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森のみち・木曽路 〜二輪で駆ける、世界有数の温帯針葉樹林〜 その①

2022年の7月下旬。僕は長野に住む友達と北アルプス登山をすることになりました。もともと登山好きな僕にとって、夏のアルプスはまさに憧れの的。ワクワクするぜい。
しかし、いかんせん金がない。信じられないぐらい金がない。

そこで、移動費節約のため、地元の神戸から長野まで、原付で向かうことにしました。原付だったら長野までのガソリン代は1500円ちょい。全部下道なので高速料金もかからない。しかも、機動力があるので、いろんな場所に寄り道ができます。

長野の森を原付でめぐりながら、ゴール地点のアルプス山頂を目指す…。いかにも19歳の夏という感じがするではないか。こんな旅も、たまにはイイ。

寝袋、モバイルバッテリー、樹木図鑑をリュックに詰め込み、スロットルを回していざ出発。魅惑の森を求めて、アルプスのお膝元へ…。

少し前ですが、僕の夏の思い出にお付き合いください〜。

寄り道ポイント


ぼくが今回の旅で絶対に寄りたかったのが、日本三大美林のひとつ・木曽ヒノキ天然林。

中央アルプスの西側、木曽川上流域の山岳地帯には、今では貴重となったヒノキの天然林が広がっています。樹木図鑑でも触れたのですが、優良材を産出するヒノキは、有史以来伐採され続けた樹種。日本産樹種の中で、人間活動の圧を最も強く受けた樹と言っても過言ではありません。原生的なヒノキ天然林は、いまでは超貴重な存在となってしまいました。

それゆえ、木曽に広がるヒノキ天然林は、多くの樹木マニア・森マニアの憧れの的となっているのです。実際、木曽ヒノキの森は、青森ひば、秋田杉とともに、日本三大美林のひとつに数えられています。

僕は針葉樹ファンを公言しているのにも関わらず、生まれてから19年間、木曽ヒノキの森に足を踏み入れたことは一度もありませんでした。これは流石にヒノキに失礼すぎるう……‼︎
この粗相を解消すべく、原付にまたがって一路木曽へと向かったのでありました…

中山道と木曽路

さて、大阪を出発してから3日目の朝。やっとこさ木曽路入り口の街、岐阜県中津川に辿り着きました。高速だったら3時間以下でたどり着けるのに……。まあいい、旅をするときに重視すべきなのは、効率ではなく体験の濃密さです。
夏の琵琶湖と真緑の水田を横目にスロットルを回し、景色を前進させていくときのワクワク感は、原付旅行でしか味わえないものでしょう。ここまでの長い旅路の思い出が、ケツの痛みに凝縮されている気がします…(まだ長野まで200km以上あるのに)。前の晩は多治見の漫画喫茶で寝たのですが、あんまりよく眠れなかったなあ…。

そんなことを考えながら、いままで走ってきた国道19号に別れをつげ、旧中山道をなぞる峠道へと入ってゆきました。

非力な50ccエンジンが苦しげな音を鳴らす中、急坂を登ること約10分。いきなり景色が開け、前方に恵那山がドーン。そしてその脇には旧街道の宿場町が…。木曽路最初の宿場町、馬籠宿(まごめじゅく)に到着です。

↑恵那山をバックにパシャリ。関西から、はるばる日本の脊梁山脈地帯までたどり着けたことに感激。(写真ー馬籠宿の棚田)


↑馬籠宿の棚田。急峻な峠の斜面に無理やり人の生活圏がへばりついている、という感じ。この風景、関西の平野に住む者からしたらすごく新鮮。
「馬籠」という名前は、山の尾根上の集落を”馬の背”に例えてつけられた。

江戸と京都を北武蔵・信濃・美濃経由で結ぶ総延長530kmの「中山道(なかせんどう)」は、江戸時代の日本の超重要幹線道路でした(中山道は木曽地方を貫通しているため、木曽ヒノキの森に行く際も、否応なしに通ることになります)。

当時、江戸と京都を結ぶ街道は東海道・中山道の2つが用意されていたのですが、東海道は太平洋岸の遠州を通り、大井川、天竜川、富士川などの大河を何度も渡ります。江戸幕府は、軍事上の防衛のため、遠州の川に架橋することを禁止していました。それゆえ、東海道を利用する旅人たちは、渡し船の利用を余儀なくされていたのです。

しかし、標高3000m以上の南アルプス山中から猛烈な傾斜で太平洋へと駆け降りる遠州の川は、暴れ川として有名でした。一度川が増水し、東海道が寸断されれば、旅の予定が狂うどころか、旅人自身の安全も脅かされます。

そういったリスクを避けるため、一部の旅人たちは中山道経由で京都江戸間を行き来したのです。中山道は、大河の源流から、さらに山を超えた向こう側、中央高地を通過します。山こそ険しいものの、予想外のアクシデントに見舞われるリスクは比較的低めでした。

↑中山道と東海道のルート比較図。中山道がバイパスのような役割を担っていたのがわかる。僕が関西から琵琶湖畔→岐阜南部を通って馬籠宿へと走ったルートは、中山道をそのまま踏襲していたのである。

美濃・信濃国境の馬籠宿から、信濃国塩尻の贄川宿(にえかわじゅく)までの70km強(上記地図を参照)は、長い中山道の中でも、特に山深い区間。標高2000m級の山の連なりを、木曽川がぶった斬って作った狭い谷間(木曽谷)にぴったり沿って、街道が伸びています。この山岳区間は、「木曽路」と呼ばれ、奈良時代の街道開設から現在に至るまで、多くの旅人たちから”難所”として恐れられてきました。

