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花束、受け取りました。

本日、とあるエッセイストが書籍を出版した。

ちゃこさんと出会ったのは、私がnoteの街に来てすぐのことだった。おすすめユーザーの中から気になるタイトルを選び、読みに行ったのが始まりだったと記憶している。

微炭酸エッセイを得意とするちゃこさんの文章は、少しひりっとした痛みを伴う。でもその痛みは、人をむやみやたらに傷つけるものではない。むしろ「痛みを感じていいのだ」と思える、人の痛みに寄り添ってくれる温かさを孕んでいる。

今回出版された書籍には、恋にまつわるエッセイが15編綴られている。そのどれもがハッピーエンドとは言えない。しかし、だからこそ今のちゃこさんが在る。これらの恋を経て、「エッセイの花束」は鮮やかな彩りを持って、たくさんの人の手に届いたのだ。ちゃこさんという、唯一無二の書き手によって。


自分の文章を本にする。その道のりは、簡単なものではない。それでも、何もしなければ前に進むことはあり得ない。
ちゃこさんは自ら踏み出した。その一歩はとても大きく、周りの人たちの背中さえも力強く押してくれた。もちろん、私自身の背中も。


私自身のプライベートな話になるが、現在離婚を前提とした別居をしている。そこに行きつくまでには、様々な葛藤があった。痛みや苦しみ、悲しみがあった。でも、私と旦那が出会ったとき、そこにはちゃんと「恋」が在った。昨日ようやく、そのエピソードの一つをnoteに書くことができた。書けなかったのだ。楽しい思い出ほど、別れを目前にするとその痛みは増してしまう。だから、見たくなかった。ないものにしてしまいたかった。何もかも憎みきれたら、どれほど楽だろうと思った。

そんなことできっこないのに。恋をした記憶を捨て去ることなんて、できるわけがなかったのに。


恋なんてまっぴらだ。もう二度とごめんだ。

そんな感情が自分のなかにないと言ったら嘘になる。それでも今朝、一気にちゃこさんの本を読んで「おわりに」の言葉に辿り着いたとき、溢れるように涙が出た。そこには、私が大好きなちゃこさんのワンフレーズが織り込まれていた。その言葉は、私が道しるべとしている言葉でもあった。
寄り添うように書かれた言葉の数々を、みっともないほど泣きながら、鼻をかみながら読んだ。いや、食べた。それこそ、むしゃむしゃと。そうしたら、本当に”再生”できる気がした。今すぐは無理でも、いつの日にか。


人を想う。恋をする。それによって得られる感情は、綺麗なものばかりではない。だからこそ、恋には力があるのだろう。人の痛みに寄り添える優しさを、傷つきながら学ぶのだろう。

恋なんてまっぴらだ。そう思っている今の私が、もしもまた新しい恋をできる日がきたとしたら。そのときは、真っ先にちゃこさんに報告したい。この本を読みながら鼻を真っ赤にした今日のことを、思い出話にしながら。


本文のみならず、表紙イラスト、著者紹介文、顔写真、編集者さんに至るまで、noteクリエイターの皆さんの力が集結して出来上がったこの作品は、ちゃこさんの宝ものであり、読み手の私たちにとっても宝ものだ。

書いていくことは、読んでいくことと地続きであると思う。素晴らしい書き手の文章を心ゆくまで味わう時間は、かけがえのないものだ。その時間を通して蓄えた栄養が、いずれ自身の「書きたい」に繋がっていく。


ちゃこさん、本当におめでとう。
素敵な花束、たしかに受け取りました。愛を込めて、その花束を食べます。むしゃむしゃと食べて、蓄えて、その先へと繋げていきます。

表しきれないあなたへの愛と、精一杯の感謝を込めて。

はる。

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