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『資本主義の家の管理人』~市場の時代を乗り越える希望のマネジメント⑧ 第二章 会社 第五節 事業と経営 

第二章 会社 ~企業活動の全体像

<第二章構成>

第四節 企業活動の入口と出口
1.What for(何のために) ~旗を立てる
2.How(どのように) ~資源・資産・資本
3.For what(何に) ~利潤の使い道

第五節 事業と経営 ~時を告げるのではなく、時計を作る
1.事業家と経営者の違い
2.経営の3つのスコープ ~事業経営(Business management)、会社経営(Company management)、企業経営(Enterprise management)
3.時間が創り出す価値 ~ローマは一日にして成らず


第六節 会社の基本構造
1.会社の基本構造その1:運営の仕組み
2.会社の基本構造その2:所有の仕組み
3.会社の基本構造その3:財務の仕組み

第七節 株主の権利と義務
1.自益権と共益権 ~お金と権力の合体
2.出資株主と非出資株主
3.PBR(株価純資産倍率)の罠


第七節 会社の本質を考える
1.会社は誰のものか ~モノとしての会社、ヒトとしての会社
2.テセウスの船 ~同一性のパラドックス
3.会社は資産でできている

第八節 会社の機能
1.会社の機能その1:契約の統合とリスクの引き受け
2.会社の機能その2:知見の貯蔵、熟成、活用
3.会社の機能その3:機会を提供と社会的公正の実現


第五節 事業と経営 ~時を告げるのではなく、時計を作る

知力では、ギリシア人に劣り、体力ではケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、技術力では、エトルリア人に劣り、経済力では、カルタゴ人に劣るのが自分たちローマ人であると(中略)ローマ人自らが認めていた。
 それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。(中略)あなたも考えてほしい。「なぜ、ローマ人だけが」と

(塩野七生『ローマ人の物語』より)

1.事業家と経営者の違い

アラン・ケイとスティーブ・ジョブズ

21世紀の世界を一変させたスマートフォンの原型は、1960年代後半にゼロックスのパロアルト研究所で働いていたコンピュータ科学者のアラン・ケイが構想した「ダイナブック」であると言われています。大型の汎用コンピューターしかなかった時代に、アラン・ケイは、小型軽量で持ち運びできるパーソナル・コンピューターという概念を編み出しました。彼は人間が直感で操作できるGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)の技術を用い、それまで大型計算機と考えられていたコンピューターを、個人が情報をやり取りする情報通信機器として定義しました。

それから10年後、パロアルト研究所を訪問したスティーブ・ジョブズがこの画期的な構想を発見し、この発見がその後のアップル社の製品開発へとつながっていきました。

「アイフォンの生みの親はアラン・ケイではないのか」と問われた時、ジョブズは、「偉大なアイデアと偉大なプロダクトの間には、膨大なクラフトマンシップが求められる」と答えたと言われています。

アラン・ケイのアイデアがジョブズに発見されるまでに10年、それがアイフォンという製品となって発売されるまでにはさらに30年という長い年月を要しています。偉大なアイデアが現実の製品となるには、膨大な技能と労力が必要であり、ジョブズがそれを成し遂げたことがアイフォンの誕生に繋がったのです。この言葉には、事業家としてのジョブズの誇りと自負が強く感じられます。

発明が事業に昇華するには、製品の設計や生産プロセスの構築、材料や設備の調達、資金や人材の確保、ブランディングやマーケティング、販売活動など、膨大なプロセスが必要です。これらを実現し、経済価値を生み出すのが事業家の仕事です。

アラン・ケイとスティーブ・ジョブズの例からも、発明家と事業家の違いは明確に理解できると思います。しかし、事業はゴールではありません。その先には、経営というまた別のステージがあります。

では、事業と経営にはどのような違いがあるのでしょうか。

その違いを考える興味深い例が、古代ローマで元老院と対峙して暗殺された英雄ユリウス・カエサルと、その死後、カエサルの後を継いで帝国の発展の礎を築いた初代皇帝オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)です。

才気溢れる軍人であるカエサルは、兵を率いてガリア地方(現在のフランス)に遠征してローマの領土を広げました。彼は有名な言葉「賽は投げられた」とともに軍を率いてローマに凱旋し、終身独裁官の地位に就きます。しかし、共和制を守ろうとする元老院との対立が高まり、元老院の議場で反カエサル派の一味に襲われて命を落とします。カエサルは、軍事的才能だけでなく、優れた文才にも恵まれ、『ガリア戦記』など数々の著作を残しました。

