見出し画像

僕らの青いコアラ。


 今日はダメだ。行こう。球場までの道のりは1時間弱。もう少しで試合が始まるけど間に合わない。3回表くらいからなら観られそうだな。スマホで試合経過をチェックする。行くか迷ったら行く。仕事で疲れたから。得意先に怒られた。叱られたじゃなくて理不尽に怒られた。



 パワハラとか世間体的にダメだと言うけど、そんなことはない。あるところはある。営業だから得意先から何かを言われるのは当たり前。入社して15年。気づいたら38歳になってた。ここ数年だよ、パワハラが問題になったのは。転職も今では珍しくないけど、僕が就職した時は定年まで働くよね?的なことは言われていた。でもアラフォー。微妙な年だよ。色々と考えるよ。



 もし得意先の人が自分の父親だったら?それはない。顔はうっすら覚えている。同じ年齢なだけだ。でもあの人も父親なんだよな。確かまだ小さいが双子がいるって先輩から聞いたことがある。子どもには優しいのかもしれない。得意先の僕には厳しい。それは血が繋がっていないからなのか?っていうか血ってなんだよ。そんなに大事か。むしろ、他人だから優しくしてくれよ。本当に。それが社会ってもんだろ。それが仕事だろ。そう思う。



 指導した後輩はすぐに辞める。「こんな仕事、早く辞めたほうがいいですよ」って言われたこともある。そんな勇気がないんだよ、後輩。慕ってくれたと思っていたのに相談もせずに「退職します」と急に辞めた子もいた。むしろその決断力、僕に下さいよって思った。



 もう辞めようかな。誰かに怒鳴られてまでやる仕事ってなんなんだろう?よく働いたよ、今まで。母には辞めてから言おうと思う。反対されることはわかっている。自分の息子がずっと働き続けると思っていた会社を辞めるなんて聞いたらどうにかなってしまうだろう。そして僕は同性愛者だから結婚は一生できない。日本では。



 だから最近は会わない。というか仕事が忙しいことを言い訳にしている。嘘も方便。帰れないわけじゃない。母の手料理を味わいたい。一緒に旅行でも行って親孝行したい。でも、それ以上に怖い。「結婚」を聞かれることが。聞かれたことがないから尚更怖い。いつか聞かれたらもう一生実家には帰れなくなるのかもしれない。会いたいのに。会うたびに母は小さくなり、シワが増えている気がする。それを見ると悲しくなるのだ。シングルマザーで一人息子の僕はそれを享受しきれない。



 弱いんだよ。本当は結婚して孫でもいたら母はもっと笑顔で過ごせているのかもしれない。いない兄弟や姉妹に思いを馳せる。僕じゃなければ。誰かがいれば。「お母さんのことは任せてよ」って言ってくれる人がいたら救われるかもしれないのに。訪れもしない未来を思う自分が虚しくなる。



 そんなことを考えていたら神宮球場に着いた。外苑前駅。銀座線。平日。火曜日。ナイター。球場までは歩いて10分。7月だから夜でも暑い。だからビールが美味しい。早歩きで向かう。親子連れ。カップル。一人で。色んな人がエスカレーターに乗っている。ユニフォームを着ている人も多い。わずかな熱気が心地いい。これから楽しいことをするんだという高揚感。


  コンビニで水を2本。あとおつまみも。球場によっては持ち込みの食べ物不可のところがあるけど、神宮は大丈夫。マジでサラリーマン。おっさんになったな。まさか自分が会社帰りにYシャツを着たままコンビニでつまみを買って、野球観戦に行く未来を誰が想像したことだろう?そして同性愛者であることを。普通に結婚して子どもでも育てるのかな?父親いなかったけど、子どもの接し方とかわかるかな?って思っていたのに。



 大学生までは普通だった。いや。彼女ができたから普通だと思っていた。でも好意を抱いていた彼女に性欲を感じなかった。友達と話すようなことが自分にはないことに愕然とした。そう、心の奥では思っていた。いつもドキドキして目で追うのが男友達であるということを。そして普通の概念なんてこの世にはないのかもしれないということを。



