しょっぱかったバースデーケーキ
あれは何歳の誕生日だったろう。
子供の頃は毎年、誕生日には母がケーキを作ってくれた。生クリームをハンドミキサーでブーンと混ぜて、ふわふわになった白いクリームを丁寧に市販のスポンジに塗り、間にフルーツを挟んで、最後にまたフルーツとクリームでデコレーションするのが我が家の定番だった。
その年も、食後のケーキを楽しみにしていた。冷蔵庫で冷やしていたケーキをテーブルの上に出し、ろうそくを飾って、家族がバースデーソングを歌ってくれたあと、ろうそくの火を一息で吹き消す。
ケーキをきれいに切り分けてもらい、一番大きなケーキが乗せられたお皿が目の前に来る瞬間のワクワクした気持ちを覚えている。そして、最初の一口をぱくっと口に入れた、その瞬間。
ものすごく変な味がした。甘くない。それどころかしょっぱかった。
「しょっぱい!」
一瞬何が起きたか分からなかった。見た目は甘くておいしそうなバースデーケーキがしょっぱくて全然おいしくなかったら、そりゃ脳も混乱するだろう。母は驚き、自分でも一口食べて、「やだ!お砂糖と塩、間違えて入れちゃったのかも」と言った。
母は料理上手だし、そんなにおっちょこちょいをするような人ではない。それなのに、よりによって年に一度の誕生日ケーキがこんなことになるなんて…と、まさかの事態に子供だった私はものすごく悲しくなってしまった。
砂糖の代わりに塩がたっぷり入った生クリームを塗りたくったケーキは、とてもじゃないけど食べられる代物ではなかった。
それから自分がどんな言葉を発したのかもうはっきり覚えていないけど、あまりにショックで悲しくて、最終的には不機嫌になって自分の部屋にこもってしまったような記憶がぼんやりとある。
***
久しぶりにいちごのショートケーキを食べながら、そんなこともあったな、とふと思い出した。
時を経て大人になった今、思いをはせるのは当時の母の気持ちのほうだ。母自身も、普段はしないようなミスをしてしまってショックだっただろうなと気の毒になる。
私も子供だったとは言え、楽しみにしていた誕生日ケーキだったとは言え、あの時もうちょっと母の気持ちを考えられたらよかったのに。あのしょっぱいバースデーケーキを、母はどんな気持ちで処分したんだろう。
考えても分からない。家族でも分からない。母は覚えているだろうか。私はしばらく忘れてたよ。
ふだんケーキを食べる時は大体コーヒーより紅茶を選ぶけど、今日は何となくコーヒーをお供にしてしまった。久しぶりに食べた甘い生クリームたっぷりのケーキと苦いコーヒーが、遠い昔の記憶の蓋を開くこともあるんだな。
記憶の不思議については、以前にもnoteで少し書いた。
過去の思い出が少しずつ記憶の底に埋もれていくことは、「今」をちゃんと生きるために必要なことなんだと実感した。
幸せな思い出も、苦い思い出も、もし常に全部をはっきり覚えていたら、脳も心も忙しくて、とてもじゃないけど目の前の日常に集中できない。いつの間にか忘れていくことで、ずいぶん助けられて生きてるんだなと思うと、自分の脳に感謝したくなる。どんな思い出も、ちょっとずつ、いい感じに記憶の奥にしまいこんでくれて、ありがとう。そして、普段は忘れててもちゃんと覚えてるなんて、偉い。
このしょっぱいバースデーケーキの記憶も、また徐々に記憶の底にしまい込まれていくはずだ。
というわけで、目の前の「今」に戻ろう。
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