色黒な肌をいつの間にか好きになった
昔から色黒で、幼稚園の時に正直なお友達からは「ガングロたまごちゃん」と呼ばれた。
生まれたときから黒いのかはわからないが、家族でよく海に行ったから、確かに焼けていた。
中高は制服が紺色だったから、肌がより暗く見えて、毎日似合わない色を着させられて、同級生との微妙な違いを比べるのが苦痛だった。
バレー部で、室内なのに焼けているからビーチバレー部?と聞かれたり、母から日傘を差すように言われていたから自分は人より日焼けしやすくて、肌が黒いのはよくないことだと思って大人になった。
結婚式のリハーサルメイクでどんなメイクがいいか聞かれたときに自分でもはっきり言えたと思ったのが、
思春期の頃は、色黒は美しさの基準から外れると思ってきたが、本当は私自身肌が黒いことを気に入っていて、ゲームで主人公のアバターを作るときも肌を黒くして、明るい髪を合わせるという内容だった。
生まれ変わっても日焼けしていいなと思うくらい茶色と明るい色は好きな色の組み合わせで、単にかわいい、美しいと思う。
ウェディングドレスは肌を白く見せるために選ぶ人もいるが、それよりも体型や雰囲気に合っていることの方がよかった。
いつの間にか美白は私の美の基準からは外れていて、周りにいろいろ言われてきたが、色白だけが美しいとは思わなくなった。
確かに、色白は合う色が多くて羨ましい面もあるけれど、バチっとはまった時の色黒のファッションはパンチがあるというか今はそれはそれで美しいと心から思っている。
たぶん日本人の多くは色白を好むし、特に男性からすると清楚だとか守ってあげたいという要素も相まって、肌の白い方が人気がある。
そのことを分かっていながら、私は自分の肌色を無理に白くしなくていいですと伝えて、メイクさんもとてもよい人で、汲み取ってくれた。
結婚式の写真は友人たちよりも褐色肌の花嫁だったけれど、後から見ても健康的で好きなイメージだなと思った。
自分と同じだから好きになった、ということもあるかもしれないが、インドや中東、アフリカの肌の濃さも美しいと思うし、人種どうこうの話も自分の美の基準にはあまり関係がない気がする。
化粧品の広告やら、美白をうたいすぎて色白だけが美しいと強要されてきたけれど、別にそんなことはないし自分で決めたらいい。
でもそれだけのことでこんなに長いこと悩まされた。
外的な評価を無視して、どこで自分の肌の色をいいなと思えたんだろう。
知識をつけた
美術や工作が好きで、色の勉強を少しだけした。
だからイエローベース、ブルーベースの診断がはやっても、自分の場合は暖色寒色の色相より、明度や彩度のほうが似合い方に関係すると思った。
人種とか文化とは切り離して単に色として自分の肌色を見たときに、好きな色だったし、組み合わせ方で与えることのできる印象もいいなと思えた。
時代を待った
雑誌とか、教科書のちょっとした挿絵の男女の肌の色が当たり前のように男性が黒くて、女性が白いのを見るとげんなりした。
テレビに出る女性が色白ばかりで、たまにこじるりとか、アナウンサーの岡副麻希とか色黒の女性が活躍していると嬉しくなった。
今となって思えば平成のガングロギャルも社会からのモテをガン無視して個性を尊重した、たくましい存在だったなと感じる。
そのあとのローラ、みちょぱたち黒ギャルの魅力のある姿もちょっとは世間の雰囲気を変えたような気もする。
遠ざかって自分をみた
数週間カナダへ行った時に感じたのは、黒人、白人と並んだアジア人は、色白色黒とかの次元ではなく肌の黄みが強かったので、確かに黄色人種だなと思った。
世界から見ると、日本人同士だいぶ狭い土俵で戦っている。
彼らは肌色から髪色まであまりにも一人一人違いすぎて、そりゃ気にしていたらきりがない。
思い込みを外した
大学の時、男女のグループ内で私が自虐的に、
めっちゃ焼けやすい肌で今年も絶対に日焼けしてしまうと話したら、
一人の男性はメラノCCをおすすめしてきて、よっぽど私より美容に詳しいのと本人が美白だったので嫉妬したが、
別の男性は小麦色の肌いいじゃんと、気遣った様子もなくあっさり肯定した。
小さいころに言われた一言が、それ以降ずっと、周りの人全員が同じように思っていると妄想してそのままになっていたと気がついた。
そんなこんなで、ある瞬間に劇的に考えが変わった、なんてことはないが、あれこれしているうちに、色黒がいつの間にか自虐から事実になって、
自分の中で割と気に入ってきた。