 何がいけない?いけなくない。LGBTQを叫ばれる世の中。でも日本にいると考える。この先ここで生活していたら自分が押し潰されてしまうかもなって。法で守られるものが沢山ある。でも日本では守られない。同性愛者は結婚できない。きっとこの国で同性愛が認められるのは僕が死んでからくらいかな?って思っている。ダメだ。またこんなことを考える。もう、着いたよ。神宮。ありがとう。これで余計なことを考えなくて済む。



 急いで中に入る。チケットは事前に買っておいた。今までは金曜日か土曜日に行っていた。でも、今日はふと得意先に怒られている時に思いついた。「そうだ。野球、観に行こう」って。去年、営業の仕事の帰り道にたまたま神宮球場を通った。ナイターをやっていて、応援の声が夜空にこだましていた。歓声。生で観たいって思った。行こうかな。今。今日。野球、好きだったんだよ。


 

 席はどこでもよかった。チケットの窓口で「オススメの席を」とカッコいいことを言って買った内野席。後で調べたら外野の方が圧倒的に安かったけど、静かに野球を見ながらビールを飲んで、適当に美味しい球場飯を食べる。たまに夜空に飛行機が飛んで、応援団の声が聞こえる。正面を見るとプロ野球選手が真剣に野球をしている。点が入ると東京音頭が流れて、色とりどりの傘が舞う。キラキラしている。そうだ。ここはスワローズの本拠地か。そんなことも考えずにふらっと寄ってしまった。野球っていいな。つば九郎のお腹、可愛いな。って思った。


 応援する側もされる側も。開放感。上を見上げると夜空。東京だからあまり星が見えない。でもいい。少し暑いけど、それもまたいい。快適じゃなくてもいいのだ。あぁ、自分が美しいと思うものをたくさん見つけないとな。今の仕事は美しいか?楽しいか?内野席から見える会社のビルに明かりがついている。まだ働いている人が大勢いるのだ。この中で仕事を楽しいと思えている人はどれくらいいるだろう?その瞬間から真剣に仕事を辞めることを考え始めた。そして仕事を辞めたら海外へ行って、誰かを好きになって、同性のパートナーを見つける。できればちゃんと仕事も見つける。海外に行けば色んな生き方が選択できる気がする。「大丈夫だよ」って誰かに言われたいし、僕も言いたい。自分なりの幸せを見つけたい。



 今日の席はビジター応援席。外野。2600円。対戦相手のチームをビジターと呼ぶ。これは野球観戦が好きになってから知ったこと。僕は岐阜出身だから応援は断然ドラゴンズ。名古屋と岐阜は近いのだ。誰かに「出身は?」「岐阜です」「ふ~ん、岐阜かぁ」で会話が終わることたくさん。謝られたこともある。「ごめん、岐阜って何があるの?」うるせぇよ。だからよく「名古屋出身です」と答えていた。名古屋の方が盛り上がるのだ。野球もサッカーも手羽先も喫茶店もある。


 ある時「名古屋です」って答えたら「近いね、僕は岐阜なんだよ」って。メッチャいつも穏やかで尊敬できる得意先の社長が一言。「すんません、実は僕もなんです。名古屋って答えた方が盛り上がるから・・・そう言ってました」「え?そうなの?いつかちゃんと岐阜を誇れるようになるといいな。何かの岐阜代表になれるように努力したら面白いかもね」って。確かに。僕は地元の友人や自然に何度も救われてきた。東京がダメでも自分には岐阜がある。岐阜代表になれるかはわからないけど、今は正々堂々と「岐阜出身です」って答えている。



 神宮は映画館みたいな席で、隣の人の足を掻き分けながら進む。試合途中に到着することを考えて、応援の邪魔にならない通路側の席を取る。青ばっかりだ。海みたいだな。僕も海の一部となるのだ。岐阜にはないけど。ちなみにビジターのユニフォームは青。本拠地の時は白。急いでYシャツの上からドラゴンズの青いユニフォームを着る。背番号はなし。持って行くのはいつもこれだけ。荷物にならなくていい。薄いしかさばらない。試合が終わればすぐに脱げる。野球観戦の醍醐味は手軽に楽しめて、数時間で感情が動くことだ。



