「特別」というのは「平凡」を認めてから本当に感じられるものなのかも
私は常に「特別」でありたいと思っています。何か、人よりも優れている、特別な人、それに私は中学校の頃から今まで目指して生きてきました。
しかし、そう簡単に特別な人になれるはずもなく、どうしたら特別な存在になれるのか?「特別」になるためにはどのような条件があるのか?を今になって真剣に考えてみました。
今日は、そんな「特別」について私の意見を書きたいと思います。
特別になりたい、人に認められたい
私は承認欲求が人と比べて強い方だと感じています。一番になりたい、誰かに認められたい、この究極体こそが「特別な人」になることだと思いますが、
そもそも、特別とはなんなのか?私の中でもすごく曖昧でした。
そして、少し特別について考えてみましたが、大した答えは出てきませんでした。ただ人より優れていることが特別なのか?お金を持っていることが特別なのか?
正直、よくわからない、けれど、特別になりたいと思っている自分がいます。
この狀況を一歩引いてみると、「矛盾」しているでしょう。
矛盾を解消する対義語
この矛盾を少しでも解消するために対義語である「平凡」について考えてみました。よく、平凡な人生を歩みたくない、という人を目にすることがあります。
私もこのような人でした。しかし、明確に「平凡」とはどのような狀態なのか?ということにあまり触れていなかったというか、
特別=良い、平凡=悪い、みたいな考えになっていました。
特別であるメリットはよくわかりませんが、逆に平凡のメリットはなんだろうか?ということを考えてみました。
努力ができる
夢ができる
これはある意味でいう、「特別」なんじゃないか?ということに気づきました。
自分は平凡だということを認める
次に私がすべきことは、「平凡な人間」ということを認めることだと思います。特別な存在にならなくてもいいし、特別を目指すために「努力」をすればいい、
これが人生なんだということに気づきました。
正直、特別についてはよくわかりません、が自分はまだ特別ではないということ、これは明らかだと思います。だからこそ、平凡を受け入れ、
努力し、夢を叶える、このプロセスは今後の人生で必ず歩むべき道であり、自分で開拓していく道だと感じます。