風を切る君の横顔に、もう何度目かの恋をする。
この記事は、エッセイ部分を全て無料で読めます。ぜひ最後まで読んで頂けたらと思います。
走っていた。毎日、息が上がるほどに走り続けていた。理由はたった一つ、最愛の息子を死なせないため。
長男は、非常に活発な子どもだった。寝返りで部屋の端から端まで転がり続け、つたい歩きの時期はとても短く、歩き始めたと思ったら走り出していた。走れるようになった彼は、いつも風のように走っていた。
お母さんと小さな子どもが、手を繋いでてくてくと歩く。よく見かけるそんな光景に憧れがあった。歩きながら道端の花を眺めて、「綺麗だね」なんて微笑みながら散歩をする。黄色のタンポポを見て、「春だねぇ」と呟く。そういう親子を横目に見ながら、私はいつも髪を振り乱して走っていた。
待って、止まって、お願いだから飛び出さないで、手を繋いで、お願い。
念仏のようにそう言いながら、まだ小さいのにやたら足の速い息子を追いかける毎日。遅れてスタートすると追い付けない。瞬発力抜群の息子に追い付くには、同時に走り出す必要があった。
息子は、好奇心の塊だった。厄介なことに大型トラックとバイクが大好きだった。大型トラックはトランスフォーマーに、バイクは仮面ライダーに変身するものだと思い込んでいたらしい。彼はそれらを見かけると、平気で道路に飛び出そうとした。
「ひかれちゃうってば!!」
そう叫びながら暴れる息子を押さえつける。ただただ疲れ果てる毎日は、思い描いていたようなきらきらしたものじゃなかった。癇癪を起す息子の隣で一緒になって癇癪を起したことも、一度や二度ではない。
昼間は走り続け、夜には盛大な夜泣きがあった。昼間興奮させ過ぎるからなんじゃないか、とか。この食べ物がいいんじゃないか、とか。育児書や周りの声を頼りにあれこれ試してみたものの、一向に夜泣きは治まらなかった。
「〇〇したら、改善しますよ」
そういう類のもので息子に当てはまるものが、何もなかった。彼のパワーは、育児書や私の固定概念をものの見事に吹き飛ばした。
こうしたら眠るようになりますよ。
こうしたら行動が落ち着きますよ。
こうしたら手を繋いで歩いてくれるようになりますよ。
こうしたら、こうしたら、こうしたら。
全部試して全部だめだった私の行きついた答えは、「こうさせたい」を捨てる、という至ってシンプルなものだった。
息子は私の子どもだけれど、私の所有物ではない。息子は私から生まれてきたけれど、私の分身ではない。
誰かのお手本になって欲しいわけでも、優等生になって欲しいわけでもなかった。
私は彼が産まれたとき、ただただ「ありがとう」と思った。
「産まれてきてくれて、ありがとう」
そう、思った。
そんな当たり前のことを、ようやく思い出した。
幼少期は公園でお友だちと触れ合いの時間を持ちましょう。
公園にはなるべく歩いて行きましょう。道中を歩きながら、季節を感じましょう。
ご飯を食べなければすぐに引き上げてしまいましょう。座らないようであれば座るまでご飯はあげないようにしましょう。
たくさんのことが「間違いありません」というように書かれた育児書を、ゴミ箱に放り投げた。目の前の我が子は、世界にたった一人だ。彼には彼の生き方がある。
狭くてすぐに飛び出してしまう公園に行くのをやめた。そして、どこまでも境界線のない広い野山や海に車で連れて行った。道中でなくとも自然は感じられる。車に引かれる危険を冒して怒鳴りながら腕を引っ掴んで走る道のりより、のびのびと走れる砂浜の方が余程安全だ。そして、何より私が幸せだった。
おにぎりを持って行き、走ったり木登りをしたりする合間に少しづつ食べさせた。座っていられない息子は、ご飯の時間があまり好きではなかった。正確に言うと、ご飯は好きだったが座っていることを強要されることが嫌いだった。外遊びの最中に食べさせるようになってから、ようやく息子の体重は標準グラフに差し掛かった。
命の危険に繋がることをしたときに怒ってしまう自分を責めるのをやめた。咄嗟のときに悲鳴のような声が出てしまうのは、おそらく母親の本能だ。「もう~、そんなことしたら死んじゃうでしょう」なんて呑気に穏やかに言っている間に、間違いなく息子は死んでしまう。「危ない!!」と叫んで身体を押さえて命を守る。そんな当たり前のことにまでいちいち罪悪感なんて感じていたら、この子を育てられない。守れない。
規定外の子育てをするようになってしばらく経ったある日、海で夕焼けを見ながら、息子が言った。
「おかあさん、みて。うみがもえてる。うみがもえたら、よるがくるんだよね」
そのときの彼の横顔は、今でも目に焼き付いている。橙色に染まった小さな頬は、微かに上気していた。素晴らしい発見をしたかのように、その目はきらきらと輝いていた。その横顔を見たとき、”これで良いのだ”と思えた。
数年後、息子の夜泣きの原因がHSPであったことを知った。度々起こる癇癪も、テレビのニュースを見ただけで体調を崩すことも、そこに起因するものだった。
原因が分かって、喉の小骨が取れたような気がした。でも同時に、その症状を枕詞にはしたくない、とも思った。私は「HSPの息子」を育てているわけではなく、一人の人間を育てているに過ぎない。何なら、育てられているに過ぎない。
これからもきっと、色々なことがあるのだろう。そのたびに、私は育てられていくのだろう。
好きなだけ裸足で走り続けて大きくなった彼は、運動会の選抜リレーで赤いハチマキを付け、トレードマークの坊主頭で風を切って走る。
そんな息子の横顔は、世界一格好良いと本気で思っている。
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海のことば、空のいろ
少し深めのエッセイ。創作にまつわるエピソード。時々、小説。 海の傍で生きてきた私のなかにある、たくさんの“いろ”と“ことば”たち。より自…
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