 まだスワローズの攻撃だ。この球場は食べ物が美味しい。種類も多い。基本、一つくらいは食べ物を買う。今日は銀だこ。神宮にしか売っていない味がまた美味しい。あとはビール。売り子さんが沢山いるけど、あまり売れてなさそうな、暗い顔をしている子から買うようにしている。銘柄はなんでもいい。誰かと楽しそうに話している子は僕が買わなくても大丈夫。探せばいるのだ。一人くらいはこのバイト辞めようかな。なんて下を向きながら歩いている子が。



 やっぱりうまいな。ビール。そんなこんなでドラゴンズの攻撃。隣には青い髪をしたオシャレな女の子。青い髪?ドラゴンズファンだから?いや、ここで待てよと思う。今日は火曜日。基本、美容院は火曜日が休み。オシャレだし、もしかしたら美容師さんかもしれないな。いやいやドラゴンズの応援だよ。席を立つ。応援団が近いと熱心なファンが多い。大声を出したいから大体、いつもこの辺りの席を取る。一体感がいいのだ。みんなで同じ声援を送り、生の音で身体を揺らす。点を取ったら赤の他人とハイタッチ。こんな非日常を味わえる場所は中々ない。だって2600円だぜ?勝っても負けても感情が揺れる。



 そして今日はラッキデー。ドラゴンズのマスコットキャラクターのドアラがいる。もちろん、いつもいる訳じゃない。本拠地の名古屋の時は毎試合いる。ビジターの神宮にいるのは年に数回。だから今日のチケットを取った。会いたかったのだ、ドアラに。しかも仕事帰りに。ドアラとつば九郎。2人は今年で30周年。フリップ芸でユーモアたっぷりに笑わせてくれる。空気感がいいんだよな。仲がいいのが伝わってくる。ビジネスパートナーらしいけど。つば九郎は毎回、ぎりぎりアウトな発言をして観客を沸かせ、空中くるりんぱをやり大体いつも失敗している。


 ドアラは動きがいい。変な踊りもたくさんするし、グッズの宣伝もする。球場の芝生に寝転んだり、全力で応援して喜ぶ。本拠地では誰よりも動いて、試合が滞りなく進むよう配慮している。相手チームの選手とも話し、冗談を言い合う。そしてファンとドラゴンズのことを常に想っている。そんなドアラビームがガンガンに全身から出ているのだ。僕はそれを浴びるとマジで元気になる。辛い時はひっそりとドアラのYouTubeを見まくる。ブログでは「なにかしら頑張ろう」って毎回書いている。だから、取り敢えず今を頑張る。そう思って最近は生きてきた。


 7回表のドラゴンズの攻撃前は必ず「燃えよドラゴンズ」を歌うのだけど、今日はドアラが目の前で旗を振ってくれるので尚更声が大きくなる。モフモフの手と耳。青いボールの尻尾。デカい目。微笑んでいる口。生ドアラはやはりいいな。ドアラみたいに自由に見えて、でもちゃんと仕事をこなして、なくてはならない存在で色んな人に元気を与えてくれる。僕は誰かのそんな存在になりたい。



 みんな誰かを応援したいし応援されたいんだな。本当は僕も選手のように真剣に何かに取り組んで情熱を燃やして生きていたい。応援される側にもなりたい。だからこの1年、仕事を辞める準備をしてきた。いらないものを捨て、人に譲り少しずつ物を減らしていった。取り敢えず、1年間は世界一周でもして見たい景色を見まくる。やりたいことを探す。できれば人の役に立つことを実感できる仕事。そして住みたい国や街を探す。見つかったらそこに長くいる。見つからなければ日本に帰ってくる。どっちでもいい。そんな準備の様子をYouTubeで公開し始めた。インスタも始めた。ブログでこれまでの生き方や価値観を文章にした。応援してくれる人もそうじゃない人もいた。母が僕のSNSを見つけて「知ってたよ」って。私はいつでもあなたの味方。ただそれだけ。僕の本当の応援団は母だった。



 動けば何かが変わる。僕にとってそれはたった1日の野球観戦だった。取り敢えず、明日は辞表を出す。岐阜の実家に帰って母と過ごす。手料理を食べて、旅行もする。名古屋に寄って、お守りのドアラグッズを1つ買おう。そして来月に日本を出発する。うまくいくといいのだけど。



                           (おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?