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夢の点検

今週はずっと自分の目標について悩んでいた。
というか、今年に入ってからずっと同じことで悩んでいる。
繰り返し繰り返し自問自答をし、やっと答えが出たと思ったら気が付けば同じことで悩み、日記もそればかり。
「いい加減にしなさい!」と自分に言いたくなってしまうのだけど、でも将来についての悩みだからそうも易々と答えが出るわけでもない。

私は書評ライターをしていた時代があった。「あった」と過去形なのは、今は「書評ライター」という形では仕事を受けていないからだ。
私はライターになりたいわけじゃないし、「ライター」という仕事に魅力を感じていなかった(「ライター」の仕事を貶めるつもりはありません。立派な職業だと思っています)。
そもそも私は書評が書きたくて書く仕事を始めた。そうしたら付けられた肩書が「書評ライター」だった。
ちがう。私は「書評家」になりたいのだ。ライターのように千差万別、様々な文章を書くことはできない。そう思っていたのに、書評の仕事はそこそこに「書評記事のリライト」の仕事が大量に回って来る。〆切もギリギリ。
新しい本を読む余裕すらなくなったし、実入りも悪い。
そして、契約している会社からは契約状態はそのままに、仕事の連絡もそれ以外の連絡も一切こなくなった。私がメールをしても返信は来ない。
でも会社のサイトの記事は更新されていく。私が送った原稿は放置なのに?
そんな出来事があってから、私はだんだんと「文章を書いて身を立てる」という目標に強迫観念的なものを覚えるようになってしまった。

もともとは小説を書きたかったのだけど、次々と発売される本たちを読むたびに「この本たちの魅力を伝えられる人になりたい」と思うことが増えた。それが「書評家」になりたいと思うキッカケだった。「書評家」という仕事自体を知ったのもこの頃だったと思う。
「本を読み、その本の魅力を伝える」「書評本を出版したい」
そんな夢を素人の文章書きながら思っていたけれど、上記のような仕打ちを受けてから「私に書評は向いてないんじゃないか」「書評は開かれている門戸が少ない。小説を投稿できるサイトなら腐るほどある。同じ文章書きならもともと小説家を目指していたのだし、そっちをまた目指すべきではないか」と思うようになり、この一年半ほど悩み続けていた。

そのせいか、本は欲しいし読みたいと思っているのだけど買うばかり。
いわゆる積ん読が溜まる一方なのに、読む量も減ってしまったし、書評を書くことも減ってしまった。
どっちつかずの状態が長く続き、書評も小説も手を付けてはやめての繰り返しで、相変わらず本はほぼ読めない、でも積む読は溜まる、気持ちは苦しいという、自分で自分を痛めつけてばかりの毎日を過ごしていた。

そんなとき「そういえば、大好きな書評家さん記事が溜まっていたな……」
と、noteで唯一購読している大好きな書評家さん・三宅香帆さんの記事を十個ほどまとめて読んだ。
この前まで読む元気すらなく、溜めに溜め続けた記事(本当にすみません。どれも素晴らしい記事なのですよ……)。
その記事を一気にガーっと読んだら、ものすごーく元気が出たのだ。
私が目標にしている書評家さん三宅さんで、こういう文章が、書評が書きたいと心から思ったから書評家になりたいんだと思ったんだ……。

小説家に夢を転換しようと思ったのは、ただ単純に門戸がたくさん開いているからで、書評でもお仕事をもらえるキッカケは自分でもちゃんと作ること
ができる。
その前にお前はまずちゃんと本を読め!マメに書評を書け!
そして、私の文章をなしがしろしてきたあの会社もこの会社も見返してやれ!
そうやってムクムクと元気が湧いてきた。
改めて夢を点検してみて、改めて「書評家」「文芸評論家」や女性の「ミステリ評論家」になりたいと心から思えた。
悩みに悩んだけれど、夢や目標をしっかり、隅々まで点検をするのって大事だと感じた。

ずっと悩んでいたけれど、noteに吐き出し、夢を点検し、また目標を見据えることができた。

夢や目標の整備はときどきするといい。

西桜はるう


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