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幡野広志さんへ。

はじめまして。はると申します。
以前、旦那のDVに苦しみ別居を決意したnoteを書いたとき、幡野さんが読みに来てくださりTwitterでシェアをしてくれたおかげで、たくさんの方がnoteを読んでくださり、サポートやコメント、シェアという形で応援してくださったことがありました。別居を決意できたのも幡野さんの書籍の言葉に後押しされた部分が大きかったので、今でもそのことを心から感謝しております。


今回、炎上に繋がった幡野さんの記事を読みました。私と同じ、DV被害に苦しむ女性からの相談でした。記事が削除されている以上、詳しい内容に言及するのはルール違反だと思うので、詳細に触れるつもりはありません。ただ、DV被害の当事者であった私がお伝えできることがあると感じたので、散々迷いましたが、このnoteを書こうと決めました。読んでもらえるかわからないし、失礼に当たる部分もあるかもしれません。ただ、Twitterの140文字では到底伝えきれない想いがありますので、こうして書いています。

今回幡野さんは、ご自身のDVに関する知識が足りなくてこのような結果を招いてしまったと謝罪されています。知識がないから嘘だと思った。そういう現実が幾らでもあることを知らなかった。だから相談者様の文章を読んで、「大袈裟に言っている」「嘘をついている」と断定するかのような書き方をしてしまったのだと、そのように受け取れる謝罪文を読みました。記事を削除されたあとの相談者様とのやり取りも拝見しました。

そのなかでも幡野さんご自身が仰られているように、今回の相談者様のようなケースは幾らでもあります。現に私自身、旦那の親に理解不能な罵詈雑言や取り調べのような尋問を受けたこともありました。幡野さん、並びにcakes編集に携わる方々に知っておいてほしいと感じたことを、大きく分けて二つ述べます。


DV被害者は、加害者本人から日常的に脅されて抑圧状態にある毎日を過ごしています。そのなかで加害者が被害者によく使う脅し文句があります。
「お前の言うことなんて誰も信じない」
私自身、この台詞を旦那や旦那の父親から何度も言われてきました。毎日ではありません。普通の生活を営んでいる日ももちろんあります。虐待でもDVでも同じなのですが、24時間365日虐げられているわけではなく、日常のなかのふとした瞬間に狂気が織り込まれるのです。やさしい一面を間に挟みながら、暴力的な発言や直接的な暴行、性行為の強要、モラルハラスメント等が行われます。精神力を削られていく日々のなかで、上記の脅しを折につけ吹き込まれる場合があるということを、まずは知って頂きたいと思います。

「信じない」というフレーズは、被害者がSOSを出すために振り絞る勇気を簡単に挫いてしまいます。
第三者だけではなく、加害者サイドが脅しで使う言葉であるということ。その重み、言葉の威力を今一度考えて頂けたらと思います。 


もう一つ、これは今回の相談者様がそうだというわけではなく、あくまでも確率の話になります。
DV被害に合っている女性のなかには、少なくない割合で虐待体験を持っている方、機能不全家庭で育った方が見受けられます。私自身もそれに当たります。また、今まで個人的に相談に乗ってきた体感や通っている精神科の医師の話を聞くぶんに、その感覚に大きなズレはないものと思っています。

医師の話によると、虐待体験がある方は、通常の人の何倍も我慢強いそうです。それは、そうせざるを得ない環境での生活を長年強いられてきた結果でしょう。異を唱えるなど許されず、どんなに理不尽な目にあっても怒る権利はなく、自分が悪くなくても「ごめんなさい」と言わざるを得ない。そういう環境で10年、20年と生きていれば、そうなるのは当たり前です。

嫌なことをされたとき、瞬間的に怒るには瞬発力が必要です。その部分を幼少期にごりごりに削り取られているので、どんなに嫌だと思っても何も言わずに我慢してしまう。そして、溜め込んだ怒りをある日唐突に爆発させてしまう場合もあります。溜め込んできたぶん、制御は不可能です。だからこそ、虐待体験によるトラウマを持っている人には専門的なケアが必要なのです。

