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岩石植物  ー地質的な存在としての竹林植生ー

百姓と竹林

千葉の農地にいるものはおそらく誰もが竹に対する危機感がある。数年放置された田畑はみるみる竹林になっていく。それを横目に自分の農地は守らねばと春にかけては竹の子を蹴り飛ばし、夏は夏で青竹を切り倒し、冬は1m切りをして根を枯らす。それでも次の春には去年よろしく、元気な竹の子がばんばん出てくる。
厄介といえば厄介なのだが私の興味関心を引く魅力的な存在でもあった。結局、竹林に手を出し、足を出し、頭を突っ込んでいる。

これまで肚に入れた経験と知識を消化できたところまで、一度排出し候、、ということで未熟な部分はあれど書き留めておきます。

1日に1m伸びる、、吾は最強の雑草也

そもそも竹とは何なのか、、木なのか草なのか。分類学的には竹はイネ目イネ科タケ亜科に属するので、草に分類される一方で、木本(木)のように茎(稈:カン)が木質化する種である。つまり木のような草である。

竹が草、、、いやいや納得いかない
農地の雑草は余多とあるがこんなにタチの悪い草は他に類を見ない。
上田弘一郎博士の研究によると、伸び盛りのタケノコの1日24時間の伸長量は、マダケが121cm、モウソウチクが119cmと発表されている。
また、竹が草であれば植生遷移がおこるものが、竹林は数百年以上竹林ということはよくある。これはどう説明されるのだろうか。分類学の域を出て考えてみることにした。

竹が生じる処 -気候・土壌学的分布-

竹の分布には傾向がある

同じ山でも竹の生えている場所とそうでない場所がある。特に竹が生えている場所として多いのは
 ・崖の崩壊面
 ・畑や森林などの開墾跡地
これらが意味することは何なのだろうか。
ただ見て感じるだけの日々が長く続いたがある時目からウロコが落ちた。

竹の世界分布と3つの土壌の分布の重なり

竹は世界的には 気候が温暖で、湿潤な環境でよく育つ。主に熱帯や温帯に分布し、雨量が1000mm以下の砂漠や乾燥地域では育たない。
日本にいると竹はどこにでもあるように思えるが、実はタケ類の北限は日本
そして竹の世界分布は3つの土壌の分布とほぼ重なっていることに気が付いた。アクリソル、フェラルソル、アンドソルである

武田友四郎 1988 「イネ科C3、C4植物の生態と地理的分布に関する研究」『日本作物学会紀事』(Japan, Jour. Crop. Sci) 57(3):449-463.
world refernce base for soil resources atlas  1998(FAO-UNESCO)

これら3つの土壌の共通項は
❶ケイ酸の溶脱
 アクリソル、フェラソルは母材が強い風化を受け脱ケイ酸か作用が働く。アンドソルは非晶質のアモルファス(火山ガラス)の風化によりケイ酸が溶脱。
❷土壌は酸性、塩基養分やリン酸に乏しい
❸排水性が良く、土中の水が上から下へ流れる(soil water regume)
これらの土壌の性質と竹の分布にはなんだかの関係性があるはずである。
以降、これらの土壌的性質と竹の生態について考えていく。

因みに、私達の住む日本の土はアンドソルに分類され、アンドソルの語源は「暗土(アンド)」からきている。火山国である日本ではアンドソルは当たり前だが、世界的にみるとここまで黒い土はめったにない、実際アンドソルの世界分布割合は0.8%とかなり珍しい。日本の平野に住む私たちの風土の大部分をなしてきた竹林はこの希少な土の上に存在している。

ケイ素の流れる先 -竹が作る石‐

竹の作る石 プラントオパール

Bamboo plant opal (life with bamboo)

竹の分布する地域においてケイ酸が溶脱しやすいという性質の土壌が分布するという事実を下敷きに、竹林とケイ素循環について観てみると、そこには引き離せない関係性があることがわかる。
実は、竹は他の植物よりもケイ素を循環させる性質が強いのだ。

竹が含まれるイネ科植物は他の植物よりケイ酸の要求が高く,そしてその含有率も高い。竹のリター(落葉)は他の植物と比較してケイ酸含有率が非常に高く、竹林の表層には多量のケイ酸が蓄積している。

