アイドルは有限だから推せる

先日世間を騒がせたジャニーズのキンプリ(King&prince)のメンバーのグループ脱退&退所騒動。
私もジャニオタなので相当に腰を抜かすニュースだった(ジャニオタじゃなくてもびっくりしたよね)。

ただ、ずっと世間の反応が腑に落ちなかった。
いや、反応というか尾の引き方がモヤモヤしていたのかな?

タッキーの退社とも重なり、ことが大きくなってしまうのも分かる。
結成してからまだ日も浅く、デビューしてから何十年も経ってない。
ファンであるティアラ(キンプリのファンネーム)さんの気持ちも考えると、同じジャニオタとして心が痛い。

でもなんだろう……。
この事件というか、騒動に私はずっと答えを見つけたいと思っていた。

若いジャニーズアイドルが、メンバーと、事務所と決別してまでも己の人生を歩むことを優先したことによる、世間の強い風たあたりに対する答えをずっと見つけたいと思っていた。

でも今日やっと見つけた。

今日とある本を読んでいて、びっくりするほどストンと落ちた。

ファンというものは、敬愛する相手がゲームから降りることを許さず、ゲームが続行不能になったら「がっかり」してしまう業を背負っている。

「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」より

私たちは推しのアイドルに、生きている限りアイドルでいてほしいと思っている。
アプリゲームにどっぷりハマっている妹が、「いつかこのコンテンツに終わりがくることを私はちゃんとわかっている」と言っていた。
それはアプリゲームをちゃんと「ゲーム」だと認識していて、ゲームには「クリア」というものがあることを理解してプレイしているということだ。

じゃあ、生きている人間は?

アイドルだって歳を取るし、体にガタがくるし、ダンスユニットは激しいダンスができなくなるし、高音が売りだった人はだんだんと声量がなくなっていく。そして、彼も彼女も生身の人間で、人生がある。

私たちはそれをきちんと認識して、推しているだろうか?

そりゃ、そんなことをいちいち考えて推していたら疲れてしまうかもしれないけれど、キンプリの今回の騒動を見て、「ゲーム=アイドルでいること」をしなくなったメンバーに私たちは確実に「がっかり」してしまう。
でもアイドルでなくなっても彼らの人生は続いていくし、彼らが死んでしまうわけではない。
活躍を見れる機会はこれからもやってくるかもしれないというのに、アイドルという肩書を失ってしまった彼らに私たちはどうしても華やかな肩書を新たに求めてしまうのだ。

一度アイドルというゲームを始めてしまうと、ファンはそのゲームからの離脱を許してくれない。
確かに私も大好きなジャニーズアイドルが辞めてしまったり、脱退してしまったり、テレビで見る機会が減ってしまったらとても悲しい。

でも私たちは生きている人間=アイドルを推しているのだ。

彼らの活動は有限であり、いつか終わりが来るものだということを私たちは頭のどこかに置いておくべきなんだ。

キンプリの今回の騒動はたくさんのティアラさんを悲しませたことだろう。

でも、脱退&退所するメンバーに「がっかり」するのはちょっとちがうんじゃないかな、と思う。
肯定はできなくていい。
だって悲しいもの。分かるよ、もうライブとかで会えないのは寂しすぎる。
処理できない気持ちを抱えたままでいいと思う。
でもさ、一度は推した人に「がっかり」するのはやめよう。
応援もできなくてもいい。
応援されなくても、彼らは新しい人生を歩み始めるのだから。

有限である存在のアイドルだから尊いんだ。
無限増殖バグのようなアイドルじゃない、唯一無二の存在だからこそ推せるんだよ。

「推しが尊い」ということは、そういうことなんじゃないだろうか。

はるう








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