カウンセラー【小説】

小さな個室にはクーラーが効いている。暑い空気を吹き飛ばすように風が流れてくる。夏は暑い。それは誰もが分かることだろう。そんな中、スクールカウンセラーとして働いている僕は今山という高一の女子生徒と話している。僕は毎週木曜日に勤務していて、生徒相談は保健室の先生を通じて知らされる。週一なので相談する生徒は結構多い。その今山という生徒は僕と初めて話す生徒だ。恋愛相談とか人間関係とか進路相談とか話す内容は人によって様々だ。アドバイスはもちろん、大事なのは聞いてあげることである。それだけでも人の心は落ち着く。人間とは面白いもので、人に話すと心が整理されて落ち着く傾向にある。目先のことに囚われ過ぎて我を忘れ、急いで解決に向かおうと焦る。急がば回れである。それにより失敗する確率が高くなる。それは悪循環ではないか。まずは落ち着かないと行けない。深呼吸が必要。

「先生はどうして、この仕事をしているんですか?」

進路相談の話の流れから、こんな質問が飛んできた。彼女は病気の父を助けたいために看護師になりたいそうだ。進路相談の話になると、これまでの生徒も同じことを聞いてきたので話す内容は決まっている。答えはマニュアル化している。ここに数年勤めているが、何回話したか分からないくらいの代表的な質問だ。でも、それぞれ聞く人が違うのだから仕方ない。教えよう。盛大な過去を。

「それはね…」

僕は話し始めた。


15年前

僕は19歳。木崎真太郎。京東大学に通っている普通の大学一年生である。学部は経済学部で特に何かをしたいとは思っていない。夢を描く気持ちすら浮かばない日々。だからといって何もしない訳にはいかない。どうすればいいか道なき道を進んでいるようだ。

「よう。木崎」

講義が終わり大学施設の廊下を歩いていると親友である鰻田が話しかけて来た。彼とは大学の科学サークルで出会った。大学デビューを夢見ていた僕はどこでもいいのでサークルに入ろうと思った。でも、楽しまないと意味がない。何か実験してみたいと思い、科学サークルに入った。週二回と開催日が少ないのも決め手の一つだ。親からの支援が無い分、アルバイトもしないといけない。だから時間確保は大切だ。

「夢ってあるか?」

少し雑談してから彼の夢を探ってみた。人の夢を参考にするのも大事だ。夢の無い僕は何かを参考にしたい。特に深い意味は無いのに彼は腕を組んで真剣に考えだした。

「心理学部だから、カウンセラーとかかな」

彼は心理学部。学部は違っても出会いがあるのがサークルだった。初めて実験室で出会った時は二人ともガチガチだった。実験の最中、思わずフラスコを落として割ってしまいそうになった。

「目先の夢といったら彼女が欲しい」

彼は照れながら言った。二人とも彼女は居ない。中学デビューに失敗し、高校デビューにも失敗した二人だった。奇遇な二人は彼女が出来ないのも同じだ。大学に入れば出会いもあると思ったが、こちらから行かないといけない。それは高校でも一緒。行動することが二人とも面倒くさい性格なので彼女が出来ないのかなと納得する。そうして失敗してきた。原因は分かっているのだが、解決する気持ちが芽生えてこない。

「女って複雑だからな」

彼は女性の全てを知っているかのように言った。確かに心理学部なので人の心などは僕より分かるだろう。でも、女性と付き合ったことの無い人に実際のことは分かるのだろうか?僕が言える立場ではないのだが、人の心を読む勉強をしている彼に彼女が出来ないのはどうしてなのだろうと人の心配ばかりする。僕って何なんだろうな。

「そういえば、お前の家族って何をしているんだっけ?」

その言葉を効いた瞬間。嫌な記憶が頭に響いた。家族。幼少期の思い出したくない思い出が脳内を過る。母さんから愛されなかった。母は酒、ギャンブルは当たり前で、日常的に虐待をされた。当時は虐待と思っていなくて一種の愛情表現だと思っていた。父は仕事仕事で無関心。父は数年前に病気で他界した。母は数年前から行方不明になっている。僕は高校生まで親戚の家に預けられていた。家族のことはなるべく親友でさえも話さずにいた。頭の片隅にあって忘れそうになっていたが、鰻田の言葉で思い出が爆発したように記憶が蘇って来る。