対照的に、カエサルの甥で養子となったアウグストゥスは、体力に恵まれず、軍事には不得手で、文才もありませんでした。しかし、時間をかけて、慎重かつ戦略的に、政敵との対立を克服していきました。彼は、自分は独裁者ではないというイメージを巧みに打ち出し、官僚機構と国家のインフラを整えてローマ帝国の発展の基礎を築きました。

ローマは、カエサルによって共和政から帝政に移行し、その後、西ローマ帝国の滅亡まで500年、東ローマ帝国の滅亡まで1500年もの長きにわたり広大な国土と繁栄を維持しました。カエサルは、政治・経済・文化における現代西欧社会のルーツであるローマ帝国という偉大な事業を興しのです。

その後を継いだアウグストゥスは、元老院との協力関係を維持し、公共施設や道路網を整備して都市の発展と経済活動を促進し、「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和)の礎を築き上げました。冷静沈着で、イメージ戦略が巧みで、他者を上手に活用し、長い時間軸で辛抱強く戦略を遂行したアウグストゥスは、まさに名経営者でした。

活版印刷や自家用車のT型フォード、インターネットやスマートフォン、そして生成AIのように、偉大な技術や製品は人間社会を一変させる力を持っています。人々が必要とする製品やサービスを作って世に送り出す事業は、成功すれば利益を生み、大きな富と名声をもたらします。事業は心躍る仕事であり、事業家は自分が主人公として舞台の上に立って役を演じます。

一方、経営は地味な仕事であり、その成果が華々しく人々の目を引くことはありません。経営者は舞台で演じる主人公ではなく、主人公は「他者」です。物やお金、人や社会、自然も含むすべての資本を活かして輝かせるのが優れた経営者です。そして、経営者は資本家ではないので、大きな富を手にすることもありません。

では、経営者は何を目標に仕事をするのでしょうか。

経営者の仕事は活動を持続させることです。過剰に材料を仕入れたり、不要な設備や人員を抱えたり、市場が必要としない量の製品を生産すれば、会社はたちまち破綻します。経営は、インプットとアウトプットのバランスを保ち、様々な資本を効果的に稼働させ、利益を上げ続けることで会社の活動を持続させます。

会社は持続によって時間をかけて価値を熟成させ、それを未来の社会に引き継いでいく容器のようなものです。経営者が交代しても、社員や事業が入れ替わっても、会社という器は活動し続ける。永続する状態を作るのが経営の仕事です。

ファイナンスの世界では、10の投資をする時に、1年で30の利益を手にする方が、毎年10の利益を積み上げて10年で100の利益を手にするより価値が高いと考えます。投資にとって時間はリスクであり、非効率だからです。10年という時間の不確実性を考えれば、1年で30を回収する方が経済的利益は大きく、しかも短期間で回収できれば、またすぐに新たな投資ができます。投資家にとっては、細く長くよりも太く短い方が、10年後の10倍の利益よりも1年後の3倍の利益の方が価値があるのです。

しかし、経営は、1年では達成できない価値を10年かけて達成することに価値を置きます。例えば、資金力の乏しい会社が新たな事業を始めるために100の投資を必要とする時、その投資を無理に1年で行えば資金が回らなくなって事業は行き詰まりますが、毎年10ずつ投資を分散させれば10年という時間軸の中でその事業を実現することができます。時間はリスクではなく、リスクを分散してくれるのです。

投資の目指す価値と経営の目指す価値

さらに、時間は、信用、ブランド、ノウハウを熟成させ、そこに集う人々の結束を高めてくれます。それらは投資家にとってはお金に換算できなければ意味がないかもしれませんが、会社にとっては重要な資本です。時間が生み出す価値は目に見えにくいものですが、それらは会社が長期的に繁栄して未来に価値を引き継いでいくための大事な資本となり、時間の経過とともにやがて社会の資本ともなるのです。

経営という仕事の主人公が他者であるということは、他者の信頼を失えば経営は力を失うことを意味します。従って、経営者には他者から信頼されるための人格が求められます。翻って、事業家は人格を問われることはありません。成功したが人格を疑われる事業家の例を、私たちは何人も思い浮かべることができるでしょう。

「時を告げるのではなく、時計を作れ」。

時代を超えて繫栄を持続する企業を探究した『ビジョナリー・カンパニー』という本の中で、著者のジム・コリンズはこのように述べています。この言葉も、事業と経営の違いを分かりやすく凝縮しています。事業は時を告げること、経営は時計を作ることなのです。

マネジメントを実践する上で、私たちは何より先ず、事業と経営という2つの仕事の違いを知らなければなりません。

2.経営の3つのスコープ ~事業経営(Business management)、会社経営(Company management)、企業経営(Enterprise management)

