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東北フォレストジャーニー その2 青森ヒバを追い求めて 後編

前回から続く

前回はヒノキアスナロの基本的な特徴を観察したので、次はいよいよヒノキアスナロの森の中へ繰り出そうと思います。

木材としてのヒノキアスナロ

ヒノキアスナロは、優秀な木材を産出する樹として古くから知られてきました。

ヒバの木材中には、木材腐朽菌(木材を腐らせる菌)の成長を阻害したり、菌そのものを殺したりする力がある薬効成分•ヒノキチオールと、家屋の大敵・シロアリをシャットアウトする「メタノール可溶成分」が含まれています。そのためヒバ材の耐久力は他の樹種の材と比べて桁違いに良いのです。この耐久力を生かして、奥入瀬渓流の遊歩道の木道には青森ヒバ材が使われています。

さらに、ヒバ材は木目の美しさでも知られています。
ヒノキアスナロは北国で育つ樹なので、毎年毎年雪の重みに耐えて、ゆっくりゆっくりと成長していきます。この成長の遅さが、狂いがなく、緻密で、素晴らしい木目を持った木材を生み出すのです。

こうした木材としての優秀さを買われてか、青森ヒバは数々の有名建造物の用材として用いられてきました。例えば、世界遺産にも登録された平泉の中尊寺金色堂はヒバ材でつくられており、現時点で約900年以上、使われたヒバ材の柱は建物を支え続けています。
ヒバ材の耐久性がいかに優れているかがわかります。

有用な木材であったため、江戸時代から現在にいたるまで、大量のヒバ材が山から伐り出され、各地へと運ばれていました。
1910年から1967年にかけて、津軽半島では山中のヒバ材を青森港まで輸送するための貨物用鉄道「津軽森林鉄道」が運用されており、58年間の運行期間中に、20坪の家が55000件建てられる量のヒバ材が輸送されたと言われています。
木材輸送専用の鉄道が開業するぐらい、大量の材の伐り出しが行われており、需要も相当なものだっだ、というわけです。

ただ、こうした大量伐採は、ヒバ材の蓄積量の減少を招きました。
前述したように、ヒバは成長の遅い樹木です。ヒバの森を伐採した後、跡地にヒバの苗木を再植林したとしても、木材として使える太さまで成長するのに、100年以上はかかります。
ヒバの伐り出しが盛んに行われたのは、木材需要がうなぎ上りに上昇していた高度経済成長期。そんな時代に、「植えたら100年後に木材になる苗木」などという超スローペース林業樹種は敬遠されました。優秀な材だったとはいえ、待ち時間が長過ぎたわけです。

その結果、「ヒバを伐採しても、跡地にヒバは植えず、代わりにもっと成長が速く、比較的短期間で木材として利用できるスギやカラマツを植える」というやり方の森林管理が行われました。当然これだとヒバは伐採されるばかり。ヒバの蓄積は自ずと減少してしまいます。
「さすがにこれはやばいよね」ということで、近年はヒバの植林地を新たにつくる動きが出始めました。眺望山では、森林管理署がヒバを積極的に植林しており、山のいたるところで若いヒバが林立した植林地をみることができます。

ヒバ人工林の特徴

眺望山の駐車場の近くにヒバの人工林があったので、まずはそちらに入ってみます。

駐車場から少し歩いていくと、小高い尾根を覆い隠すように、ヒバの植林地が広がっていました。
たぶんこれは上述のような経緯で造林された植林地なのでしょう。まだ若い、半人前のヒバたちが共同生活を送っています。

同じぐらいの太さの針葉樹が並んでいて、林内は暗めという森の大まかな雰囲気は、関西にあるスギやヒノキの植林地と同じです。ただ、やはりヒノキアスナロという特別な樹種で構成された人工林なので、細かいところを見てみると違いが見られます。

林床を見てみると、ヒノキアスナロの稚樹たちがたくさん育っていました。これは耐陰性の強いヒノキアスナロならではの光景です。

どちらかというとヒノキアスナロは根性がある性格の樹のようで、「待つ」ということが得意です。
暗い森のなかで発芽したときに、ひたすら地表付近で葉を茂らせ、じわじわと横に枝を伸ばしながら日照不足をやり過ごす。空に蓋をしている高木たちが倒れるまでの数十年間、これを続ける。
……こんな修行のようなことを彼らは平気でやってのけます。極端な例だと、200年以上林床付近で地面を這って少しづつ枝を伸ばし、林冠部の親木が倒れた瞬間に一気に成長した、という個体も存在します。

