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青春18きっぷで巨樹を追いかけた話 その3 東京の巨樹

今回は、東京の巨樹、名木をひたすらに紹介していきたいと思います。

大都会・東京には、実は結構な数の巨木が住んでいらっしゃいます。

彼らの多くは、江戸時代、もしくはそれ以前の生まれ。

つまり、東京という街の歴史を、生で見てきた生き物に、私たちは会うことができるのです。

巨木に会うことは、ひとつのタイムトリップと言えます。

そう考えると、なんかワクワクしませんか?

しかし!

都会の喧騒の中で必死に生きる、彼らの存在感はめちゃ低い! 

ディオールのブティックショップを見に表参道に行く人はいても、ケヤキ並木を見に表参道に行く人は少数派でしょう。

樹木マニアとしては、この状況はなんとももどかしい………!

大都会で必死に生きる彼らに、日の目を見させてあげたい!ってことで、この記事を書きました。

それでは、いざ出発〜

(訪問日はすべて2020年元旦です)

1.大雄寺のクスノキ(台東区)

この木は、僕が「谷中のヒマラヤスギ」という巨木に向かっている道中、偶然見つけたものです。何気なく路地に入ると、前方にかなりでかいクスノキが目に入り、「なんじゃありゃ。近くで見たい」と思ってグーグルを頼りに辿り着きました。


近くで見ると、やっぱりものすごい迫力。

巨木を見ると感じる、いつもの「ゾワゾワ感」がここでも体に走りました。
樹齢は300年。
しかしその年齢を感じさせない元気さ。樹勢は極めて良好。あと数百年は余裕でござるな、そう思わせるぐらい枝ぶりや葉にエネルギーが満ち溢れています。


この木の周りは墓地になっており、「幕末の三舟」と言われた有名な侍、高橋泥舟の墓も木の真下にあります。

木は、まだ高層ビルなどがなかった時代、この世に存在するものの中では最も背が高い、すなわち最も「この世とは違う、別の世界」に近いものでした。

この世と別の世界を行き来するものは、みんな木を通っていくと考えられていたのです。日本で育つ木の中では一番高くなる杉の木が、神社の御神木で多いのは、昔の人がこのような考え方をもっていたからだとも言われています。

このクスノキも、お墓の仏様が、この世からあの世に行くときに通る幹線ルートなのかもしれません。

人生の最後の最後で、この木を通って穏やかにあの世へ向かう…………その時間で、仏様は今までの思い出をゆっくり振り返る………ていう光景が思い浮かんできます。

こんな素晴らしい木を通って神様のいる国まで行けるのであれば、なかなかのファーストクラスだよなあ。
高橋泥舟も、最期はこの木のお世話になったのかなあ。
でもこの木、枝複雑だから天国までの道間違える仏様もいそうだなあ。



お盆の時期は、この世と同じく実家に帰る仏様でこの木大混雑するんだろうなあ。人口が多い分、東京で死ぬ人は多いでしょうから、この木を使って天国とこの世を行き来する路線はかなりのドル箱路線でしょう。

おっと、ここは木を紹介するところだった。死後の世界のことは、モーガンフリーマンがNHKの番組で解き明かしてくれるでしょう。そのジャンルは彼に任せて、つぎに出発〜

大雄寺のクス 基本データ

樹齢 300〜400年

樹高 20メートル

幹回り 5メートル

所在地 東京都台東区谷中6丁目 長晶山大雄寺

・鶯谷駅北側の寛永寺陸橋を渡って言問通りを500メートルほど西に進み、「上野桜木」の交差点で右折するとすぐに大雄寺。

2 谷中のヒマラヤスギ

大雄寺から路地を進んでいくと、あたりが昭和の下町の雰囲気になります。まるでこち亀の世界。
こういう町、すごく好き。テンション上がり気味で歩くこと8分、前方にでっかいヒマラヤスギが見えてきます。

これがぼくの今回の最大の目的、「谷中のヒマラヤスギ」です。この木は、約90年前、「甘味堂」 という駄菓子屋の主人が鉢で育てていた小さな苗木がそのまま大きくなった、というもの。
なかなか特殊な生い立ちの巨木です。根元を見てみましたが、鉢なんか影も形もありません(当たり前か)。
完全に幹や根の中に食い込み、次第に巻き込まれて見えなくなったのでしょうか。

