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[書評]通じないなら、通じるまで粘る『地獄の楽しみ方』(京極夏彦

「言葉は通じないんです」

いやいや何を言っているんだって思うでしょ?
実際この文章を読んでいる時点であなたには少なくとも言葉は通じているはずだ。
でも、京極夏彦は言う。
「言葉は通じないんです」と。

「みんな勘違いしているんです。自分の気持ちは必ず伝わると思っているんです。でも、その気持さえも言葉にできないんですよ」

今の自分の気持ちを表したときに、例えば「悲しい」という感情が中心にあったとして、でもその「悲しさ」って1つじゃない。
腹立たしい悲しみだったり、もうただただ涙が出てくる悲しさだったり、惨めな悲しみだったり。
でもみんなそれを「悲しい」という言葉に乗せて一言で表しているだけ。
「腹立たしかったんだよ」「惨めだったんだよ」という細かい部分は捨てている。
だから本当の「悲しい感情」は言葉では伝わらない。
附に落ちるんだけど、「じゃあどうしたらいいの?」と言いたくなってしまう論理だ。

でもその答えもちゃんと京極夏彦は用意してくれている。
「語彙を増やそう」
これが答えだ。
通じないのだったら、通じるだけの「言葉の種類(=語彙)」を増やしていけばいいのだと言っている。
そして、手っ取り早く語彙を増やせるのは「読書」なのだ。

読書で使える言葉を増やすことは自分の武器になる。
相手を圧倒することもできるし、自分の感情を豊かに表現できる、と私は思うのだ。
この本を読むと言葉の可能性を感じられるというよりも、言葉が持つネガティブな側面ばかり見せられる(いちばん最初の台詞がまさにそう)。
私自身は文章を書くことが好きで、なおかつ「言葉」そのものが好きだから京極夏彦のようにそこまで「言葉」に対してネガティブな印象は持ってない。
だって少なくとも私はこの本を読んで、京極夏彦が言った「言葉」に影響を受けているからだ。

納得するか、批判的になるか、「ほお」とだけ思うか。
言葉が通じなくても「受け取る」ことはでき、その受け取り方は様々だから。
「何言っちゃってんの」と思っても、それは京極夏彦の言葉を受け取った結果であって、通じているかは特に問題ではないと思うのだ。
通じない=言葉がわかってないのではなくて、受け止め方が発言者の意図と違ってしまうだけであって、やっぱり「言葉」自身の持つ力は偉大だ。

そう思うのは、私が文章を書く仕事の修行がまだまだなのかもしれない。
もっとたくさんの文章に触れないといけないのかもしれない。
何十年と小説家を生業としてきた京極夏彦の言葉は重みがある上に、反対意見を論破する力がある。
けれど、私自身振り返ってみると、文章を書くことを仕事にすると決めたときから「言葉は通じない」ということを自覚していたのかもしれない。
だってそうじゃなきゃ、こんなに悩んで書評を書いたりしない。
「言葉は通じない」という前提に立って、通じるためにはどうしたらいいか試行錯誤しながらこやって文章を書いている。

それはそれはとても楽しい作業であり、「言葉」と真っ向から向き合える最高の時間でもある。

あなたは自身の言葉が通じないと感じたことはないだろうか?

そんなときにこの本をオススメする。

17歳に向けての講座を本にしたものだけれど、大人が読んでも十分考えさせられる内容になっていると思う。

はるう


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