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【たとえ、声が枯れても】

映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」を鑑賞した。向き合うのに胆力が必要だったが、今、この作品に出会えてよかったと心から思う。

鑑賞後、コラムを書くまでに、あえて1日時間を置いた。映画のテーマと重なる原体験を持つ私には、頭を冷やす時間が必要だった。

いつも以上に丁寧に文献を読み返し、ネット上に散らばる情報の中から一時情報を洗い出し、「私の主観」ではない「事実」を確認した。“私の思い”だけではなく、客観的事実を踏まえた記事にしたかった。そうしなければ、今の私は感情に寄りすぎてしまう。それでは、本当に届けたい人に、言葉が届かない。

書きながら、強く強く祈った。
どうか、彼女たちの声が、世界中で上がっている被害者たちの声が、私の声が、然るべきところへ届きますように、と。

以下、性暴力に関する記載があります。また、映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」の内容の一部に触れております。
読み進めるかどうかのご判断は、各自でお願いいたします。

◇◇◇

映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け(以下「SHE SAID」)」は、実話をもとに創られている。

2017年、NYタイムズ紙が、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラ・性的暴行事件の告発記事を報道した。記事公開後、多くの被害女性たちが、ワインスタインから受けた性暴力を告発。その動きは、やがて国を超え、性犯罪被害の告白を世界的に促す#MeToo運動へとつながった。

告発記事が世に出るまで、調査報道を主に担当したのは、ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンター。二人の記者は、度重なる嫌がらせや圧力に屈することなく、仲間たちと力を合わせ、真実を白日の下に晒した。

もう誰も、理不尽な被害に苦しむことのないように。被害者の命や尊厳が、奪われることのないように。

ミーガンとジョディは、きっとそれだけを祈っていただろう。どんな壁にぶち当たろうとも、やりきれない現実を見せつけられようとも、彼女たちは決して諦めなかった。

映画コラムには記さなかったが、私は、性虐待被害のサバイバーである。そのため、本作を鑑賞中、フラッシュバックに襲われるのは免れなかった。それでも、私は本作を観たかったし、どうしてもコラムが書きたかった。なぜなら、それが私にできる“唯一のこと”だからだ。

実際に映画を観て、辛い場面もあったけれど、被害者の声が世の中に届いた事実に救われる思いがした。

性被害において、声を上げた被害者を叩く風潮は未だ無くならない。加害者ではなく、なぜ被害者を叩くのか。そこには、歪んだ認識による思い込みや、加害者が知人であるがゆえのバイアスが関係しているように思う。

「被害者さえ黙っていてくれれば、波風立たずに済んだのに」

そのように捉えられる言動を、過去、直接加害側からぶつけられたことがある。責任を被害者になすりつければ、加害者の罪が軽くなるとでも思っているのだろうか。「そんなわけないだろう」と、声を大にして言いたい。

性被害そのものの撲滅はもちろんのこと、蔓延する二次加害を食い止めなければ、最悪の結果はいくらでも起こる。

虐待被害の実態を訴える際にも、何度も何度も書いてきた。

死んでから騒いだって、遅いんだ。

もう誰も、理不尽な目に遭ってほしくない。何も悪くないのに、罵詈雑言を浴びせられて魂を潰されてほしくない。もう誰にも、死んでほしくない。

性暴力被害者の痛みは、骨の髄まで染み渡るほど苦しいもので、数年、数十年経っても忘れられるものじゃない。耐え難い苦痛に日夜苛まれ、それでも歯を食いしばって戦い続ける被害者の背中を蹴りつけるような真似は、もうやめてほしい。どのような発言が二次加害に当たるのか、知らないのなら学んでほしい。

多くの苦痛をもたらす二次加害に晒されながら、被害者が声を上げなくても済む社会。それこそが、本来の正しい姿であると思う。何より、性加害は「決して許されない」もので、「被害者は何も悪くない」という当たり前のことが、全世界の共通認識であってほしい。

コラム本文より引用

被害者は悪くない。あなたは、悪くない。

その言葉ひとつで、救われる心がある。
被害者には、助言よりも、叱咤よりも、何よりもまず、寄り添いと支援を。そして、加害者には然るべき厳罰を。

#MeToo

このハッシュタグが、要らない世の中であれ。
その日がくるまで、私は黙らない。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。