タケに吸収されたケイ素は植物体中に植物ケイ酸物 (phytoliths:プラントオパール) として蓄積される.土壌中でその安定性は高いが、竹林はこのプラントオパールを溶解させ、新しい竹の生成に利用する。つまり竹林内でのケイ素の循環量や速度は他の植物に比べ非常に高いと言える。実際ケイ素を必須ミネラルとするのは竹を含むイネ科植物のみである。
最新の研究でも竹林ではケイ酸の循環量、速度が速いことが分かっている(下記図)。

Assessment of the influence of bamboo expansion on Si pools and fluxes in a disturbed subtropical evergreen broadleaved forest ( Xiaoyu Liu et al, Catena 2022)

ケイ素循環を軸とした独占

これまでの研究(鈴木茂雄,森林科学,2010)で、竹林では他の植生に比べ植物の多様性が著しく低いことが分かっている。鈴木の研究によれば竹林で生き残るのはツタ、クズ、テ イカ カズラなどのつる植物、ピサカキ、ヤブツバキ、アオキなど耐陰性の強い常緑広葉樹の実生。 またチャノキ、アカメガシワ、タラノキなどの先駆的樹種は竹林内に生じた小規模のギャップなどに見られたが成長は芳しくなかった。
つまり、ケイ素が溶脱しやすい環境で生育の早い竹は優占種となり、光を優位に独占し他の種を圧倒する。そしてその独占は地下ではより激しく起こっている。

地中の世界に生きるー動的な竹の姿ー

竹の地下に注目する前に、思い起こしておきたいことがある。竹の分布する土壌の特徴の2つ目である。
❷土壌は酸性、塩基養分やリン酸に乏しい
このような性質は一般的な植物にとって大きな成長ストレスとなる。例えば、広葉樹のような大型の木本類はミネラルを多く含み、実をつける時期にはリン酸を多く吸収する必要がある。酸性かつ低栄養の地域では生育不良、成長速度の低下がおこる。

一方、毎年勢いよくのびる竹がどうやって養分を吸収・蓄積しているのか、、それは竹の地下構造に秘密がある。

竹の地下根のネットワーク(近畿大学農学部)

地上ではつるつるの肌をして涼し気に直立している竹だが、地中ではぼつぼつした肌をして、巨大ミミズの群れのように絡み合い、曲がりくねっている。土の中の養分をどこまでも食い尽くす、この根の姿こそ竹の本質だと感じる。
そしてこれは1年ごとに数m伸びる地下茎の蓄積であり、ある種の家族形態とも捉えられている(下図)。実際竹の子産地では良い親竹を育て、地下茎を太くして、竹の子(子竹)をとるような管理をしている。


植物の新芽の形成には比較的多くの窒素分を必要とするが、低栄養環境であっても竹は、地上部の何倍もの地下に広がる強大な根を躍動させ養分を毎年蓄積することができる。さらにその地下茎のネットワークに蓄積した養分を適宜移動させ、窒素要求量の多い新しい芽(竹の子)に送っている(徳地直子ら,水利科学,2010)。例えるなら、代々蓄えた財力のある裕福な親からの仕送りを元手に一気に子(竹の子)が社会で芽を出すといったところだろう。
このように、どんなに低栄養の環境であっても養分・ミネラルを再利用(循環)させることでミネラルが不足することをから逃れている

では実をつけるのに欠かせないリン酸についてはというと、これもうまく不足から逃げ切っている。実は、竹は実をつけることをほぼしない。実がならないということは花も咲かない。リン酸がほとんど不要なのである。

竹開花のタイムスケールと不稔性の種

竹の花を見たことがあるだろうか?私はない。そして日本に竹林広しと言えど、ほとんどの日本人がその花をみることがない。
なぜなら竹の開花周期は60~120年に1度(孟宗竹60年?、真竹120年)。植物と言うより地質学的なスケールである。
中には花を咲かせた記録のない種類もある。孟宗竹は花を咲かせて、実をつけ、根まで枯れるが、真竹や破竹は花はつけても実はつけず、根が枯れることもないことが知られている。
これは繁茂した竹林全体に花を咲かせられるほどのリン酸などの養分やエネルギーを蓄積させるのに長い年月が必要であることの裏返しなのではないか。それゆえ孟宗竹のように種子をつくると根まで枯れてしまうものもあれば、真竹や破竹は種子をつくらないことを選択し根茎を生かして、そのまま無性生殖を繰り返して生き延びていく。いずれにしても竹は低リン酸条件の土壌に育つ中でで最もリスクのある「花を咲かすこと」を回避しているように思われる。

