【29歳無職日記】マクドナルドとの距離感
2024年11月16日
久しぶりにマクドナルドへ行った。
「ダブルチーズバーガーセット、サイドポテトで、ドリンクはアイスコーヒー。追加でチキンナゲット5個入、ソースはバーベキューソースで。」
幾度となく繰り返してきたその呪文を久しぶりに唱えて、ひとりで店内で味わった。
学生時代、社会人入りたての時期を思い返せば、いつだって隣にマクドナルドがあった。
上記のフルコースを頼むときはいつだって、自分へのご褒美だった。毎日がしんどくて、苦しくて、そんな中で頑張った自分へのご褒美。
裏切られたことなんて一度もない。いつだって同じ濃さで、同じハイカロリーを提供してくれた。
思い出はフルコースだけじゃない。お金のなかった学生時代、居酒屋をはしごするお金なんてなくて、24時間営業のマクドナルドに駆け込んで、友人はコーヒーのS、私はマックシェイクのSサイズを片手に何時間も語り合ったあの時間のことを忘れることなんてきっと、これからもないのだと思うほどに、本当にかけがえがない。
「マック」ではなく「マクド」と呼ばれる文化圏の愛称に最初は困惑をしながらも、恐る恐る「マクド」とさりげなく会話の中に紛れ込ませたときのあの、なんともいえない、仲間入りの感覚だって、きっと私は忘れない。
ポテトMサイズとチキンナゲット5個入だけをオーダーするという、ちょうどいい感にハマったこともあった。特にひとりで何かしら試験や課題に追われているとき、休日に残った仕事をこなしているときなんかは本当にちょうどいい。ほどよく脳に、いい塩梅で栄養補給をしてくれる。満腹にならないからこそ、眠気がほどよく緩和され、脳がよく働いてくれるのだ。
病めるときも、すこやかなるときも
私の隣で支えてくれていたそんなマクドナルド
行く機会もここ最近段々と少なくなり
多いときで週に4回、最低でも週に1回は訪れていたその場所が、3か月に1回、半年に1回、1年に1回になり、私の記憶が正しければ、今回は、約2年ぶりのマクドナルドだったような気がしている。
メニューの中で一番中毒性があったのはポテトだ。個人的に世界で一番おいしいポテトだと思っている。たいがい、あのポテトを食べたくなって、どうしようもなくなって気が付いたらマクドナルドに行っていたことなんて、数えきれないほどにたくさんある。
「昨日はつらかったけど頑張ったから、ご褒美にマクドナルドに行こう」
久しぶりに極度のストレスを感じてしまったある出来事があって、私は久しぶりにフルコースのセットを食べにマクドナルドへ向かったのだった。
久しぶりのセット、おいしかった。
おいしくて、めちゃくちゃ久しぶりのフルコースなのに、そういえば、しんどいことがあるたびに、このセットに励まされて、自分頑張ってたなって、自分が一生懸命に努力してきた日々を振り返って、勝手にひとりでエモさを感じた。
ひとしきり味わって、最後までアイスコーヒーを飲み切って、いつものように蓋を開けて、氷を少しガリガリして、今度また、ここに来るのはいつになるのだろう。とそんなことを思った。
振り返れば明らかに、私がマクドナルドへ足を運ぶ頻度は減っている。
きっとこの先、その頻度が減ることはあっても、増えることってもしかするとないんじゃないかと思ったりもする。
まるで、ここ最近の友人関係みたいだ。とそう思った。
いつだって隣にマクドナルドがあったあの時代。友人たちと会うことも気軽だった。深夜であってもいつだって、会って、同じ温度で会話することができていた。
それが、29歳にもなれば、私がマクドナルドへ行く頻度に比例して、どんどん会う機会が少なくなってきている。たぶん、減ることはあっても、増えることはきっとないのかもしれない。
次いつ会えるのかはわからない。けど絶対ゼロにはしたくない。そんなことを思った。
たとえば、マクドナルドへ行かなかったとしても、ふと通りかかった看板を見て、あの頃の自分を思い出して、浸って、たまには立ち止まって過去に勇気をもらいたいとそう思う。
友人関係だってそう。お互いの環境が変わって会えなくなったとしても、ふと流れてきた音楽を聞いて、あの頃の友人との想い出に浸って、懐かしみ、ひとりじゃないことを確認したいとそう思う。
そして、数年と月日が流れた頃にまた
「そういえば、会いにいきたい」
そう思って、連絡をとって、会いにいって、あの頃と同じように同じ温度で、変わらぬカロリーでひとときを過ごして、その時間を力に変えて生きてゆけたなら。それだけで十分で、一番ちょうどいい。
これがなんだか大人の、マクドナルドとの、人との距離感の取り方なのかもしれない。そんなことを思ったひととき。