「ごめん今日、用事があったんだ」

急に頭が痛くなった。ここから逃げ出したくなった。頭が痛い中、ようやく声を出して鰻田と別れた。彼の心配そうな顔を横目に家に帰った。


古いアパートの一階の部屋に入る。頭が痛いので横たわる。扇風機を付けて頭の熱を冷まそうとしたが、冷めない。反射的に指を加えた。僕は何をしているのだろう。そう思っても体が言うことを聞かない。誰かに甘えてみたくなった。我慢できなくてそばにあった枕に抱きついた。母さん。小さい頃に戻りたい。そして母に甘えたい。愛されなかった僕だからこそ愛されたい。そして、涙まで出て来た。目から出てくる流れを止められない。それから少しすると落ち着いて来た。あれは何だったんだろう?心の中で自問する。そして、疲れたので寝た。


数日後、大学の講義を受けている。頭が剥げている教授の言葉が滑舌が悪過ぎで頭に入らない。ノートには数日前の行動をメモしている。まるで赤ちゃんみたいになった。これは何という現象なんだろうか?そう考え事をしていると、横の席の人が話しているのも気になってしまったので、耳を澄ませる。

「そういえば、お前の母ちゃん最近元気か?」

金髪の男同士が話している。いかにもヤンチャそうだ。お母さんと聞こえた。その時、急に頭が痛くなりだした。ふと数日前のことを思い出す。ここでは駄目だ。羞恥心、羞恥心。そう思いながらも指を加えた。その時、弁が外れたように大声で泣き出した。周りの視線が集まる。他の人の会話が切れる。教授の言葉も止まった。恥ずかしくなり、泣きながら講義室を足早に出た。その時、廊下で鰻田とぶつかった。

「木崎か、痛てーな」

そう言う鰻田を置いて、泣きながら大学を出ようとすると鰻田が追いかけて来た。少し走ると次第に現象が収まった。息を吐きながら追い着いた鰻田に数日前のことや今日のことを話した。話すと頭が整理される。

「それって幼児退行じゃないか?」

ひと通り聞き終わると鰻田は神妙な顔をして言った。幼児退行?聞いたことのあるような、無いような。病気なのか?現象なのか?

「幼児退行って何?」

話を聞くと、幼児退行とはストレスや鬱などが原因で赤ちゃんのような行動をとる病気らしい。例えば、泣くことや指を加えること、誰かに甘えたいことなどケースは様々だ。その一部のケースと数日前のケースが当てハマった。

「原因ってストレスとは思えないな。鬱って感じもしないし」

「泣き出した理由は何だ?」

そう言われて泣き出した理由を考えると二つの事例とも、家族のことを言われたからだと分かった。1つ目は鰻田に家族のことを聞かれた時、2つ目は誰かが母について話していた時。やっぱり幼児退行の理由は家族関係だ。鬱とは思えないし、今ストレスを抱えているという自覚は無い。ということは過去のストレスやトラウマが蘇るのだ。そして理性が外れてしまい、幼児退行になる。

「理由は家族のことだと思う」

「家族って特に母のことか?」

そう言うと鰻田はヤバいと思い、必死に僕を慰めた。それでも僕は理性が効かず大声で泣き出した。鰻田の困った顔が泣いていても分かる。済まないと心の中で思ったが涙は止まらない。

「そいうえば、遠い親戚に精神科の医者が居る。そこで見てもらえよ」

鰻田は僕の心が落ち着いたのを見越して牧田精神科という所の場所を教えてくれた。こんな優しい親友が居てよかった。別の意味で涙が溢れそうになった。


僕は鰻田に教えてもらった精神科に向かった。病院嫌いの僕は行くのに躊躇したが、勇気を振り絞って行った。その精神科は小さくてこじんまりした建物だった。受付には美人の看護師さんが居て、自分の名前と健康保険証を出したりして受付を済ませた。数分後、受付の人に案内されて診察室に入った。そこには白衣を来た医者が簡易的な椅子に座っている。名前は牧田誠司と言った。医院長だ。

「鰻田くんから聞いたが、病名は幼児退行のようだ」

僕が席に座ると同時に医院長は口を開いた。しっかりと目を見て話す医院長から思わず目を背ける。メガネを掛けているので目がくっきりと見える。

「治るんですか?」

医院長は頷いた。

「過去のストレスが原因だろう。心を落ち着かせないといけない」

それから経過観察のために週一の通院が必要だと言われた。どの曜日がいいか聞かれたので木曜日にした。バイトが休みの日だ。それから一時間ほど診察して病院を出た。帰り道を歩く。ここで診察や治療して治るといいのだが。不安が頭を過る。いや、考えすぎはストレスの原因になるから辞めたほうがいい。