ぼくもヒマラヤスギを鉢で育てたことがあるのですが、あいつの生命力はマジで半端ない。鉢に植えて数年で、ぶっとい根が陶器の鉢を破壊。鉢から脱出した根は、その後地面のコンクリートのわずかな隙間を見つけ、そこに侵入。コンクリートを破壊しながら地中深く潜っていき、今ではどこまで伸びたのやらわかりません…………………シールドマシンみたいな根っこでござるな。

谷中のヒマラヤスギも、こんな感じで巨木になっていったのでしょう。うーむ、今鉢植えで育てている木も、100年経てば町のシンボルになるぐらいの巨木になるかもしれないのか。ものすごくロマンがあるなあ。近所迷惑じゃないかと言われれば何も言えませんが……………

↑数年前の台風で枝がバキッっといってしまったらしく、生々しい傷跡が残っている。
ヒマラヤスギは生命力が強く、枝折れぐらいで枯れることはないけれど………
年齢が年齢なので、どうかお大事になさってください!


ちなみに、90年前にヒマラヤスギをお世話していた店「甘味堂」は「みかどパン」に名を変えて現在も同じ場所で営んでいます。生地を木の形に切った「ヒマラヤスギラスクとクッキー」というものも売っているそうです。

谷中のヒマラヤスギ 基本データ

樹齢 90年

樹高 12メートル

幹回り ⒊24メートル

所在地 東京都台東区谷中1丁目

・なんか複雑な路地をうねうね進んでいった気がする。地図なしでたどり着くのは難しいかも。Googleマップで「谷中のヒマラヤスギ」と検索すると木の場所に辿り着けます。

3.谷中銀座のホンコンカポック(台東区)

ぼくが谷中銀座周辺をぶらぶらしているとき、ばったり遭遇した木です。どっかから指定を受けたり、名木のサイトに載ってたりしてるわけではないので、「非公式名木」ですが、すごくおもしろい木だと思ったので、紹介したいと思います。



谷中の細い路地を歩いていると、少し離れたところに、周りの住宅よりもひとまわり樹高が高い、モコモコした樹形の木があるのが見えました。なんだろうあの木。あんまり見かけない樹形だな。そう思って近づいてみると、なんと樹種はカポック。個人のお宅の軒先に植わっていました。

カポックはけっこう有名な観葉植物なので、ご存知の方も多いかもしれません。
普段私たちが「カポック」と呼んでいるのは、正式にはシェフレラ・アルボリコラ(Schefflera arboricola)というウコギ科の植物の「ホンコン」という園芸品種。ホンコンカポックという名前で、園芸店に流通していることが多いです。

シェフレラの原産地は台湾や中国南部の亜熱帯地域なので、日本だと室内でしか育てられないのかな、なんて思ってしまいそうですが、彼は意外と寒さに強い。神戸や東京では全然普通に屋外で越冬することが可能です。ぼくも庭で育てていますが、雪が積もっても枯れませんでした。


おそらく、このビッグサイズホンコンカポックも、谷中のヒマラヤスギと同じく、家の主人が育てていた鉢植えがそのまま大きくなったパターンでしょう。大きさからして、20年ぐらいはこの場所で育てられているんじゃなかろうか。

根元にはちゃんと気根的なやつも出てるし。もうこの風景だけ切り取ったらアンコールワット。いくら寒さに強いとはいえ、ホンコンカポックが、日本でこんな大きさになるというのはちょっとびっくり。おまえ頑張ったなあ。拍手!

偶然こんな木に会えてよかった。歩き回れば歩き回るだけ、こんな素晴らしい木との出会いが増えていきます。

⒋東京スカイツリー(墨田区)

ぼくはこれまでけっこうな本数の木を見てきましたが、この木はそのどれとも違う、かなり独特な見た目をしています。
あまりに特異的な見た目をしていたので、はじめて見たとき、本当にこれは樹木なのかと思わず疑ってしまいました。

でも、名前にツリーが入っているので樹木であることは間違いないでしょう。
ということは、ここで紹介しなければなりません。なんせ、生駒山よりも高い巨木なのです。

まず、この木には葉がありません。
どうやって光合成をするのでしょうか。ボトルツリーみたいに幹でも光合成をしているのかな。
しかし、その幹はなんと鉱物でできています。樹高が634メートルもあるため、体を支えるための幹は通常の樹木よりもずっと材が硬くなるのでしょう。
おそらく地中に含まれているなんらかの金属を根から取り込み、幹に含ませることによって幹の強度をあげているのです。