そして、江戸方面に向かう旅人が木曽路に突入する直前に通過する宿場町が、「馬籠宿」なのです。現在でも、馬籠宿には往時の街並みがそのまま残されており、中山道全盛期の時代の雰囲気を感じ取ることができます。

↑馬籠宿の街並み。山の尾根に沿っているため、街路にジェットコースターのようなうねりがある。馬籠宿は、文豪・島崎藤村の出身地でもある。

エンジン付きの原付を使っても、京都から馬籠宿までの200km強の道のりは、かなりタフなものでした。
この行程を全て歩き、馬籠の先に待ち構える険しい木曽路も超え、中央高地を横断してはるか先の江戸を目指す…。往時の中山道ユーザー達は、いったいどんな気持ちで旅をしていたんだろう。
深い山が連なる広大な日本列島を、自分の足だけで回りきった、先人達の逞しさには本当に頭が下がります。

木曽路はすべて山の中である


さて、今度は僕が木曽路に突入する番です。馬籠峠を超え、岐阜県から長野県に入ります。待ってろよ、木曽ヒノキっ。

↑車だと、県境なんてあまり気に留めないけれど、原付だと県境ひとつ越えるだけでビックイベント。旅は、移動スピードが遅くなればなるほど濃密になる気がする。

木曽路に入ると、やっぱり周囲の景色がガラッと変わります。
まず、明らかに山が深くなる。岐阜県内では、丘陵地帯の中の広い谷間で、ゆったりと流れていた木曽川が、長野県内では急峻な山々の”隙間”で、窮屈そうに谷をつくっています。木曽川の上流に近づいているんだな、と実感。
また、木曽谷の周囲には、標高2000mを越える中央アルプスが聳えています。日本の脊梁山脈地帯の内部に入り込むんだから、そりゃあ”山の圧迫感”は増すよなあ……。

木曽を舞台にした島崎藤村の小説「夜明け前」は、”木曽路はすべて山の中である”という超有名な書き出しで始まりますが、その意味がよくわかりました。

↑木曽路70kmの間は、ずーっとこんな感じの景色が続く。


↑木曽の西側を固める、御嶽山。標高3067m。

さらに、”森の様相”も、馬籠峠を越えると大きく変わります。

原付のスピードはゆっくりなので、運転している間も周囲の山と、そこに広がる森がよく目に入ります。
長い間樹木と付き合っていると、山を覆う森の全体的なフォルムや、森の色で、そこに何の樹が生えているのか、だいたいの見当がつくようになります。
原付でのんびり巡航しているときは、こうやって”森のウィンドウショッピング”を楽しめるのです。これもまた、原付旅行の魅力のひとつでしょう。(もちろん前方不注意にならないように気をつけなくてはなりませんが)

国道を走りながら、両サイドの山を観察すると、木曽の山の”緑の濃さ”に気がつきます。

中津川以西の山々には、延々と落葉広葉樹の二次林(コナラ、クヌギ)が広がっていたので、森の色は概ね黄緑に近い。それに対して、木曽の森の色は濃い緑。前述の小説「夜明け前」にも、木曽の山の外観についての描写があります。

対岸には山が迫って、桧木、さわらの直立した森林がその断層を覆うている。尖った三角形を並べたように重なり合った木と木の梢の感じも深い。

島崎藤村「夜明け前」新潮文庫

引用文にもある通り、この独特な色合いは、この地に生育するヒノキ、モミ、サワラなどの常緑針葉樹が作り出したものです。
しかも、山をよく見ると、森の樹冠には凹凸があります。高い樹があったり、低い樹があったり。ヒノキの植林地の場合、同じ樹高の樹が密生するので、樹冠に大きな凹凸は出来上がりません。

↑長野県上松町、木曽川の沿いの景勝地「寝覚の床(ねざめのとこ)」は、木曽の山の特徴を理解するのにぴったりの場所。奥に見える山には、濃い緑色で、三角の樹形の樹がたくさん生えているのがわかる。そして、ひとつひとつの三角の間隔は、かなり空いている。ここから、「前方の山に、常緑針葉樹の森が広がっている」と推測できる。また、一本一本の樹の間隔が空いているということは、その森が天然林に近い状態であることの証拠。川沿いの山林に、当たり前のように針葉樹の天然林が広がっているなんて…天国のような場所だ…。


森の緑の濃さ、森の樹冠のフォルムの”いびつさ”は、「ここに、常緑針葉樹の天然林が広がっている」ということを意味しているのです。
目の前に広がっている森の情景が、1920年代に書かれた小説の描写とまったく同じ…。木曽の森の風景に、少なくとも90年以上人間の手垢がつかないまま、今日まで残ってきたことの証です。

憧れの木曽ヒノキ天然林が、すぐそこに迫っている。ワクワクが暴走して止まらなくなってきたあ‼︎

しかし、同時に疑問も浮かびます。
通常であれば、本州中部では落葉広葉樹が優占する森が広がるはず。濃い緑の針葉樹たちが、植林ではなく天然の状態で山を覆っている、というのは、普通に考えるとちょっと奇妙な光景なのです。ではなぜ、木曽では針葉樹が広葉樹を押しのけ、山を覆っているのか?

実はこの景色、木曽の森が世界的にも希少な存在であることの、何よりの証拠なのです……。(その②へ続く)


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