数ヶ月後、春が来た。そして僕は大学二年生になった。あいからわず精神科に通っている。入学式には新しい生徒が卒業生と入れ替わりに入って来る。僕が所属している科学サークルに新部員が三人入って来た。二人は男性で一人は女性。新部員ということもありサークルリーダーの四年生はランダムにその三人の新入生を3グループに送り込んだ。その内の女性が僕のグループに来た。なかなかの美人だ。

「よろしくお願いします。海原です。経済学部です」

「木崎です。僕も経済学部です。よろしくお願いします」

「どうも、俺は鰻田。心理学部やってまーす。よろしくね」

相変わらず鰻田はテンションが高い。そう思っていると実験を開始してくださいとサークルリーダーに言われた。机の上に液体の容器を並べる。フラスコを持って液体などをかき混ぜる。フラスコを横に振る感触がいい。タイプの女性が隣に居るせいかテンションが高くなっていたせいで振りすぎて、フラスコに入っていた液体が外に溢れた。

「あっ、ごめん」

運悪く、その液体が海原さんの服にかかってしまった。

「いや、大丈夫です」

「大丈夫じゃないよ。弁償としてクリーニング代出します」

「でも」

気まずい雰囲気が続く。

「無理してでもクリーニング代だせよ。話すキッカケになるぜ」

横に居る鰻田が小声で耳打ちしてきた。下心は無いが、話すキッカケになるなら一緒に行こうと思った。失敗は成功の元かもしれない。


サークルが終わって海原さんと一緒にクリーニング屋に向かった。空には夕日が出ている。

「今日はごめん。多分、その液体なかなか取れにくいからコインランドリーでは出来ないと思う」

「だからクリーニングにしましょう。代金は僕が払いますから」

「ありがとうございます。木崎さんって優しいんですね」

女性と二人だけで歩いた経験が無い僕は、彼女のどこを見て話せばいいか分からない。この場合、鰻田は、何を彼女に言うのだろう。

「私、大学に入ったばかりで分かんないだけど、運命的な出会いってあるのかな。ドラマとかであるじゃない」

「それは恋愛ということ?」

「そう、私は男らしい人が好き。誰か居ないか近くに」

彼女はそう言いながら、こちらを見た。明らかに僕に誘ってきている。鈍感な自分でも分かる。なんて積極的な人なんだろう。そんな彼女に凄く惹かれてしまう。思わず好きになってしまう。いや、好きだ。

「海原さんは彼氏居るんですか?」

「居ない。だから大学デビューしてみたいな」

これは絶対的なチャンスだ。このチャンスを逃してはならない。彼女を他の誰かに取られないように告白しよう。

「僕も大学デビューに失敗してしまったので、僕と付き合いませんか」

海原さんは、その答えを待っていたかのように頷いた。それが初めての恋愛の始まりだった。彼女の名前は海原幸恵。名前の通り幸せを恵んでくれる人だった。それから幸せな毎日を送った。キスもしたし初経験もした。それでも、彼女には打ち明けられない秘密があった。どうしても幼児退行について打ち明けることが出来ない。こんなに大好きな人にも。


付き合ってから数週間後

「ねえ、しんちゃんの家族に合わせて」

ベットで抱き合っている彼女から発せられた言葉を聞いた時、ついに来たと思った。恋愛すれば彼女から質問されることは避けられない道だと思っていた。でも、急に話されるとどうすればいいのか分からなくなった。

「ねえ聞いてる?」

「辞めてくれ」と言いたかった。声を出そうと思った時には指を加えていた。次第に泣き出してしまった。彼女の顔が引いている。甘えたくなり彼女を強く抱きしめようとしたが、引いている彼女は僕を突き放した。気まずい雰囲気が流れる。

「違うんだ。これは幼児退行という病気なんだ」

やっと声に出したが彼女の困惑は続いたままで話を聞こうともしてくれない。ただ長い髪を手でぐちゃぐちゃに掻き乱している。

「しんちゃんなんて嫌い。私、こんな人だと思わなかった」

そう言い、足早に彼女は部屋を出た。ドアの閉まる音が強く響いた。彼女に嫌われってしまったった。こんな自分が嫌になる。涙が溢れてきた。たた、枕を抱きしめながら泣いた。


