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小説を書くということ


幼い頃から、小説を読むことが好きだった。
もちろん、大人になってもそれは変わらない。いろんなことがあって、一時期、小説を読めなくなった期間もあったし、あるときは、小説を読んだところで何も得ることはないからと、ピカピカの革靴を履いた彼にビジネス書を読むことを美化されて押し付けられて、凹んだこともあった。
けれど、私は今日も小説を読んでいる。

小説には足跡がある。たくさんの人々の人生の足跡がそこにはある。別に目立つ必要はない。
大谷翔平みたいに目立たなくても、テレビにだって映らなくても、ごくごく普通の、ありふれた生活を送っているように見える人たちだって、小説の中では物語の中心、主人公になりうる。そしてときに人を勇気づける足跡を残す。

そんな小説の世界観が好きで、いつか自分の足跡を記してみたい。そう思っていた矢先、noteの創作大賞の記事を見つけたので、自分自身の手で小説を書いてみることにした。

主語をどうするかでつまづく

私がまず、小説を書き始めるにあたってぶち当たった壁だった。
自分だけの主語で語れるエッセイや日記とは違い、小説には登場人物なるものが登場する。仮に主人公が自分自身を模したものであったとしても、それもまた一登場人物として、その物語を形成していく。
あたりまえだけれど、その登場人物には、1人1人に人物設定があって、それを読みやすいように説明しながら物語を進めていかなければならない。

というあたりまえのような、けれどはじめての経験に困惑しながらも、とりあえず普段私が読んでいる小説たちから学びを得ることにした。

10冊くらい家にある小説の最初らへんのページを開いてみて、分類してみると、主人公の主語について、2パターンあることに気づいた。

1つ目は、主語が名前で、語られているパターン。例えば、「恵子は40歳、アルバイトとして、長年この職場に勤めている。」みたいなかんじで、主語を主人公の名前を使って物語が進む。

2つ目は、上記とは異なり、主人公に名前はあるのだけれど、語り手である主人公の目線で「私」や「僕」という一人称が使われているパターンだった。

1つ目のパターンの場合、複数人の登場人物が登場するにあたっては、その人となりをわかりやすく説明することが容易だなと気づいた。
ただ、今から私自身が書こうとしている小説は、あくまで物語の主人公は自分で、自分の経験をもとにしているものだったので、「私」という一人称を使った方が書きやすい。それに、私が愛読しているよしもとばななさんの小説も主人公が「私」という一人称を使用していることに気づいたので、私は2つ目のパターンで小説を書くことに決めた。

ここを決めることができたあとは、意外とスムーズに文章を書くことができた。
ここが決まる前は、途中で何をどう書いているかわからなくなってきてしまっていたので、意外にも小説を書きはじめるにあたって、主語をどう設定するのかは重要な要素だと学びになった。

結末をどうするかをある程度決めておく

逆に結末を決めずにとりあえず書きはじめていた自分もある意味猛者だと思う。
とりあえずなんとかなるさで書きはじめた小説は、ものの1万字を超えたあたりで何を書いているのか自分でもわからなくなり、一気にモチベーションが下がった。ただでさえ、飽き性の性格をしている私だから、何度も途中で書くこと自体をあきらめそうになった。

けれど、途中でそういえば、どういう話を書きたかったんだっけ、どういうことをこの小説を通じて伝えたかったんだっけと、あたりまえのようで忘れがちな原点に立ち返ることができた自分に拍手を送りたい。

そうやって原点に立ち返って、小説の結末が決まると、驚くほどにまた、書くことが苦じゃなくなった。
それに、結末を決めて、その結末を書きたいと思ったとき、そのためにはそれまでの物語を書ききらなければ結末は書けないので、一気にモチベが上がって、そういう意味でも結末をある程度決めておくことは大切だなと感じた。


どこまでを事実に、どこまでを空想に耽るか

そうやって小説を書き進めると、今まで書いていたようなエッセイなどとはまた違った新しい楽しさを発見することができたように思う。
基本、私はエッセイなどの記事を書くとき、比較的事実を忠実に書くことに注力していたのだけれど、小説というものはあくまで物語、どこまでを事実に忠実に描いて、どこからを空想に耽って描くのかは書き手の自由だということに気づく。
この境界線をどこに位置付けるのかを、自分の頭の中でぐるぐると試行錯誤しながら書くことは、想像以上に面白く、楽しかった。
むしろ、その作業こそ、小説を書くことの醍醐味だと思った。
でも、小説を書いている友だちに小説を書いたあとに連絡してみると、意外にも、自分の実体験とは異なるまったく別人物として小説を描く人もいるらしいことを知る。
私には、想像もつかないくらいすごいことだと思った。
どうやったら、歩んだことのない人の人生を忠実に描くことができるのだろうと。
けれど、世の中のたくさん小説を出している作家さんたちは、驚くほどに人物背景の違った物語を描くこともできるわけで、、小説は奥が深いなと思った。

なにはともあれ

小説書くことは楽しい

と思えたことは、今回小説をはじめて書いてみての1番の学びだったと思う。
またこれからも、小説を書いていきたい。

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