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#93 “他人の意見にブレない心”を育てる方法

8月7日、時刻は18時49分。こんばんは、はるです。熱中症アラートなるものが発令するぐらいの猛暑ですが、暦の上では今日は「立秋」です。

暦と相撲の土俵サイズは、そろそろ今の時代にあわせてアップグレードしてもいいんじゃないかな、なんてここ十数年そこはかとなく思っています。

「出る杭は打たれる」「空気を読め」「足並みを揃えろ」なんて言葉は、息を吸うぐらい当たり前に刷り込まれているフレーズですが、それがどこまで自分の中で幅を利かせているかは、やはり実践してみてこそわかりますね。

頭で「Going my wayだ!」なんて拳を空高く突き上げても、心や体は「ちょっと待ってよー」と全然ついて行けてないなんてことはよくあるはず、というか私がそうです(苦笑)。

昨日もこんなことがありました。

人と違う意見を発表する時、ドキドキする自分に焦る

5、7、5で作る俳句。自分で作ったものを持ち寄って、読み人がわからない状態で気に入った句を選ぶ。それが句会のルールです(かなり大雑多な説明。苦笑)。

誰の句かわからないから、俳句一つ一つに番号がふられていて、参加者が順番に「○番の〇〇○○○  ○〇〇○○○○ 〇〇○○○」と気に入った句を読み上げていきます。

句会の規模や提出する句の数によって、どの句にしようか選ぶ楽しさもあり、難しさもありで楽しかったりするのですが、意外にというか当然ながら名句には票が集まります。

そして、自分が選んだ句を誰も選ばずに自分の番が近づいてくると、「え? あれ? この句がいいと思うの、私だけなの? なんで?」とハテナが増えてきて、頭がこんな答えを弾き出すのです。

「答え、間違えたんじゃないの?」

多数決に負けない=最後まで自分を信じ抜く

そう、誰も選ばない句はいい句じゃないのではないか、という疑念がよぎってくるのです。「正解は1つ」「多数決で多い方が勝ち」というイデオロギーに心がざわざわしてきます。ベテラン勢の票が集まる句なんてあろうものなら

(選んだ句を変えちゃう?)

心弱いので、こんな風にさえ思っちゃうのです。

でも、でも踏みとどまりました。「違う、他の人が選ばなくても、私はこの句が好きって思った。その気持ちを曲げちゃいけない!」

胸を張って読み上げ、無事次の方へ。ふぅー。オンラインでもだいぶ慣れてきたかな。

結果はどうでも良くない。成功体験は力になる!

そして、全ての方の選句(自分の好きな句を選んで読み上げる)が終わると、いよいよ先生が選んだ句が発表されます。

参加者は1人3句、うち1句が特選ですが、先生は少し多め。佳作と特選になった句が読み上げられます。

そして、なんと私が選んだ3句は、2句は佳作に、1句は特選に選ばれたのです。

票が集まった人気句でも佳作にすら選ばれないことも多々あります。先生も句会の開催前に句を選んでいるので、参加者と条件は同じ。このフェアーなところが句会の好きなところでもあって、先生が選んだ句が名句で、他がダメというわけでもないのです。

正解は1つ。という刷り込みを書き換えるには句会は私にとってかなり有効です。

それと同時に、多数決で少数派になったときに「それでも私はこれがいいと思いました」と言える度胸と信念を貫くトレーニングにも最高なのです。

あ、もちろん俳句の勉強にもなるのは言うまでもないのですが、自分を見つめるいい機会にもなるなと思うのです。

なんだか句会押しの内容になってますが、勧誘じゃないですよー。

自分を表現する場に勇気をもって参加することで、自分がいろいろ見えてくるな〜という独白です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました🍀




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