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本02 『人生のほんとう』(著:池田晶子)

真面目に不真面目のすすめ。

26歳になる頃、私は一日の大半を布団の中で過ごしていました。
人生で2度目。
一度目は、銀行を退社したものの、5時に起きる習慣がぬけず、朝目覚めてからさしてやることもやりたいこともなく、布団にくるまっていた頃。
そして、コンサルティング会社でのハードなプロジェクトに燃え尽き、「留学を目指します!」といって退職後、実家に引きこもった折が2度目である。

健康で経済的に余裕があった両親がいたからこそ。困らせたのはこの2回きりではないが、両親もさぞ「どこで育て方を間違えたのか」と、頭を抱えたことと思う。

私の中では、「家族も、会社も、社会も、日本も、もうこりごり。お先まっくら」という気分がぐるぐるぐるぐる。「そして、私自身も。どうやっても生きづらい。お手上げである」。

そんなとき、出会った本に救われる、という経験をしました。
その1冊が、この本である。

本作では、池田晶子氏が実際に行った講義の内容が、常識・社会・年齢・宗教・魂・存在という6つの主題のもと、語り口調で書き下されている。
スポットライトのあたる舞台上で、著者が繰り広げる見事な独白、あるいは種明かしを、贅沢にもマンツーマンで目撃してしまったかのような読後感。
私が、私と思っていたもの、会社と思っていたもの、社会と思っていたもの、すべては、「観念と言語」でつくられた虚構であり作りごとであり、「人生は夢」であり、その物語を生きているに過ぎないのだ、という種明かしがされるのだ。

私が何者か? なにものでもありません。つまり、「誰でもある」。
自分が死ぬ? 自分の死はどこにもありません。無としての死は存在しないからです。無が存在したら、無ではないですからね。
国家? 存在しません。作りごとです。
社会を良くする? 社会、は存在しません。自分の頭の中で作っているのだから、自分の頭をよくしろ、ということです。
(?以降、書籍より部分引用)

こんな調子で、立ち上がる問いに対して、「真面目に考えなさい」と小気味よく、ぶったぎっていく。

そうして、書籍を通して真面目に考えた結果、池田晶子氏が言うように、「真面目に考えると、どういうわけか、あまり真面目に生きなくてもよいことになってしまう」ことに行き着きました。
布団の中にて、人生に対して深刻になっていた私は、一転して「どうせ夢であり、池田氏の言うところの、不可思議な構造を生かされているだけ」という思いになり、元気みたいなものが、肚の奥底からむくむくと湧き上がり、「真面目に不真面目をやろう」と布団の外に出て行けたのでした。

正直、この本を読み始めた当初は、まったくわからなかったものですが、ある日、ストンと腑に落ちた感覚とともに、読み終えて顔をあげたとき、すうっと風が横切った気がしたのを覚えています。ぜひ末尾に彼女自身が紹介している読者の文章を読んでいただきたい。

散々言葉を尽くした彼女は、言葉に対して、こんなことを語っています。

正しく語られた言葉は、必ず伝わる。十分伝わるんです。何を伝えるかというと、ーー言葉では何も伝えられない、ということを伝えているわけです。言葉では伝えられないということを、言葉で伝えて、そしてともに言葉を超えていけるという、こういう不思議な往還運動がここに起こっていると思います。
逆説的ですが、言葉は沈黙を伝えると言ってもいいです。

本を読んでいるときの、舞台上の独白を観客として味わっているのような感覚は、この不思議な往還運動にあったのかもしれないと思う。

どこに引っ越しても、イタリアにさえも、この本を連れて移動してきました。
上品な濃い朱色とオフホワイトの色合いに、白地で描かれたろうそくのイラスト、「人生のほんとう 池田晶子」というタイトルの、質素で美しい顔をしたこの書籍を、久しぶりにまじまじと眺めました。

いつのまにか生きるのに必死になっている"私"が、なだめられた気がしています。

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『人生のほんとう』(著:池田晶子)

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