「推し、燃ゆ」宇佐見りん 感想


※初めに
ここから続くものは文庫版「推し、燃ゆ」を読んだ自分の、ただの感想になります。
作品の点数付けなどはしていません。ネタバレも勿論あります。
その旨、ご了承くださいませ。すみません。
それでは、よろしければどうぞ。




推しと私の薄くなってく境界線

まず本書を読んで感じたのは、これは「自分の知っている推し方とは違うものだ」ということだった。

自分のいわゆる「エヴァ世代」そして、それ以前のオタクたちの目標は「推しである人物、推しである作品を文字通りドーンと推すこと」。
知識を手に入れ吸収し、自分の大好きな推しがいかに素晴らしいか、いかに魅力的かをドンドン広く布教していく。
それは本作の主人公あかりも一見、同じに見える。
応援ブログを頻繁に更新しファンと交流しグッズを山と買いコンサートのためにバイトをし……推しの動画を何回も何回も繰り返し見る。寝る間も惜しんで上野真幸を推し続ける。
「同じじゃない?」「オタクじゃんか、普通の」と思われるかもしれない。
しかし彼女と旧オタクの間には決定的な違いがあるように思える。
それは「推しとの距離感」である。

あかりは自分自身には無関心だが、推しには異様な執着を見せる。
しかしその感情の原動力は恋愛ではない。顕示欲でもない。推しを手に入れたいとは微塵も思っていない。ただ「ずっとアナタを推させてほしい」と天に願っている。
自分たちは作品、キャラ、アイドル、役者、男、女……とにかく、そういうものとして推しを認識しているが、あかりにとっての真幸は「神」だ。

感情的でよく泣く姉との確執、自立を迫ってくる生活に疲れた母親、そして自信に満ち溢れた風を装う父親、うまくいかない勉学、うまくできないバイト。崩れていく生活。
それらに向き合うことはせず、彼女は徹底的に真幸しか見ない。
彼女の中心は真幸だ。真幸さえいればいいのだ。
彼を慈しむことこそが彼女の生存理由であり、そうでなければ立ってもいられない。彼女と神は一つ、一心同体なのだ。

ここで念のため触れておくが、真幸はただの芸能人であり彼女の事なんて知らないし、唯一の接点かもしれない彼女の書くコメントに触れてすらもいない。視認すらない。
はっきり言って完全に完璧に無関係である。
終盤で芸能界を引退し、彼はおそらく結婚をした。
その間の苦悩に思いをはせることを彼女はしない。


光を見上げる、壊れかけた魂

彼女の最大の関心は「彼をこれからも推せるのか」ということだ。
そしてすぐに、それはかなわないことを知る。
「一般人に戻るので、そっとしておいてほしい」そうはっきり明言され、彼女は衝撃を受け止めきれずにいた。呆然と、日々を転がるように生きる。真っ逆さまに落ちていく。
心身を持ち崩し、高校を中退し、家を半ば追い出される形で亡くなった祖母の家に住み着いた。仕事をまともに探さず、お金が必要だとわかっていながら無気力に、ただ彼女は生きる。
どう考えても良くない状況だが彼女は自分に自分でサジを投げている。
というか果てしなく無関心なのだ。

真幸が本当にファンを殴ったかには興味がない、推す。
真幸が芸能界を引退する、理由には興味がない、最後まで推す。
彼女にとって真幸は現実よりも大切な光なのだ。光がなければ世界の輪郭は見えない。
彼女にとっての世界は真幸が輝く太陽なのである。太陽がなければ、昼も夜もない。光を仰ぐのに理由などいらない。
まるで原始的な宗教のように。

ラストコンサートが終わり、完全に真幸は芸能界を引退する。
光が消え、それは人となった。

暗くなった世界で彼女はようやく自分を確認する。
やせ細り、一人ぼっちで壊れかけた少女。それだけがそこにはあった。


背骨をなくした抜け殻は、それでも

彼女は泣くこと、怒りをぶつけることを「肉体に引きずられる行為だ」と断じ、姉を疎んでいた。
ひどくみっともないことだと。
しかしラストシーン。彼女は綿棒をつかみ取り床に投げつける。
表情はわからない。苛立ちをあらわにする事をしたが、何とも微妙な幕切れとなる。
この最後を生きていく道筋と受け取るか絶望の始まりと受け取るかは分かれるところだと思う。
※文庫版のあとがきで筆者は「どう解釈しても良い」と書かれている
自分は前者として受け取った。

しかし、何もこの後、彼女が就職し自立し立派に生きていく未来を想像したわけではない。むしろその逆だ。
これから長く生きていかなければならない、推しと別れた後の人生の方が長い。彼女は苦しむだろう。彼女にはもう神がいない。けれど。

彼女は投げつけるものとして綿棒を選んだ。
一番損害のないもの。それをわざと選んで、床へ投げつけたのだ。
それが示すものは「冷静な判断と思考」である。
彼女は狂っていないし、馬鹿でもないし、別に本当は投げ槍にもなっていない。それに気づき、笑う。神のいない世界でキチンと生き続けなければならない運命を悟り「あーあ」と笑ったのだ。
目に見えた地獄だというのに、生き続けなければならない。
「当分はこれで生きよう」と這いつくばった彼女は最後、そっと思う。

また誰かを推すのだろうか。明言はされていないが、そうなのかもしれない。だって彼女には背骨が必要だ。
誰だって、もしかしたらそうなのかもしれない。

しかし私は結局、最後まで読んでも彼女に近づけなかった。
わからなかった。
推しが笑っていてくれると思うだけで気分が良いからだ。その感情は立てなくなるような喪失とは全く無縁のものである。
完結を迎えた作品が愛おしい。その中で世界は続いていると思うからだ。
ありふれてつまらない言い方になるが「生きていてもいい理由」ではなく「一緒に生きていく仲間」としてそれを愛したい。
そう思っている。そうでありたいと願っている。

わからなかったが、あかりには生きていてほしいと思った。
暗闇の中でも自身の目が死んでいなければ、また光をとらえられるだろう。
そうあってほしい。
そう思って、そっと本を閉じた。




だらだらとすみません
ここまで読んでくださる方はいないかとは思いますが(単に読書メモ的なものでもあるので)でも、もしいらっしゃったらありがとうございました






























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