トイレットペーパーの芯を変えることにした
こんにちは。
フォローやいいね、コメントして下さった方本当にありがとうございます。
自分の書いた文を誰かが見てくださったんだと感じられることは、思っていた以上に嬉しく励みになるのだと実感しました!
良かったら、これからもよろしくお願いします。
それでは、ここから本文です。
わたしはたぶん、自他ともに認める面倒くさがり屋。
それは子どもの頃から、大人になった今でもそう。
そんなだから、自分の面倒くさがりエピソードはいくらでも思い浮かぶんだけど…
中でもぱっと出てくるのが、「トイレットペーパーの芯を変えなかった」問題。
これを当たり前にやっている人からしたら、「どういうこと?」って思うと思うのだけど…
ここでは「共用のトイレに入った時に、自分がトイレットペーパーを使い切ったとして、芯を付け替えておく」ことの意味。
自分は使い終わっているから、変えなくても全く影響はない。
だけどここで変えるのは、次の人のことを考えられる人だと思う。
それか、使い切ったら変えるものだって自分の中で常識化できている人かな。
わたしは恥ずかしながら、自分がトイレットペーパーを使い切っても、芯を変えない人間だった。
一応フォローしておくと、「次の人のことなんてどうでもいいぜ!ぐへへ」と思っていたわけではない。
ただ、「面倒だから」「自分は困らないから」という目先の楽さを重要視して、深いことを考えられていなかったのだ。
こういう人、いないかな?
わたしだけだったらかなり恥ずかしいのだけど…ごめんなさいと全力で言いたい!
でも、わたしがこの自分の行動を恥ずかしいと思い始めたのは、大人になってからだと思う。
何か大きなきっかけがあったわけじゃないけれど、「他人が見ていない時の自分の行動」について考える機会があったからだ。
その時は確かまだ外で働いていた頃で仕事もなんとなく上手くいかず、彼氏もいなくて、自分的にイマイチな日常を過ごしていて。
どうにかしてマンネリした毎日を打破したいって、考えに考えていた時だった。
そんな中で、「行いをよくすれば、何かいいことがあるんじゃないか!」という考えに至ったのだ。
最近は引き寄せの法則なんて言葉も耳にする。
わたしはあまり詳しいことはわからないけど、
「自分が自分に胸を張れる行動をしていたら、自分を取り巻く環境は変わっていく」
っていうのは絶対にあると思った。
それは「神様が見ているから」とかそういうことではなくて、自分に恥ずかしくない行動をしていたら、自然と自分への評価が上がっていく。
自分への評価が上がればもちろん自分を好きになるし、自分を好きになれば笑顔が増えるし明るい気持ちでいられる。
マンネリした状況に焦りや不満を感じているより、明るい気持ちでいる時の方が周りに与える印象も、それに伴う環境もずっと前向きになるはずだ。
そういう願いを込めて、わたしはある日「トイレットペーパーの芯を変える」ことにした。
これまでずっと変えずに放置する人生を歩んできたのだから、すぐに行動を変えるのは難しかった。
スルーして立ち上がったこともあったし、面倒くさいな、今回はいいかなって思ってしまうこともあった。
だけど小さな積み重ねを続けることで、わたしはたしかに少しずつ、自分に自信をプラスしていった気がする。
ことあるごとに「わたしはトイレットペーパーの芯変えられる女だから!」と謎の自信を持つことができたのだ。
これは別にトイレットペーパーの芯である必要はなくて、自分がほんの少~~しだけ頑張れば達成できることならなんでもいいと思う。
そして誰にも見られていないっていうのも、「自分えらい!」って小さく褒めるために大切かな?
そんな日々を過ごすことで、その頃わたしは本当に、「わたしってラッキーかも」と思えるようになった。
運がいいわけじゃなく、自分の自信が環境を変えていっているんだよね。
「トイレットペーパーの芯を変える」自分になってから、もう5年くらい経った。
今ではそれが当たり前になったけど、色んな場面でこの考え方を忘れないようにしている。
「誰も見ていなくても、自分が見ている」
って言葉をどこかで見た気がするんだけど、本当にそのとおりで。
これからもわたしは、これからの人生を一緒に過ごす自分のためにトイレットペーパーの芯を変え続けると思う。
一見「次に使う人のため」と思えるのなら、それももちろん素敵。
でも自分が自分を好きでいられれば、周囲の環境や大切な人に与えられるプラスの力は計り知れない。
それで自分もハッピーでいられるのなら、そんないいことってないのでは?
わたしはそんな風に思っている。
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