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『資本主義の家の管理人』~市場の時代を乗り越える希望のマネジメント⑤ 第一章 見ることと考えること 第二節 人間の2つの本能

第一章 見ることと考えること

<第一章構成>

第一節 世界の解像度を上げる ~見ることからすべてが始まる
1.80億個の世界像
2.3次元の視点、4次元の視点
3.見えないものに思いを馳せる

第二節 人間の2つの本能 ~私益の追求と他者との適合性
1.アダム・スミスが見ていた世界
2.発展のエネルギーと秩序のエネルギー
3.小さな自由と大きな自由


第三節 最良の奴隷にならないために ~考えて自由になる
1.自由の前提その1:考える
2.自由の前提その2:他者の存在
3.自由の前提その3:ルールの裏にある規範
4.自由の前提その4:貨幣と言語


第二節 人間の2つの本能 ~私益の追求と他者との適合性

いかに利己的に見えようと、人間の本性には、他者の運命に関心を持ち、他者の幸福を自らの幸福とするいくつかの原理が含まれている

(アダム・スミス『道徳感情論』高哲男訳)

事実、個々人は、一般的に公共の利益を促進しようと意図しているわけではないし、それをどの程度促進するか、知っているわけでもない。(略)彼は、自分自身の利益を意図しているのであって、彼はこうする中で、他の多くの場合と同様に、見えざる手に導かれて、彼の意図にはまったく含まれていなかった目的を促進するのである

(同『国富論』同)

1.アダム・スミスが見ていた世界

経済学の基礎を築いた名著『国富論』の中で、アダム・スミスは、市場を通じた個人の自己利益の追求が結果として社会全体の利益をもたらすという考えを「見えざる手」という言葉を使って説明しました。

この言葉が後の人々によって「神の見えざる手」と言い換えられて独り歩きしたため、スミスは市場原理主義の象徴と見なされることが多いのですが、『国富論』を発表する7年前に、彼は『道徳感情論』という本を著し、人間社会における他者との共感や道徳的行動の重要性を説いています。

『道徳感情論』の中で、スミスは、人間は本能的に他者の言動や境遇に関心を持ち、それに善悪や好悪の感情を持ち、その感情を通じて自分の行動を規定していくと述べています。他者に対する肯定や否定の感情を通じて自分の中に一定の基準が作られ、その基準に従って行動する。他者との関係から生まれる感情をスミスは「Sympathy(共感性または適合性)」と呼び、それが人間の本能であり、人間社会の基礎であると主張しました。

『国富論』の「私益の追求が全体の利益をもたらす」という主張と、『道徳感情論』の「他者との共感性が社会の基礎である」という主張は、根本的に矛盾しているように見えますが、2つの本を読むと、前者は社会の発展と繁栄について論じ、後者は社会の安定と秩序について論じていることが分かります。

自由な市場が経済的利益と繁栄をもたらし、他者との共感が社会の秩序と安定をもたらすというのがスミスの主張であり、そのどちらを欠いても彼の思想は成立しません。

さらに、スミスは『法と統治の一般理論』という本を執筆していたと言われています。この本は世に出ることはありませんでしたが、そのエッセンスは『法学講義』という彼の大学での講義ノートとして残されています。

スミスはこの三部作で人間社会の3つの原理を示そうとしていたのだと思います。すなわち、『国富論』は繁栄の原理、『道徳感情論』は秩序の原理、そして『法と統治の一般理論』は公正の原理です。おそらくスミスの頭の中では、公正という基礎の上に繫栄と秩序が均衡を保ちながら相互に作用する社会が描かれていたのではないかと思います。繁栄、秩序、公正が人間社会を支えると考えたスミスは、経済学者というより社会思想家であったのだと思います。