地形的極相としての竹林

竹の分布に関わる最後の土壌条件に話を進めます。
❸排水性が良く、土中の水が上から下へ流れる(soil water regume)
土なら当たり前だろうと思える性質だが、そうでもない。水田では排水性は悪く、水の下の方向への浸透は少ない。そして半乾燥地・乾燥地、あるいはビニールハウス栽培をしている農地の土壌では表土が常に乾燥するため水は地中から表層へ(下から上へ)移動する。実際、沼や潅水しないハウス栽培の農地で竹林の害を見聞きした経験がない

そして冒頭にあげたように、私の周辺の環境で竹林化が進んでいる場所はこの2つであった。
崖の崩壊面 
・畑や森林などの開墾跡地

いずれも植生の消失を伴うため、風化した土壌の上で勢いよく育つ竹が光を独占していく。また森林植生や一部の生産農地であっても、植生による物理的被覆による雨の遮断、蒸散による土中水分の吸い上げは土中の水分の動きに大きく影響する。植生がないことは直接土壌に降り注ぐ水の量を何倍も多くしてしまう。雨のような弱酸性条件でも土から溶出するケイ酸量が増え、竹の侵入をさらに加速させる。
崖の崩壊面については、相対的に有機物含量が低い次表層、下層土壌が露出することにより、表層があったときよりも風化によるケイ素溶脱が加速することが想像できる。つまり崖の崩壊面については竹植生がほぼ独占する可能性が高い。

竹の植生遷移

今から40年前、世界的な植物生態学者の沼田眞博士と世界的に Dr. Bamboo といわれた上田弘一郎博士は京都市洛西の急斜面で長年放置されてきたマダケとハチクの混生竹林で7年間にわたって生まれる竹と死んでいく竹の数を調査した。その結果、枯死発生率は若干高いものの、総じて、この竹林では「生まれる竹と死んでいく竹はほぼ同じで、生態的に安定した状態で推移している」とした。
つまり、この急斜面では竹林がある種の平衡状態をつくりあげていた。これは地形的極相植生であると結論づけられた。極相とは「植物群落の遷移の最終段階では群落と環境との間に一種の動的平衡状態が成立し、群落は安定して構造や組成が変化しないようになる」ことである。

例えばツンドラのタイガの針葉樹林帯。これはほぼ単相(1種独占型)の極相林であり、竹林についても同様に単相極相林と言える。極相林では多少の攪乱があっても安定して存在し続けることが知られている(タイガでも土壌での窒素・リン酸欠乏が顕著である)。
例えばタイガの針葉樹林帯では、ある程度の頻度で森林が雷などを原因とする自然発火により大規模な消失がおこる。それでも必ずまた同じ針葉樹林帯が形成される。それは優占種であるカラ松の実が煙でいぶされることにより発芽するという特殊な能力を持っているためである。
竹も相当な面積を皆伐しても数年のうちに竹林が再生していくのは、安定的な極相としての特徴とも思える。

竹という岩石植物

つまり竹林は湿潤地域の風化土壌に現れる極相林であると言える。ケイ酸の溶脱を伴う岩石風化が生じている中で、プラントオパールを生成しケイ素を蓄積することから岩石のような植生ともいえる。そしてその竹林と言う岩石は地質学的な時間経過が十分な養分の保持を達成するまで容易には風化しない。
つまり、他の植物種の植生遷移は植物的なタイムスケール(数十年~数百年)であっても、竹の植生遷移は起こらない、もしくは起こるとしても地質学的な時間(数千年~数万年)が必要になる可能性が高いと考えられる。

余談:竹は更新世の生き物?

これまで見てきた竹の生理・生態の傾向から考えると、更新世(258~1万年前)にかなり優位に繁茂したのではないかと推察できる。ほぼ氷河期であるが、実際はかなりの気温の変動があったため、河川や海水面の変動が大きかった。つまり花を咲かせても受粉がうまくいくかも、結実するかも不確定であるような時代を生き抜くには、劣悪な低栄養条件でも根にエネルギーを蓄え無性生殖が可能な種が有利に働くはずである。
比較的安定した完新世(1万年前から現在)においては局所的に竹林が残っているが、更新世からの風化産物で作られたような低栄養条件の土壌に分布しているのは、竹の種としての発達がこのような条件のもと起こったことの表れであろう。