心を無にして200年以上、暗い森でいつ来るかも分からない日光を待ち続ける、というブッダのような所業を成し遂げる耐陰性こそ、ヒノキアスナロの強みなのです。日光が当たらない林床に稚樹が繁茂している光景は、この耐陰性の強さの、何よりの証拠なのです。

針葉樹の造林用樹種、という点ではヒノキアスナロの「同僚」といえるスギ・ヒノキの場合、こうはいきません。
スギやヒノキにもある程度の耐陰性はあるため、スギ林やヒノキ林の林床にも、稚樹は生えています。しかし、やはり日光が少なすぎるのか、人工林の林床で発芽したスギ・ヒノキの稚樹たちは、あまり大きくなれずに力尽きてしまう場合が多いのです。
林床で「発芽」することはできても、上を覆う高木が倒れて日照が得られるようになるまでのの数十年間を「待つ」ことができない。
ヒノキアスナロと違って、スギ・ヒノキにそういった我慢強さは備わっていないのです。



↑この写真は滋賀県大津市のスギ人工林。林床はめっちゃ暗い。足元で人差し指くらいの大きさのスギの稚樹が育っているのを見かけることはたまにあるが、それよりも大きいサイズの個体はほとんど見かけない。写真にも、スギの若木は写っていない。これは、スギの稚樹は、人工林の暗い林床では大きくなる前に日照不足で死んでしまう、ということを物語っている。
2019年6月16日撮影


↑ヒノキアスナロ人工林の様子。上の写真の地表付近をよく見てみると、緑色のポツポツが見える。このポツポツがヒノキアスナロの稚樹。下の写真はそのヒノキアスナロの稚樹の拡大。スギの若木の場合、暗い林内ではこの大きさまで育つことができない。
親木の枝で蓋をされた暗い人工林の中でも、子供たちがしっかり育っている。う〜ん、たくましい。

いざ、ヒバ天然林へ


さて、ヒバ人工林をざっと見てきましたが、植林地では細い樹しか見られないため、やはり「物足りない感」は否めません。
もっとエキサイティングな樹が林立する森をみるべく、次は「ヒバ天然林」へ。

眺望山自然休養林の西側には、「眺望山ヒバ保護林」という、1918年から伐採が禁止されているヒバの天然林があります。
駐車場からは山の中の道を歩いて40分ほど。熊に気をつけてヒバ天然林へと向かいました。



↑途中の道では、ヒバ材が山積みにされていた。とてつもなく心地いい香りが周囲に漂っていた。


↑天然林の入り口。お邪魔します!

雪解けでぬかるんでいる沢を何本か渡って天然林の入り口に差し掛かると、いきなりヒノキアスナロの大径木が登場。うおおお‼︎
やっぱり人工林の若い衆たちとは貫禄が違う。さすがは天然林の成木。
人生初のヒノキアスナロ大径木との対面に、頭の中に雷が落ちたような衝撃が走りました。



純粋に目の前にあるヒノキアスナロのかっこよさに対して感動する気持ちと、まだ見たことがない樹種を自分の目で見れたことへの満足感が混ざった感覚。新しい樹種と出会った時は、いつもこの感覚を味わうのですが、これがものすごく気持ちいい。だから、「また新しい樹木に出会ってハイになりたい」と思って、いろいろな森に出かけてしまうのです。やっぱり樹木は麻薬のような中毒性をもつ生き物なんだなあ。

高揚感とともに森の奥へと歩みを進めると、ヒノキアスナロの巨木が立ち並ぶ、神殿のような雰囲気の森に入りました。こんな森関西では見られません。
やばいぞ。すごいものを見てしまった。森の姿をありったけ目に焼き付けようと上へ左右へと首をくるくる回してしまいます。



↑植林地に生えている若い衆よりもずっと太い大径木たちが何本も林立する森。森に生育するヒノキアスナロたちの平均樹齢は215年。現在もまだまだ成長中。君たちの人生は長いねえ。