多くの人が事業と経営を混在させてしまうのはなぜでしょうか。

経営には、「事業経営」(Business management)、「会社経営」(Company management)、「企業経営」(Enterprise management)という、視界の異なる3つのフェーズがあります。事業と経営の混在は、主に最初の「事業経営」の次元で生じています。

事業経営(Business management)とは、製品の企画、生産、販売、利益の獲得という、事業のプロセスを管理することです。先ほどの例で言えば、原材料、設備、人員などのインプットと、適量の製品を生産して市場に投入するアウトプットのバランスを保ち、生産→販売→利益の循環をコントロールするのが事業経営です。この次元では事業と経営が一体化しており、両者の違いを認識することが難しいのです。

二つ目の会社経営(Company management)とは、事業+αの会社活動の全体プロセスを管理することです。会社活動には、人の採用・育成・評価、適材適所の配置や活用、学習機会の提供や成長支援、組織間の連携・協力、優れた企業理念と健全な組織風土、家族も含む生活の充実など、直接的な事業活動以外の様々な要素が含まれます。良い事業をしているから良い会社であるとは必ずしも言えないことは、誰でも理解できるはずです。事業+αのものも視野に入れ、会社全体の活動をコントロールするのが会社経営であり、経営のスコープが事業に偏り過ぎると、退職者の増加や不祥事の発生などによって会社経営は危うくなります。

三つ目の企業経営(Enterprise management)とは、会社と社会・自然など外部世界との関係をコントロールすることです。この場合の「企業」とは、法人の枠を超えた動的な概念であり、例えば、教育・福祉の支援、差別の撤廃やマイノリティの支援、地域の活性化や自然環境の保護など、企業の外部世界との相互関係を意味します。会社の外にあって会社の活動を支える外部の資本を強化する活動を管理するのが企業経営のフェーズです。外部の資本を強化して自社の持続可能性を高めている典型的な例がイタリアのブルネロ・クチネリ社ですが、同社の経営については、本書のあとがきで詳しく触れたいと思います。

これらの3つのスコープを図示すると、以下のようになります。事業→事業経営→会社経営→企業経営へと、経営の視野を広げていくことで、外部資本む含む企業の資本は強化され、社会や自然との関係が緊密になることで、会社の持続的な成長力は高まっていきます。

事業経営・会社経営・企業経営


3.時間が創り出す価値 ~ローマは一日にして成らず

知力も、体力も、技術力も、経済力も、周辺国と比べてどれひとつ一番でなかったローマ帝国が、西ローマ帝国の崩壊まで500年もの長きにわたり、ヨーロッパ大陸からイギリス、エジプト、中東、北アフリカに至る広大な版図を統治し続けることができた理由はどこにあったのでしょうか。歴史作家の塩野七生さんは、大作『ローマ人の物語』の中でその理由を問い続けました。

『ローマ人の物語』塩野七生

紀元前8世紀に建国されたローマは、共和制から帝政へと政体が変わり、異民族の侵入やカルタゴ、パルティアなどローマ世界の外の大国との戦い、キリスト教という宗教権力の台頭に晒されながら、紀元476年に西ローマ帝国が崩壊するまで続きました。ラテン語やローマ法、古代ギリシアから受け継いだ芸術や哲学、道路や水道のインフラ、公共建築物など、大国ローマが生み出した重要な歴史遺産は、建国から3000年の時を経て現代社会に引き継がれています。ローマ世界が人類にもたらした文化的・経済的価値は、長い時間の経過とともにさらに高められていくに違いありません。

ローマはなぜ、かくも長い間繁栄を保つことができたのか。

後世の歴史家は、被征服民族に対する寛容な同化政策と積極的な人材登用、そしてローマ街道を張り巡らせて人の移動を活発にして、水路や浴場、劇場など、人々の生活の質を向上させるインフラ整備を進めたことが、ローマが長く繁栄した理由であるとしています。

そして、ローマは自らが繁栄した理由とは逆の方向に向かうことで衰退していきました。そのことを、塩野七生さんはこう説明しています。

「ローマ世界は、地中海が『内海』(マーレ・インテルヌム)ではなくなったときに消滅したのである。地中海が、人々の間をつなぐ道ではなく、人々をへだてる境界に変わったときに、消え失せてしまったのだ」。

古代ローマの繁栄と衰退は、持続が生み出す価値の大きさと、人々の交流と健全な社会基盤の整備が繁栄を持続させる鍵であることを教えてくれます。

会社の経営においてもこれは何ら変わるところはありません。「時を告げるのではなく、時計を作る」。それが経営という仕事の本質であり、価値なのです。


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