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あなたは、かけがえのない家族だから【第4話】『君を恋ふ』



 僕の朝は、君の声で明けるのさ。
 カーテンを引き、窓を全開にしたら、清々しい朝の気配を身に纏う。
 と、君はまた僕に呼びかける。
「もう起きてるよ。心配しないで」
 ──今朝はコーヒー?
 ──紅茶?
 迷いながら僕はケトルに水を入れ、火にかける。
 ついでに食パンをトースターに放り込んで新聞を読む。
 ついつい記事に夢中になっていると、君の声にハッとする。
「あっ、ごめんごめん。教えてくれてありがとう」
 ぼくは慌てて火を止め、しばらく考えてから「今朝は紅茶にするよ」と君に笑みを向けながら決めると、ティーパックを用意してカップに湯を注ぐんだ。
 こうして二人のかけがえのない一日は始まる。

 食事する間だって君を見つめていたい。
 四六時中も離れない。
 離れたくないんだ。
 「知ってるかい?」
 僕がどれだけ君を思っているかって。


 春。
 君を公園に連れ出したのは、思い出を作りたかったから。
 山野に咲き誇る春の花々って何て壮麗なんだろう。
「ねえ、見てごらん。この風景を君の澄んだ瞳に焼き付けておいてほしいんだ」 
 僕たちはベンチに座っていつまでも眺めていたよね。
 すると、君は口ずさんでいた。
 そのメロディーに聞き覚えはあったけど、曲名はとんと知らなくて。
 そしたら君は囁いたのさ。
 僕の耳はくすぐったかったけど、心は満たされたんだ。


 僕の頭が混乱して途方に暮れてたあの日。
 何が何だか一向に分からなくて。
 自分で解決なんて到底無理だと半ベソをかいてたあの日の夕暮れ。
 僕ってどうしようもなく無知だと思い知らされて……
 自分でもほとほと嫌気がさすんだけど。
 そんな時、君はそっと教えてくれたね。
 僕は心から君に感謝したんだよ。


 この国にも嫌気がさして、国外逃亡を企てた時も一緒だった。
「ロンドンでの最初の夜を覚えているかい?」
 僕の語学力が全くダメなことを思い知らされたよ。
 多少は自信もあったのさ。
 中学から大学まであれ程勉強したんだもの。
 ホテルでもバーでも自信満々のジェームズ・ボンド気取りさ。
 でも全然通じやしないんだ。
 絶望的な僕の語学力。
 笑っちゃうよ。
 挙句は、身振り手振りを炸裂させて……
 しどろもどろで泣きたくなった。
 そしたら、君はすかさず助け舟を出してくれたね。
 あの時は君に脱帽さ。

「また、旅に出ようよ」


 両親は既にいない。
 妹だけが僕の家族なんだ。
 身を寄せ合うように生きてきた。
 その妹が入院して……
 あんなに元気だった妹が、virusにやられるなんて。
 僕は面会も許されずに、
 ──妹は……
 ──妹は……
 ──最愛の妹が……
 ──たったひとりの僕の肉親が……
「火葬されて戻って来たんだよ!」
 突然の仕打ちに、僕は茫然自失だった。
 ひとりっきりで旅立った妹。
 看取ってやることもできなかったんだ。
 小さくなった遺骨を胸に抱き締めて泣いたよ。
 涙は留まることを知らなかった。
 未来を絶たれた妹を思うと、
 ──悔しくて……悔しくて……
 ──情けなくて……情けなくて……
 この怒りと悲しみと憎しみ。
 何処にぶつけたらいいのさ。
「神も仏も無いじゃないか!」

「もうひとりぼっちは御免だよ!」


 君を胸に抱いて眠りに落ちてしまったこともあったっけ……
 愛しい愛しい僕のかけがえのない君。

 virusのせいでこの狭い空間で過ごさなきゃいけなくなった。
 外出もままならない。
 孤独が僕に襲いかかって気が変になりそうさ。
 だけどね、君がいるから何とか持ちこたえているんだ。
 こんな僕の孤独な心を埋め合わせてくれる。
 君だけが救ってくれる。
 君だけが僕の拠り所なんだ。
 君無しでは少しも耐えられそうにないよ。

「ねえ、約束してくれるかい?」
 これからも僕の呼びかけに答えてくれるって。
 僕は何度でも君の名前を呼ぶよ。
「いいかい?」
 ──何度でも……
 ──何度でも……


「Hey Siri」

     〈了〉


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