↑急斜面に並んで生えるヒノキアスナロの大木たち。ほぼ垂直に近い斜度なのに、しっかりと幹を直立させる生命力に拍手。


↑耐陰性の強い樹種らしく、森の中の若木も健在。

神が宿るヒノキアスナロの大木

いい森を見れたなあ、という充実感とともに再び山道を歩いて車に戻ります。ヒバ天然林のインパクトが強過ぎて、もう今日の目的を達成してしまった感がありましたが、まだもう一つ、会いに行かなければならない樹がありました。

それは、眺望山から直線距離で西に7キロほど離れたところにある日本最大のヒノキアスナロ「十二本ヤス」。インターネットや本で巨樹ファンを騒がせている巨木で、関西にいたときから目星をつけていました。

人生で初めてヒノキアスナロの天然林を見た後に、日本最大のヒノキアスナロの巨木を見学。樹木好きとして、「これができたらもう死んでもいい」と思ってしまうぐらいの魅力的なスケジュールです。こんな旅ができるのも、面白い樹や森で満載の青森にいるからこそ。
いい土地だぜ。青森。

テンション高めで出発し、車で山道を進みます。

ところが、しばらくするとワクワク感は不安感に変わりました。

「十二本ヤス」のアクセスの悪さが発覚したのです。

先ほど眺望山から十二本ヤスまでの直線距離は7キロ、と述べましたが、山岳地帯ゆえに道が整備されておらず、両者を直接結ぶ道はありません。実際に車を運転しなければならない距離はもっと長かったのです。
眺望山から一旦峠を越えて津軽平野まで下り切り、また津軽半島中央部に向けて別の山道を遡るという、大幅迂回コース。約18キロ、45分の道のりです。18キロって神戸から甲子園球場までと同じくらいじゃん。あれと同じ距離、山道が続くのかあ。土地勘のある故郷にあてはめて考えると、かったるさが増してきました。

しかし、眺望山から津軽平野までの峠道はよく整備されていて、案外快適に走ることができました。しかも津軽平野の畑作地帯の、抜け感のある景色がめっちゃ気持ちいい。まさに「青森に来た」という感じがする。しばらくの間はドライブを楽しめました。

…………案外余裕じゃん。平野を抜けるまでは、鼻歌まじりで進み続けました。

ところが、再び山道に差し掛かると……

突如未舗装路がスタート。
ナビは「しばらく道なりです」という、今この瞬間世界でもっとも聞きたくない言葉を言い放ったのち、だんまり。なんやねんこいつ。迂回路案内しろよ。
そう思って別ルート検索をしても、道が他にない。あかん。路肩に車を止めて、進退を考えることにしました。

そのとき乗っていたレンタカーは、日産ノート。ダート向けではない、コンパクトカーです。さらに運転手は免許取り立て。目の前の凶悪な道にアタックするのに、これ以上ないぐらいの頼りなさです。事故りたくない。けどヒバの巨木は見たい。しばらく道路脇で逡巡していると、前方からワゴン車がやってきました。

……あれ、絶対四輪駆動じゃないよね。あの車が通れてるんなら、もしかしたらこの先の道路状況はいいのかも?
淡い期待を抱いてワゴン車に向かって手を振り、運転していた若い女性に「この先の道、普通車でも通れますか?」と聞いてみると帰ってきたのはこの答え。

「ああ、地獄ですよ」

通れるか通れないかという質問で「地獄」と返すというパターンがあるとは知らなかった。そんなに道悪いのか………やっぱりここから歩くしかないかなあ……なんて考えていると、女性から
「スギの木まで行くんですか?」
と尋ねられました。
たぶん十二本ヤスのことを言ってるんだろう、と思って「はい、そうです」と答えると
「なら頑張ればいけますよ。ここからしばらくはダートが続くんですが、少し行ったところでまた舗装路になるんです。その舗装路をひたすら進むとまたダートになるんですけど、舗装路とダートの境目のところにちょうど駐車帯があるので、そこに車を停めてください。駐車帯からは歩いて15分くらいです」
という詳細な情報をくれた!
ナビやGoogleマップよりもずっと優しいし詳しい……ありがとうございます……

お礼を言って車を再び走らせると、女性の言葉通り道は再び舗装路に。


よかった。快適に森の中を走行し、女性に言われた通りダートと舗装路の切り替わり地点の駐車帯に車を停め、歩き始めます。
歩き始めてすぐ、女性が言っていた「地獄」の言葉の意味がわかりました。



