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夜中、トイレでわんわん泣いた日。

溜まり溜まったものがもう限界でした。コロナと騒ぎ始めて1年半。ずっとずっと自粛背して、様々なことをずっとずっと我慢して。それでも「半年後は」「1年後」はなんて期待をもって生活してきたけど、今もひどい状況。

テレビをつければ○人感染、○人で会食、新たな変異株、オリンピック。

オリンピックはメダル取れて良かったな、とは思う反面、なんだかんだ大舞台で出来て良かったですね、なんて捻くれた考えも持ってしまう。それはせっかくの夏休みも、というより夏休み以前から外出を自粛し、さらに子供達の行事が中止になったり短縮になったりと、そういう変更をことごとくうけてきた、「こっちは残念なのに」と思う気持ちからだろう。

2020年の春は家族旅行に行きたかった。次男も少し大きくなったし、長男が年長さんに上がるタイミングで一度家族で思い出を作りたかった。ディズニーランドにも連れて行ってあげたかった。

でもその頃はコロナが出始め、1回目の緊急事態宣言が発令したため諦めた。来年は行けたらいいなと当時は思っていた。

時は流れて2021年夏休み。子供達と過ごす毎日は大変だ。毎日の家事に朝から晩まで兄弟喧嘩、「お母さん!お母さん!」。宿題。YouTubeやゲームも時間を決めてみせているし、やらせてしまっているが、その間「本当にこれで良いのか」と自問自答だ。色々言ったらキリがない。

それでも今が1番小さい子供達、1か月ちょっとの夏休み、楽しく過ごそうと思った。

自宅プールにかき氷、ホットケーキ作り、おうち縁日、夜は手持ち花火、自宅周辺で虫取り…

もうすぐ夏休みも終わる、学校や幼稚園が始まれば1人の時間が多少出来る。平日は数回仕事へ行き、自分だけの適当なごはんで良い。それだけで気が楽だと思った。

しかし、どんどん増える感染。東京で5000人代なんて「まさか」なんて思っていたが、あっという間に超えた。私が住んでいる茨城県も着々と増えていた。

発令された緊急事態宣言。休校休園、オンライン授業。仕方ない。感染も怖いし、仕方ない。仕事復帰した私、また仕事を休まなければならない。(職場の方がまた優しいのが申し訳なく思う)

まただ。

また変更だ。また予定通りにことが進まない。仕方ない。仕方ないが、こうも毎回だと気持ちの整理がつかない。やりたいことがあるのに、コロナで潰される。モヤモヤとした気持ちをずっと無理やり押し込めて片付けていたつもりだったが、ついに入らなくなった。

寝室で目を閉じる。泣くもんか、泣くもんか、泣いたって現実は変わらないなんて思うが、もう止まらない。子供達が起きてはいけないと思い、トイレに入る。

もう限界だ。辛くて悲しくて。久々にわんわん泣いた。色々なことを思い出しては、泣いた。子供のように泣いた。

私は迷惑をかけているのに、それでも優しい人がいる。私を心配してくれる人、話しを聞いてくれる人、それを思うだけでも嬉しくて涙が出た。

家族に相談は?と思うかもしれないが、現在多忙を極める主人には言えなかった。むしろ主人は気づいている。けど、お互いが今それぞれの場所でいっぱいいっぱいだから、あえて何も言わないのだ。決して不仲でもないし、不満爆発!というわけでもないのだが、お互いがギリギリの時はこれが最善の策なのである。必要なことを最低限だけの会話をする。私は主人が好きなチョコをそっと渡す、主人は冷蔵庫にそっとビールを買っておいてくれる。それが私たちなりの励ましの形なのだ。土日になれば多少なりの時間もあるし、会話も増える。その時に冷静になって話せば良いと思っている。

話しは戻って、わんわん泣いて多少気分がスッキリした。泣いてしまったなーなんて思いながら寝室に戻って、SixTONESの動画を観て、ジェシーをみて、また静かに泣く。

こういう時、推しがいることは幸せだ。また頑張ろうって思えるから。

泣くことも悪くない。

私も1人の人間だし、もともと私は泣き虫だ。ただ、子供から大人になり、仕事、結婚、出産、育児と様々な経験をすることで「大人」「お母さん」という立場から限界ギリギリまで頑張りすぎてしまう自分になっていた。

コロナはまだまだまだまだ続くだろう。また泣く時があるかもしれない。その時はまた泣こう。わんわん泣いてしまおう。

いつか、「あの時は辛かったなー!」と思える日が来ますように。




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