誰かに相談したいという思いから通院している牧田精神科に向かった。周りは次第に暗くなっている。病院に着くなり受付を済ませて医院長に彼女とのやり取りを話した。

「君は気の毒だったと思う。しかし、このことを先に彼女に話さないといけなかったと思う。これは精神科ではどうにもならない」

ただ淡々と医院長は話した。確かに医院長の言うとおりだか、何だか納得がいかない。諦めきれないのだ。帰り道、僕はこれからの人生はこんなことばかり起こるのだろうか考えた。どこに行っても何をしても家族の話を避けては通れない。このまま同じことが起こって同じような結果になってしまう。悪循環が止まらないのではないか。いつも苦しむのは僕だ。こうなった原因の家族を憎む。今更憎んでも仕方がないと思っているが。


辺りは暗い。いつもの帰り道とは違った感じがする。数分間歩いていると赤ちゃんの鳴き声が聞こえた。前から来たのはベビーカーを押している母親と赤ちゃんだった。赤ちゃんを見ると自分のようで涙が出てくる。赤ちゃんと同じ現象が起こる自分が情けなく感じた。僕は周りから見ればこの子みたいなんだな。

「この子、かわいいでしょ。彩っていうんですよ」

ベビーカーに乗った赤ちゃんを見ていると母親が声を掛けてきてくれた。キレイな大人の女性だ。

「私、道長って言います。あなたは悩み事がありますね」

その母親は僕の心を見透かすように気にかけてくれた。少し馴れ馴れしいとは思ったが、運命には逆らわないことにしようと思った。僕は、これまでのことを話した。幼児退行で精神病院に通っていること、彼女に振られたこと。道長さんは頷いて聞いてくれる。それが僕の心を落ち着かせてくれるので話しやすい。

「人生はジェットコースターだと思うの。上がったり下ったりする。でも、最後には元に戻る。だから心配することはないよ」

ジェットコースター。彼女と遊園地に行った時、乗ったことを思い出した。二人は隣同士で乗り込んだ。スタッフの合図。すべてが幻のように思えてくる。今の僕の人生ジェットコースターは下っている時。でも、いつか上がる日が来る。そして、元に戻る。そう考えると安心感が芽生えてきた。雨降って地固まるみたいなものか。それから少し話しをして道長さんと別れた。


家に帰る道で自分に何が出来るか考えた。このままの人生でいいのだろうか?この経験を踏まえて誰かの役に立ちたいと思った。人の心を掴みたい。誰もが悩みを抱えている。誰かの心の支えにならないか。このまま経済学部にいても変わらない。だから転部しよう。転部先は心理学部に決めた。ちょうど鰻田も居る。

翌日、教授に転部について話した。

「心理カウンセラーになりたいので心理学部に転部したいです」

教授室のソファーに座り、社長が座るような椅子に座っている教授に話した。そんな教授はメガネを拭きながら下を向いて黙ったままだ。

「君に人の心が分かるのか?」

「分かりません。だから心理学部に入って勉強したいです」

「そうか、分かった。単位の方は大丈夫なんだろうな?」

「大丈夫です」

幸い、単位の方は大丈夫だった。教授は受理してくれた。それから数週間して心理学部に転部した。その事を電話で話すと鰻田は意外そうな声を出しながらも、凄く嬉しそうにしていた。これから勉強してカウンセラーになりたい。現実的な夢が見つかった。


人の心とは複雑である。蜘蛛の巣のように広がる心情は時に絡み合い、地に落ちたりする。いつ何が起こるか分からないから人生だと心理学の講義を受ける内に分かってきた。これまで知り得なかった情報を手に入れる。思考をアップデートとする。鰻田に彼女と別れたことを話した。彼は理由を聞かなかった。僕に考慮してくれて聞かないのだろう。別れた彼女とも電話が繋がらないし、大学で会うことも無くなった。仮に僕を見つけたとしても相手から避けているのかもしれない。


そして、三年生になった。精神科を通わなくて良くなった。病気が治ったのだ。暇だと思っていた大学生活もピザ屋のバイトや科学サークルで結構忙しかった。そして、そろそろ就活を考えないといけない。でも、やりたいことは決まっている。講義の一貫として高校にカウンセリングの研修に行くことが決まった。直接現場で研修してカウンセラーとしての心構えを身につける。そして就活の参考にする。インターンだ。

研修先の高校に向かった。職員室に行ってから保健室に入った。そこには保健室の先生が二人居た。小林先生と寺山先生の二人。ここでは保健室登校の生徒が何人か居て、その子と会話をした。一人ひとりに自己紹介をした。それから数分すると一人の見覚えのある女性が保健室に入って来た。