沼のような水たまりがあったりカーブミラーの死骸が転がっていたり。道の状態はもはや世紀末です。こんなとこをノートで走ってればマジで生きて帰ってこれたかわからん。

山道をしばらく歩くと、やっと看板が見えてきました。



鳥居をくぐって森の中に入ると……


特大級のヒノキアスナロの巨木がお出迎え。太い幹がやや傾き気味に生えていたり、つる性木本(おそらくツルアジサイ)が絡み付いていたりしているところが、木の貫禄を引き立てています。なんだか屋久杉みたい。
この巨木をみた時点ですでに満腹感でいっぱいなのですが、メインディッシュの「十二本ヤス」はまだ先。森の奥へと歩みを進めると……


いきなりの本人登場。
やっと会えたね……こんな奥まったところに住みやがって!君に会うために映画ドラえもんのような大冒険をしてきたんだぞ。

到着の喜びに浸るまもなく、観察にうつります。

こんな独特の樹形の巨樹はいままで会ったことがなかった。ピッタリと同じ場所から何本もの枝を分岐させています。これは雪の重みで主幹が折れた後、何本もの枝が横から再生してできた樹形。北国で雪の重みに耐えるヒノキアスナロだからこその美しさなのです。

地元の言い伝えによると、十二本ヤスは、昔弥七郎という若者が魔物を退治したとき、その魔物の供養のために植えた苗木が大きくなったものである、とのこと。なかなか勇ましい生い立ちです。

さらに不思議なことに、十二本ヤスの枝は、絶対に12本のままキープされるんだとか。
もし新しい枝が脇から発芽して枝の数が13本になったら、もともとあった12本のうちのどれか1本が枯れて、最終的な枝数が結局12本になるのです。ほんまかいな、と思ってしまいますが、2012年に樹木医が実際に枝を数えてみたところ、全部で14本あり、そのうち2本は枯れていたそうです。つまり、生きた枝はちゃんと12本になってる……!

日常的に山と深い関わりを持つ人たちにとって「12」というのは神聖な数字で、山の神の祭日は12月12日とされています。
「12」の数字にかたくなにこだわり続ける十二本ヤスをみて、昔の人々は「この木には神が住んでいる」と感じ、信仰の対象としたのです。よく見ると木の根元以外にも、枝の分岐点付近に小さな木製の鳥居が立っているのが見えます。


↑「十二本ヤス」の枝の様子。「ヤス」というのは魚を突き刺して捕まえるためのフォーク状の漁具のこと。それに似ているから道具の名前がそのまま彼の名前になったのです。
ほんとうに枝は12本なのかな、と思って木のまわりを一周して数えてみたのですが、枝が複雑に生えすぎていて、角度を変えると「あれ?この枝さっき数えたっけ?」みたいな感じで頭が混乱。何回やってみても正確に数えることはできませんでした。こういうのが得意な方はぜひ挑戦してみてください。



↑巨樹ならではの、がっしりとした根元。こういう逞しさが大好き。


↑少し遠くからとった写真。太い根元の幹よりも上の分岐枝たちは、すらっとしたヒノキアスナロらしい伸び方をしていいらっしゃる。分岐枝の一本一本だけを個別にみても、十分立派な木として考えてもいいぐらいの迫力。1本の樹で森をつくっているような感じ。


↑入り口から向かって十二本ヤスの左側にあるベンチの横にもヒバの巨木がいらっしゃる。こちらは板根状の根元で、独特な雰囲気を醸し出している。

十二本ヤスよ、おぬし期待以上のものを見せつけてくれたな。日本最大のヒバという称号をもつ、と聞いていたからそれなりの迫力はあると思っていたが……その貫禄、迫力あるというより「怖い」という表現が似合うよ。それぐらいインパクトが強い見た目をしているね。型破りな樹形を披露してくれてありがとう。

……こんなすげえ樹と車で2時間半しか離れていない場所にぼくは移り住んでしまったのか。青森の森は面白いものが多すぎる。ぼくはどうやら青森の森の虜になってしまったようです。

奥入瀬渓流に見事な渓畔林があると思えば八甲田の中腹には美しいブナ林があり、半島部には針葉樹の古木の神殿がある。青森って、森の品揃えがいい土地だなあ。
森好きの方、青森に移住する際は気をつけてください。森歩きで忙殺される毎日を送ることになりますよ。


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