土壌の肥沃化を伴わない植生発達は自然であっても生態として豊かではない

湿潤な熱帯では風化度の極めて強い土壌の上に、数千年、数万年かけてほぼすべての養分を保持・循環させる熱帯雨林が成立してきた。熱帯雨林の根は地中を張り巡り、ルートマット、樹齢数百~数千年という常緑樹の巨木が養分の蓄積を担っている。熱帯雨林では土壌はほぼ植生の物理的支柱でしかないため、植生の発達とともに土壌が肥沃化することはない。

このような傾向は竹林においても言える。そうするとこのような疑問がわいてくる。
自然な極相として発達した竹林を安定した平衡状態とみるべきなのだろうか、、それとも竹林をツンドラ同様の単一の植物相に閉じた栄養循環の形態としてとらえ、人間や他の生物に親和性の高い開けた生態系を創るような手入れをしていくべきなのだろうか。

この疑問については竹林が地形的極相となりやすい斜面地と人為的な空間が広がる平野部に分けて考えていく必要がある。

斜面地については自然に任せるということも選択肢としてあるだろう、ただそれは斜面崩壊によって被害が出ない斜面地の竹林についてだけである。

家屋や畑地といった人が存在する場所の傾斜地において、近年の1時間降雨量が10mmを越えるような大雨では地下茎の侵入が50㎝程度と浅い竹林構造では斜面崩壊を食い止める物理的な力が弱い。
減災の観点からもこのような状況では樫や椎のような常緑樹がある程度植生として存在するような手入れが必要であろう。

平野部に関しては昔の収奪的な里山のように人が一定量の養分を系外に持ち出すことで系内の養分蓄積がおこらず、極相が常緑樹林である地域であっても養分の収奪性の低い落葉樹林が優先植生となりやすいことが知られている。落葉樹ではリターの還元により土壌の肥沃化が進む、そのような環境では低栄養での繁殖力を持ち味とする竹ではなく他の草本・木本類が繁茂する可能性が高まる。
ただ、燃料革命以降、山に入る人はいなくなり、このような里山の循環モデルを維持することは現実的に難しくなっている。そもそも、竹林が風化強度の強い土壌の上に成立することを鑑みると、その土壌の性質の改良により安定した常緑樹・広葉樹の混合林の形成を促すことができるはずである。実際、人為による植生の更新・安定化の歴史は世界各地に遺っている。

風化土壌と人類 -anthrosols-

母材が劣化した風化土壌、アンドソルのような風化土壌に似た性質をもつ火山性土壌、、これらの分布域であっても歴史的にみると豊かな農業が営まれたことがわかっている。人間の活動が表層50㎝以上に重大な性質の変化として表れている土壌はアンスロソル(Anthrosols)に分類され、水田土壌などがわかりやすい例である。風化した土壌の分布域に残るアンスロソルの性質から、これまで人が低栄養の土とどう向き合ってきたのかがわかる事例を2つ紹介する。

アマゾンのTerraPreta 黒い土

極めて風化度の高い赤土土壌、フェラルソル(ラトソル)が分布するアマゾンの盆地に存在する、黒土「Terra Preta:テラプレタ」は極めて有機物と養分に富むことがわかっている。この土壌は古くは2500年程前から先住民のインディオが自然に干渉することで創り上げたもので「Terra Preta de Indio」インディオの黒土とも呼ばれ、その地域では奇跡とされるほどの生産力を今も保持している。

左がフェラソル、右がテラレプタ 
※コーンの生育の差、背景の森林の植生の違いにも注目(自然人テラレプタ)

テラプレタの特徴は非常に高い木炭含量と、大量の陶器破片、植物残渣、動物糞、魚や動物の骨などの人為的なゴミ(資源)の集積が見られることである。木炭はアマゾンの極めて浸食・風化強度の高い環境であっても、劣化・分解することなく養分保持を行うことができるため、その他の資源に含まれるミネラルや養分が溶脱されることなく植物の生育に利用できる。
テラプレタの深さは最大2mに及ぶところもあり、少なくともこのような管理が500年以上継続し、史跡の後から文明の発達があったこともわかっている。人が介入したことで新しい生態養分循環が産まれ、動植物の多様化と文明の発達を両立したということになる

