「おしゃれなので東京の人かと思いました」って、偏見じゃん

大阪旅行で、アメ村のとある古着屋さんに行った。
店員さんに「ご旅行ですか?どちらから?」と聞かれたので「名古屋です」と答えると、次にこう言われた。

「そうなんですかー!?おしゃれなので東京の人かと思いました!」

相手は接客中なので、私たちが客観的に見ておしゃれかどうかは一旦置いておく。
この言葉、明らかにほめてますよ~というトーンで言われたけれど、結構失礼じゃないか?と思う。皮肉だったとしたらまあ、伝わってますね…でおしまいなんだけど。

だって、この言葉だけでこの店員さんが持っている偏見がいろいろとうかがえる。
“東京の人はおしゃれ”とか、”非東京人(=田舎者?)はそうではない”とか。

で、この土地柄によって住人のおしゃれ度合いが違うのかみたいな話も一旦置いておく。
(個人的には、人口が多いほうが個性的な恰好をしても目立たないんじゃないかと思っている)

問題は、そういう個人の「偏見」を店員さんにとっての「当たり前」という形で他者にぶつけてしまうことだと思う。
「田舎者はおしゃれじゃない」と思っている店員さんの接客で服を買うのはなんか、はばかられてしまうし。

ちなみにこういう偏見…というか思い込みを示す意味の、「アンコンシャス・バイアス」という言葉があるらしい。最近知った。
日本語では「無意識の偏ったモノの見方」。

私の例でいう店員さんが果たして無意識だったのか、意識的かつ高度な田舎者への皮肉だったのかは判別できないので、当てはまるかどうか厳密には不明だけど。

内閣府のサイトにPDFでまとめられた資料があったので、もしかしたら私が知らないだけで知名度はあるのかもしれない。
https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2021/202105/pdf/202105.pdf

「アンコンシャスバイアス研究所」もあった。
他者だけでなく自分にもこのバイアスをかけてしまうことがあるらしい。
https://www.unconsciousbias-lab.org/unconscious-bias

名前はないけど生きてるとそれなりに遭遇するし、毎回ちゃんと嫌な気持ちになる」みたいな現象なんかにこうやって名前がつくと、記憶の端々にあったうっすら嫌なことが一つのカテゴリにまとめられて、「ああ、これは嫌だと思ってよかったんだな、この世にはびこっている悪しき事象としてしっかり名前があるんだな」と自分の感情が整理できる。うれしい。

自分の身に起きたことやそのときの感情に正面から向き合って、都度考えることをやめない大人でありたいと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?