ニューカレドニアに生えているセーブブルーという樹木も、地中からニッケルを吸って葉に含み、葉を食害から守っています。この木も、そのタイプの樹種だと思われます。

また、この木は、梢から電波を飛ばすという、非常にかわった性質を持っています。
このような性質を持つ木はスカイツリー以外にも日本には何本か存在しており、初めてこの「電波の木」の自生が日本で確認されたのは、1958年のことです。
自生地は港区の芝公園内でした。その後、人間はこの木の電波をキャッチする機械、テレビを発明。テレビは瞬く間に国民的な娯楽となりました。

人間の歴史をガラッと変えた木の1つといえるでしょう。

問題は、この木が何科何属の何という種類なのか、ということです。どういうわけか、どの図鑑を調べてもこの木の記載が見当たりません。自分で推測するしかなさそうです。同定の手がかりになりそうな特徴をあげてみます。

1.かなり樹高が高い

2.水が豊富な土地に立っている 木の根元にはすみだ水族館がある。また、木は源森川という河川のほとりに立っている。→水を好む樹木?

3.樹形は直立型

上に書いた3つの特徴をすべて持ち合わせているのはスギ科の樹木です。では、スギ科の何属か?スカイツリーは634メートルという驚異的な高さであることを考えると、この木はスギ科の中でも特に樹高が高くなる、セコイア属に属していそうです。

でも、セコイア属の自生は日本にはなかったったなあ。ということはこの木は外来種か!まじかよ。こんな大木、駆除するのも一大国家プロジェクトになりそう…………

ちょっと心配になりましたが、大丈夫。アメリカ原産のセコイア属の樹種、センペルセコイアは、日本で公園樹として多く植えられていますが、今のところそれが野生化し、日本の樹種を駆逐している、という事例はありません。
おそらくセコイア属の樹種には、見知らぬ土地で外来種になるほどの生命力はないのでしょう。

東京スカイツリー 基本データ

樹齢 12年(2008年に発芽、現在の高さになったのは2012年)

樹高 634メートル

幹周り 154メートル(地上345メートル地点の第1展望台での幹周り。根元は一辺68メートルの正三角形。木の幹周りは人間の胸の高さで測るのが普通なのですが、計測が困難でした。申し訳ありません。)

所在地 東京都墨田区押上1丁目

・樹冠付近までエレベーターで登れます。

5.日比谷公園の首かけイチョウ(千代田区)

東京のオアシス、日比谷公園の真ん中に生えている、イチョウの巨木です。
がっしりとした太い幹、たくましい枝ぶり。公園の樹木の中で1本だけ、異様な存在感を放っています。まさしく公園の、いや東京の木の番長です。

押忍!これからあなたのことを、番長と呼ばせてくだせえ!お会いさせていただき、ありがとうございますっ!!

↑元旦に訪れたので、番長は休眠中だった


見た感じ、番長の樹勢は良好そうです。枝を見れば、その木の元気さがだいたいわかります。お身体が元気そうで、何よりでっ!

しかし、今では快適そうな番長も、これまでは波乱万丈の人生でした………………

番長は樹齢400年。江戸の町がまだ全然できていなかった頃にだれかに植えられたそうです。植えられた当初、番長は現在の居住地の日比谷公園から500メートルほど離れた場所、今では日比谷交差点になっているところに住んでいました。彼はそこで数百年間すくすくと成長し、19世紀が終わるまでは悠々自適の人生を送ります。

彼の運命がガラッと変わったのは1901年のこと。道路拡張工事が決定され、その予定地に立っていた番長は伐採されることになってしまったのです。

………………また出たよ。巨木の死因毎年トップ「道路工事」。やばい。番長ピンチ。このままでは番長が国道1号線に殺されちまう。そんな中、ある人物から救いの手が差し伸べられます。
その人物とは、本多静六という造園家。
日比谷公園をはじめ、奈良公園、中村公園など、日本の名だたる都市公園を数多く設計した人物です。

彼はよほどこのイチョウへの思い入れが強かったのか、イチョウの移植を東京市参議会長に直談判します。
しかし、巨木の移植は簡単なことではありません。重機がなく、すべて人力で行わなくてはいけない明治時代ならなおさらのこと。
多額の金をかけて失敗したらどうするんだ。上層部のゴーサインは簡単には出ませんでした。