アダム・スミスの世界

それから一世紀ほどのち、チャールズ・ダーウィンが『人間の由来』(1871年)という本を著し、「人間社会の進化の根幹には他者との相互作用や他者と協力する社会的本能がある」と主張しました。有名な『種の起源』の12年後に著されたこの本は、人間社会の進化について、思いやり、共感、道徳的な行動や規範が人間社会を進化させたと語り、アダム・スミスが『道徳感情論』で主張したことを進化論的に定式化したのでした。ダーウィンはスミスを深く研究していたとも言われています。

2.発展のエネルギーと秩序のエネルギー

冷戦の時代、東側諸国は個人よりも集団の秩序を優先させました。彼らが目指したのは貧富の差のない平等社会だったかもしれませんが、それは国家が強制した秩序であり、人間の本能に基づく秩序ではありませんでした。国家の力で自由を抑え込まれた人々は、他者との適合性 どころか働く意欲や希望を失い、社会は活力を失って衰退し、国家は破綻しました。

計画経済の失敗を見た国々は、市場を活用して経済を活性化させようとし、その目論見は見事に成功しました。活発な競争が人々の創造性を刺激し、インターネットやスマートフォン、検索サービスやSNSなど、新しい商品やサービスの登場が世界経済は大きく成長させました。しかし、行き過ぎた競争や私益の追求が個人や社会や自然環境に深刻な影響を与えていることも明らかになりました。

東側諸国の失敗と市場経済の発展から、私たちは2つのことを学びました。ひとつは、強制は持続する真の力をもたらさないということ、もうひとつは、他者との適合性なき私益の追求は社会を荒廃させるということです。発展をもたらすのは人間の自由な活動ですが、他者との関係がなければ繫栄を持続することはできないのです。

私たちは一人ひとり異なる世界像を持っています。AさんにはAさんの世界像があり、BさんにはBさんの世界像があります。Cさん、Dさん、Eさん、Fさんも、みな固有の世界像を持って生きています。そしてそれぞれの世界像には、重なる部分と重ならない部分があります。

世界像の重なりと分離

例えば、会社をお金を稼ぐ場所と見るか、自分を成長させる場所と見るか、仲間を作る場所と見るか。Aさんにとってその比率は8:1:1であるかもしれないし、Bさんにとっては3:6:1であるかもしれない。重なる部分もあれば重ならない部分もあります。大都会の高層ビル群を発展と繁栄の象徴と見るか、都市と地方の格差の象徴と見るか、人間の成長の機会と捉えるか、人間を阻害する不安を感じるか。結婚を家系を絶やさないための手段と捉えるか、対等な男女が互いを信頼し支え合う関係と捉えるか。夫婦別姓の是非はそれぞれの人の世界観によって議論が分かれます。

重なる部分では意見の対立は起きず、容易に意思疎通ができ、互いに協力しやすくなります。重なる部分においては人々の関係は安定しています。重ならない部分では合意形成が難しく、協力や連携を図りにくくなり、人々の関係は不安定になります。重なりが大きすぎれば集団は同質化し、変化を嫌うようになり、活気や創造性が失われ、重なりが小さいと個の力に焦点が当たり、主体性や自立心が育ちやすくなります。また、常に変化にさらされているため新しいものが生まれやすくなります。

少人数の間は活力にあふれていたベンチャー企業が、人数が増えるに連れてバラバラになっていくのはよく見られる現象ですが、これは個の力に頼り過ぎて重なりを作れなかったことが原因です。この場合の重なりとは、会社の理念や価値観、ルールや制度などです。いかに一人ひとりが強力であっても、個人の力は他者の協力や支え、すなわち社会があって発揮されるのであり、社会がぜい弱であれば人間は自由を脅かされ、能力を発揮することはできません。それがアダム・スミスの言う他者との適合性です。

問題や状況を全体として捉え、各要素の関係と相互作用が全体に与える影響を分析するアプローチを「システム思考」と言いますが、システム思考について説明する『世界はシステムで動く』(ドネラ・H・メドウズ著、枝廣淳子訳、英治出版)という本の中に、バスタブとお湯の話が出てきます。