虐待被害者の多くは、「助けてもらえない」体験を数多く味わってきています。また、DV加害者と同じように、親は子どもに脅し文句を使います。
私の父の常套句も、
「誰も信じない」でした。「みんなお前が悪いと言うよ」と、そう脅されながら、両親の気分次第で様々な虐待を受けました。
裸足で逃げ出し、夜道を走った回数をもはや覚えていません。両手の数より多かったことだけはたしかです。大人たちは、不審そうに見ていました。でも、誰も助けてくれませんでした。誰も、通報なんてしてくれませんでした。そういう現実は、幾らでもあります。


今回の記事の相談者様がどのような家庭環境で育っているのか、私にはわかりません。ただ、幡野さんの回答を受けて強く憤っている方々のなかに、私と同じように虐待、DVを両方体験されている方が多くいるように見受けられました。
私を虐待したのは私の両親であり、私にDVをしたのは私の旦那です。私に「お前が悪い」と言ったのも、「誰も信じない」と言ったのも、幡野さんではありません。その境界線は、明確に区切る必要があります。
その上でお伝えしたいのが、このような体験があると、同じような発言をしている人を見かけたとき、強いフラッシュバックに襲われたり、酷い場合には希死念慮に駆られてしまう場合も往々にしてあるという事実です。それは本人がコントロールできるものではなく、衝動に近い感覚であると認識して頂けたらと思います。強い怒りを抑えられないほどあの記事の内容に傷ついた人たちの背景を、少しでも知って頂きたい。そう思い、こうして書いています。


今回、記事が炎上したことを受けて、たくさんの意見を目にされているだろうと思います。今更こんなこと言われなくても分かっている、と感じるかもしれません。ただ、今日幡野さんが出された謝罪文を読んで、上記の2点をまずは知ってほしいと思いました。また、相談者様の書かれた一文。

ごめんなさい、正直これ以上傷つきたくないのが本音です。

この一文をどんな想いで書かれたのか。それをたくさん、想像して頂きたいです。
文頭に付いている「ごめんなさい」
本来、この方は謝らなければいけないようなことはしていません。ただ、それでも精一杯の勇気を出してそのあとに続く一文を書いたはずです。


幡野さんの一存で出た記事ではなく、cakesという媒体から出た記事なので、編集の方やそれに関わる方々が今後考えるべきことはたくさんあると思います。何故、数多く寄せられているであろう相談の中から、わざわざ「嘘だ」と断定した相談内容を採用したのか。また、何故あの記事を読んでこれだけの人間が傷つく事態になると予測できなかったのか。

メディアが大きければ大きいほど、記事が周囲に与える影響は大きいものです。あの記事を読んで「相談者は嘘つきだ」とたくさんの人が乗っかり、Twitter上でシェアされていく様を見て、相談者様がどんな気持ちだったか。場合によっては命を落としていたかもしれないという可能性を、今後決して忘れてはならないと思います。これは特に、cakesの編集に携わる方々にお伝えしたい部分です。


この記事を読んだ日のこと、この記事で紹介されている書籍を読んだ翌日に別居先のアパートを借りた日のことを、今でも鮮明に覚えています。

恩人である幡野さんにこのような意見を述べるのは、恩知らずに当たるのではないかと散々考えました。しかし、自身の体験から伝えられるものがあるなら、伝えたいと思いました。私は、そのために此処で文章を書いているので。


この連載でも、ぼくは相談にたいして、息子から聞かれたと想像して答えています。息子からの相談であれば、こちらも真剣に答えてあげなければと考えるようになるから。

幡野さんの書籍の言葉です。私はこの言葉がきっかけで、幡野さんの本を買いました。そして、その書籍のなかに書かれていた一文に背中を押してもらい、旦那のDVから逃れることができました。

伝え、人の心を守るために言葉はあると思います。どうか、今一度考えてほしいです。何のために書くのか。何を伝えたくて書くのか。


私自身、これからも考え続けます。書き続ける限り、そこを考えるのをやめるべきではないと思うから。

不躾なお手紙、失礼しました。もしも最後まで読んでくださったなら、とても嬉しく思います。


2020年10月27日。はる。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。