しかし、本多静六の決心はかたく、「私の首をかけてでも成功させる」と言ってのけ、参議会長を納得させます。これが「首かけイチョウ」の名の由来です。

その後、首かけイチョウの移植プロジェクトが本格的にスタート。日比谷公園内の移植先まで、500メートルのレールが敷かれます。番長はそれを使って、約25日間かけて移植先まで移動したのでした。

本多静六の技術が本当にすごいなあ。つくづくそう思います。樹齢数百年の木の移植なんて、現在でも難しいのに、明治時代にそれをやってのけてしまうなんて。びっくり仰天。

その後の番長は新しい地で順調に活着。みるみるうちに元気になっていき、数十年経つと樹勢も元に戻ります。ああよかった。もう一生安泰。死なない限り絶対枯れない。番長は安心しきっていました。

ところがどっこい、1971年、彼にもう一度災難が降りかかります。

1971年11月19日、日比谷暴動事件が発生。過激派たちが番長のすぐ横に建っていたレストラン「松本楼」を放火し、その火が番長にも燃え移ったのです!

何してんだよおお〜!!首かけイチョウにセカンドインパクトが襲いかかる!

結果、番長は全身大やけど。戦闘後のエヴァンゲリオンみたいになってしまった番長。もはやこれまでか!誰もがそう思っていました。

ところが、その翌年の春、番長は見事に復活。新しい芽を吹かせました。

49年たった現在、番長の傷はすっかり癒えて、元気に暮らしています。

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自転車で東京を走っていると、いたるところでイチョウの巨木とお会いしました。

東京は、ほかの街よりもイチョウの巨木が多いような気がします。これは僕が感覚的に感じたもので、統計をとったわけではありません。

しかし、東京は間違いなく、イチョウとの縁が深い街です。イチヨウ例を挙げてみると、東京大学のマークはイチョウ、東京都の木もイチョウ、街路樹本数もハナミズキに次いで2位。

いったいなぜ、東京はこんなにもイチョウと仲が良いのか。

おそらくその理由は、「イチョウは火事に強い」ためだと思います。

木が好きな人ならわかると思うのですが、イチョウの葉や樹皮の手触りは、ほかの木とはちょっと違います。葉っぱは普通の木よりかなり硬く、樹皮は厚いコルク質、柔らかく、ふかふかした感じの手触りです。これは、イチョウは細胞にかなりの水分を含んでいるためです。イチョウは、つねに消防服を着ているような樹木なのです。

昔から、東京は火事の多い街でした。 江戸時代264年間で、東京(江戸)で発生した大火(街ごと焼き尽くすほどの大火事)はなんと100回以上。大阪はわずか9回です。ここまで燃えやすい街というのは、世界的に見ても珍しいんだとか。


↑港区三田、綱町三井倶楽部の横にあるイチョウの巨木

↑ご存じ、外苑イチョウ並木


そんな中、人々は好んでイチョウを植えました。町中にイチョウを植えれば火事の延焼を防げます。寺社や、由諸正しいお屋敷の周りにイチョウを植えておけば、イチョウが大事な建造物を火から守ってくれます。

イチョウは、ただ立っているだけで街を守ってくれる、優秀な消防隊員なのです!実際、友達と観光で訪れた浅草寺では幹が焼け焦げたイチョウの古木を何本か見かけました。ああ、なんか泣けてくる…………彼らは命がけで、火事から浅草寺を守っていたのです!それも数百年間!

東京オリンピックのテロ対策も、イチョウがいればひとまず安心。どんな爆発が来ても、イチョウはその被害を最小限にとどめてくれます。東京中の道路というの道路、公園にSASの兵士が立っているようなもんです。みなさん道路のイチョウの植え込みにゴミを捨てるのはやめましょう。イチョウの植樹帯は、対テロ部隊の詰所ですよ!

首かけイチョウ 基本データ

樹齢 350年(東京の街と同い年です!)

樹高 21.5メートル(移植の際、切り戻されたらしい)

幹周り 6.5メートル

所在地 東京都千代田区日比谷公園1ー6

・日比谷公園のほぼ真ん中、松本楼というレストランの横にいらっしゃいます。

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