バスタブには人間がお湯につかるための適切な水量と温度があり、水量が増えすぎたら栓を抜いて減らし、足りなくなれば蛇口から湯を注ぎ、温度が低ければ温め直し、熱くなり過ぎれば水を足すかしばらく放置して温度を下げます。このようなインプットとアウトプットのフローの変化によってバスタブの湯量や温度は適切に保たれます。

世界は、入ってくるものと出ていくもののフローの量によってストックの水準が調整されるメカニズムを持っていることを説明するがこのバスタブとお湯の例ですが、システム思考では、水量を増やしたり温度を熱くする作用を「自己強化型フィードバックループ」、水量や温度を適切な水準に調整する作用を「バランス型フィードバックループ」と呼んでいます。

自己強化型フィードバックループは、「勝者がますます強くなる」ループです。

AさんとBさんが何かの競争をしているとしましょう。Aさんが成功に大きな影響を与える資源をBさんより多く手にすることでAさんは競争に勝利し、その成功によってAさんはさらに多くの資源配分を手にし、さらに競争に勝利します。一方、Bさんは最初に手にした資源が少なかったために競争に敗れ、競争に勝ったAさんがさらに多くの資源を手入れたことでBさんの資源は相対的に少なくなります。こうしてAさんは勝利の循環に入り、Bさんは敗退の循環に入ります。これが「勝者がますます強くなる」フィードバックループです。

もう一つのバランス型フィードバックループは、「現状と理想の乖離を解消しようとする」ループです。

システムの中にいる誰かが目的や望ましい状態と現状の間に乖離を発見すると、その誰かは乖離を埋めようと行動する。乖離を埋めようとする行動によってシステム全体が望ましい状態に向かって調整される。それがバランス型フィードバックループです。バランス型フィードバックは、システムにおけるもっとも基本的な作用とされています。

アダム・スミスの例に置き換えると、私益の追求が自己強化型フィードバックループ、他者との適合性がバランス型フィードバックループです。

社会はこのように、発展のエネルギーによって進化・発展し、秩序のエネルギーによって適正なストック(均衡)を保つことで繁栄を持続させているのです。

発展と秩序のエネルギー(解放と均衡)

3.小さな自由と大きな自由

2つの自由についてもう一度考えてみましょう。自由には、他者に束縛されない自由(消極的自由、~からの自由)と豊かさを追求する自由(積極的自由、~への自由)があります。ロビンソン・クルーソーのように、無人島にたった一人でいる時、人は消極的自由は手にしていますが、積極的自由は手にしていません。人間が豊かに生きるには、自分以外の他者、すなわち社会の存在が不可欠です。

そして、実は消極的自由も他者の存在が不可欠です。なぜなら、他者の存在しない状況では、自由という概念自体が成立しないからです。光と陰の関係のように、消極的自由も他者や社会との関係で認識される概念なのです。

積極的自由は社会とのより強い関係が必要です。消極的自由が、他者がいてその他者から制約を受けない状態であるとすれば、積極的自由は他者に支援や協力を求める自由であり、そこには自ずと他者との適合性が求められます。適合性は自分と他者の間の公正な均衡点にあり、一方的に自分の権利を追及ところにはありません。自分の権利を他者に認めさせることで自由を実現しようとすれば、適合性は失われ、自由は逃げていきます。このパラドックスが自由の本質です。

そして大事なのは、適合性に基づく行動も個人の自由な判断に根差しているということです。他者に囲まれ、自分のしたいことを我慢したり協力したりしなければならない状況も、その我慢や協力は個人が自ら選択した自由な行為なのです。

他者に束縛されない小さな自由と他者と適合する大きな自由。大きな自由は社会や自然、過去や未来の大きな時空間と自分を調和させる自由であり、小さな自由と大きな自由がともにあって人間の自由は成立するのです。


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