「あっ、この前の」

思わず声が出た。道長さんがそこに立って居た。詳しく話を聞くと道長さんはスクールカウンセラーだった。毎週火曜日に来ているらしい。だから、道長さんと話しやすかったのか。あの夜の言葉が思い浮かぶ。凄く納得した。そして、凄く安心した。

「じゃあカウンセラーを目指すの?」

「その予定です。」

「それだったらスクールカウンセラーになったらどう?」

カウンセラーと言っても色々な種類がある。企業のカウンセラーとかスクールカウンセラーとか病院のカウンセラーとかフリーランスもある。その中でどれが自分にあっているか考える。それならスクールカウンセラーが一番良いと思った。自分との年齢の距離が近い生徒と話せると思う。近すぎず遠すぎずの距離感が大事なんだ。


初めての研修が終わった。学校の帰り道を歩く。こんな偶然があるのだろうか。僕も道長さんみたいな素敵なカウンセラーになりたい。偶然は重なるもので、少し歩いていると目の前に海原さんが居た。思わず立ち止まった。

「久しぶり…」

「久しぶり…だね」

彼女がどうしてここに居るのか分かった。鰻田のニヤニヤした顔が思い浮かぶ。気まずい雰囲気が流れるので、彼女の前を横切ろうと思って歩いた。会いたかったけど会いたくなかった。複雑な心境に陥る。

「待って、謝らないといけないの。あの時はゴメン」

そう言いながら、僕の横で彼女は頭を下げて謝った。

「そこの公園で話そっか」

近くにある公園のベンチに座った。僕たちが座ったベンチの右隣のベンチには20代後半くらいのサラリーマンが座っている。そのサラリーマンの右隣、僕たちが座っているベンチから二番目のベンチには母親が二児の子供を抱っこしている。のどかな公園の雰囲気という感じだ。

「幼児退行のことを知らなくてごめんね。ネットで調べて分かったの」

「分かってくれてありがとう」

「鰻田くんから聞いたんだけど、カウンセラーを目指してるの?」

「うん、僕は悩みの抱えている人の助けになりたいんだ」

「凄い。目標を持っている人って素敵。ねえ、もう一度やり直さない?」

胸が高鳴る。僕もやり直したいと心の中では思っていた。心理的に興奮してきた。思わず彼女にキスしてしまった。それから二人でもう一度やり直すことにした。彼女の支えがあってか、職業としてスクールカウンセラーになることが出来た。


現在

「ということなんだ」

僕は全て話し終えた。しかし、今山さんは泣いている。どうしてだろう。何か悪いこと、嫌なことを言ったのだろうか?この心は読めない。

「どうした?」

「私、今山彩っていうんです」

今山彩。彩。

「彩ちゃんってベビーカーに乗っていた彩ちゃん?ということは君の母親は?」

「母の旧姓は道長なんです。職場では旧姓で仕事をしていました。」

「そうなんだ。お母さんは元気?」

そう言うと彼女は泣き出した。

「母は…」

今山さんは泣きながら母は数年前に心の病で自殺したと語った。僕は何も言うことが出来なかった。しばらくの沈黙が流れた。クーラーの機械音が静かに流れる。

「海原さんとはどうしているんですか?」

数分後、彼女は落ち着いたのか、別の話をしだした。

「そんな人生は上手く行かなくて、別れたよ。人生はジェットコースターみたいだからね」

そう言った時、ライン通知が来た。スマホ画面を見てみると幸恵からだった。数ヶ月ぶりのメッセージだ。

『久しぶり。最近、彼氏と分かれたから愚痴に付き合ってくんない?』


僕は人生のジェットコースターに乗っている。今は何回目かの登道、上を目指して走っているのかもしれない。

〜作者からのメッセージ〜
この作品は幼児退行という病気を題材にした作品である。主人公は様々な出会いをする。世の中には色々な人が居る。そして、なかなか理解してもらいない病気が世の中に存在する。それをどう分かってもらえるかが肝心である。あるシーンで前回の作品である『シングルマザー』と繋がっているシーンがあります。別の物語が少しだけ交差するシーンをたまに入れますのでお楽しみに。話しの中でカウンセラーである道長さんは言った。人生はジェットコースターみたいなものだと。これはあながち間違ってはいないと思う。ベッドで産まれてベッドで死んでいく。ジェットコースターに例えると同じ場所に戻っていくようだ。長い人生というレールを走っていく。それは爽快だと思う。走れ人生ジェットコースター。

植田晴人
偽名。長文です。なかなかリアリティーのある物語だと思います。