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【書評】「生」をまっとうすることの難しさ『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』(山本文緒)

最初に断っておくと、この本を気分が落ち込んでるときや悲しい気持ちでいるときに読まない方がいいかもしれない。
著者・山本文緒は58歳の若さですい臓がんステージ4と判明し、余命を宣告される。そして亡くなってしまうまでの様子が自身の手でこの日記として書かれている。
闘病日記と言えば最後に、「今は治ってます!元気です!」となりそうなものだけど、私たちは著者がもうこの世にいないことを知っている。知ったうえで闘病している様子を読まなくてはいけない。こんな辛いことってあるだろうか。

もちろん愉快な話しなど一切ない。彼女は日々の体調の変化や会った人、起きたこと、家でやったことなどを克明に記している。泣いたりもしているけれど、文面からは落ち着いた印象を受けた。作家の性なのか、書くことを止めない姿勢が最期まで「生きていよう」としている著者の魂に思え、感動さえ覚えた。でも読み進めていけば病状は確実に悪化している。二階の寝室から一階のトイレに行くことができなくなり、寝室を一階に移した。介護用ベッドをレンタルした。腹水が溜まり始めた。ケアマネジャーのお世話に、親より先になった。淡々と羅列される文章は、病魔が彼女の命を日々削っていることを物語っている。
きっと大声で泣いた日もあっただろうに、日記では割と冷静で、「もっと生きていたい」という足掻きではなく、「どう苦しまずに死ねるか」を考えている様子が見て取れた。

途中、何度もティッシュで目頭を抑えながら読んだ。確実に「死」へと向かっていく人の生の文章から「生」が生々しく感じ取れて、「生きる」ということをまっとうすることの尊さを心の底から感じた。
よく「生きているだけでいい」という言葉を目にするけれど、それは本当のことだと思う。
生きているという上で、仕事をしたり、趣味に没頭したり、旅行に行けたりするのだ。つまり、すべての事象は「生きている」ということの上で成り立つ、付属品。生きていなければ仕事もできないし、趣味を謳歌できないし、旅行に行くこともできない。
今息を吸い、吐き、心臓が鼓動し、血液が全身に駆け巡る。それだけで私たち人間は尊いことをしている。
「生きている」って本当に素晴らしいことで、かけがえないのない現象が日々起きているということ。
それを私はこの日記を読んでイヤというほど知ることができた。

正直に言うと、私自身も今この本を読むコンディションではなかったと思おう。読んでいて本当に辛かったし、しんどかった。たまたま本の整理整頓をしていたときにこの本が雪崩れてきて手に取り、深夜に夜更かしして読み切った。泣いた。号泣した。
彼女は無人島に残り、旦那さんは本島へと帰った現在を思い、もっと泣いた。
でも、不謹慎かもしれないけど、読了後一晩経ったら、少し元気が湧いてきて自分の命を「生ききりたい」と思うようになった。
著者は九十歳頃まで生きることを想定し貯金をし、家を買ったと言う。
私は?私はこの先の人生に何を見出し、何を目標に、目的に生きていこうか。
私だって何歳まで生きるか分からない(ただ、我が家の家系は女性が長命な傾向にあるんだけど……)。けれど、著者が残してくれたこの日記のおかげで、私はなんとなく少しずつではあるけど自分の中にあるものに向き合う機会ができている気がする。

読む人によって感じ方はそれぞれだ。
でも確実に自分の「生」に影響を及ぼしてくれる本だと思う。

山本さんは今、穏やかな波の無人島で静かに暮らしているのだろうか。
日記の後半は意識が朦朧としている部分があったので、先に亡くなった愛猫・さくらちゃんと楽しく生活してるといいな。
そう願わずにいられない。

この本を読んで「命を大切に!」とか「もっと真面目に生きようよ!」とかを私は伝えたいわけじゃない。
ただ、命を生ききることの難しさを知ることで、何か感じるものがあるじゃないかな、と思う。

西桜はるう



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