埼玉のドロツケ オオムギの産地の成り立ち

文化土壌学の提唱者である藤原彰夫は「土壌と日本古代文化」を著した。その中でアンドソルのリン酸を固定する性質から、植物の利用できるリン酸が欠乏していることが生産性を阻害している最大の要因であり、日本の伝統農法の中にはそれを克服する手法があったとしている。その一例が埼玉県大宮台地で行われた畑への沖積土の客土「ドロツケ」である。
ドロツケとは荒川や支流の江川の河川敷で沖積土をすくいあげ、馬を使って畑地まで運搬し、一度堆積した沖積土と人糞、豆かすなどを混ぜて畑に施用する伝統的客土である。
もともと埼玉県の土壌は富士などから供給される新規テフラが堆積した黒ボク土(andosols)分布域であり、その土壌の理化学性は貧しい。しかし、大宮台地付近のドロツケが行われていた地域ではムギ類とりわけオオムギ生産が非常に盛 んな土地であり、「足立の大麦」 という銘柄で市場でも高く取引されていた(上尾百年史編集委員会1972)
その背景には1700年代か、それ以前から行われていたドロツケにより、発達した50㎝以上に及ぶ沖積土の客土層の存在がある。ドロツケによって客土された土壌は、ドロツケのない近隣土壌に比べ可給態リン酸が高く、溶脱ケイ酸が少ないという極めて肥沃な性質を持つことが確認されている(若林ら、2010)

このドロツケの文化は大正時代を境に衰退して、今は全く残っていないが、中世以降の農業書には全国各地で「泥ごえ」として沖積物が肥料として利用されていたこと、一部では売買されていたことも伺える。
ドロツケに似た文化は北西ヨーロッパにも存在し、プラッゲン農法として知られている。河川流域の鉱物交じりの泥炭を集め、家畜の寝床に敷き詰め、その後畑に施用する農法である。

左:ドロツケの行われた土壌 右:周辺の土壌(人為のない火山灰土壌)

人為に対する土着的解釈

テレプレタ、ドロツケという人の土壌環境への積極的な人為の介入は、生態系の肥沃化・多様化、そして人の社会の豊かさを生み出してきたように思える。
人の自然への介入はしばし、イデオロギーと結びついて社会を分断する傾向があるが、そもそも人間は自然の一部で、存在自体が自然への介入である。技術も知識も今よりも限られていた古代の人が築いたテラレプタは、そんなものがなくても人がいることでその生態系により高度な調和をもたらし、ひいては人間社会も豊かにしたことを示している。
然もすると農法、主義、原理、環境意識といった知識に片重しやすい昨今ではあるが、目の前の土地に根付いた土着の感覚からもたらされる知恵の豊かさこそ本質的な人間の生き物としての価値があるように思う。
頭を持ったミミズ、人間には大地でごちゃごちゃと混ぜ合わせること以上のお役目はない。それ以上のことは私たちにとってそう簡単ではなく、求められてもいるまい。世界平和や宇宙制覇は達成困難なお遊びとして気長に楽しむとして、自分の足元でミミズはミミズらしく土を掘るのがよろしい。少なくともアマゾンや埼玉の先人はそれでちょうどよいと思える暮らし方を営んでいただろう。

新たな平衡へ混ぜ合わせてゆく

竹林に話を戻すと、人間がより過ごしやすい場所したいのであれば、積極的な竹林生態・土壌への介入が必要である(もちろん場所や人によっては竹林を極相林として保存する道もあってよいだろう)。
まず竹林生態への介入は、やはり1m切りや点穴などによる竹林根茎システムの弱体化、常緑・落葉樹の実生木の保護などが有効であろう。
一方土壌への介入は、テラレプタ、ドロツケの事例を参考にすると、養分保持力のないアンドソルの性質を補うために、炭、骨・殻・海水、泥(水田側溝汚泥など)、有機物などを堆積させることが竹林生態系から混交林生態系への養分循環の要となる。今の時代では山林への産廃廃棄が問題になっているが、どうせ捨てるのであれば有用なものは山林の新しい生態循環に資する形で混ぜて堆積させてほしい。
介入もある程度すすめば新しい生態循環の平衡状態が成立したのち、人の手入れなしに自律的に機能するケースもある。そのような流れを生み出す資源の混ぜ合わせ方は地域や時代によって変わるだろうが、おそらくそこにいる脳あるミミズにしかなせないことだろう。

参考文献

竹類の生育におよぼす珪酸の影響について 上田, 弘一郎; 上田, 晋之助  京都大学農学部演習林報告 = BULLETIN OF THE KYOTO
UNIVERSITY FORESTS (1961), 33: 79-99
▼world refernce base for soil resources atlas  1998(FAO-UNESCO)
大宮台地における伝統客土 「ド ロ ツ ケ 」 による人為的土 壌生 成 とその農業的意義*若 林 正 吉 日本土壌肥料学会


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