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私は育ちの悪い人【お墓参り】

こんばんは!はるねずみです。

今日ふと気がついたんですが、「毒親育ち」って言いかえれば「育ちが悪い」ということでもあるんですよね。

「毒親育ち」という言い方をすると、親=毒、つまり、そんな親に育てられた「可哀想な子供」というイメージがわきやすいと思います。

逆に、「育ちが悪い」と言うと、もちろん親の育て方に問題があるという意味合いもありますが、子供自身も劣っている、人として欠陥がある、という聞こえ方がより強い気がします。

自分で自分のことを「毒親育ち」と呼ぶのは、あくまで悪いのは親ということにして、ある意味自分をかばっているとも言えるのかなぁと・・・。

だから、子ども側の立場では「私は毒親育ちです。」という言い方なら自称するのに抵抗がない人が比較的多いのかな、と思いました。


私は育ちの悪い人

私は、自分の未熟さを全て親や環境の責任にしているように聞こえてしまう「毒親」「毒親育ち」という言葉に少し抵抗があります。

こんなことばかり書いておきながら、私は人から、

「不幸自慢」「悲劇のヒロインのつもりか」「他責思考」

と決めつけられたり批難されることを極端に恐れているせいもあります。

(このnoteなどで生い立ちを話すときには、わかりやすさ重視で使うことが多いのですが)

だからいっそ、ここでは自分で自分のことを「育ちが悪い」と言うことにします。

というか、それも事実だからです。


私は世間一般の常識から外れている、世間知らずなところが多々あります。

普段は普通にして、周りの人とほとんど変わらないようにふるまっていても、ふとした会話でそれがはがれてしまうときがあります。


今回は、そういうちょっとしたエピソードを「私は育ちの悪い人」シリーズとやや自虐的に題して、あるあるネタみたいに書いてみようと思います。

「さすがにこれはまずいかも・・・」と思ったら慌てて消すかもしれません・・・


「お墓参り」

お盆と言えば、地元に帰省する人が多いのではないでしょうか?

離れて暮らす家族に顔を見せに行ったり、同じように帰省してくる友達と再会してご飯に行ったり。盆踊りとか夏祭り、花火大会などのイベントも開催されます。

あとはやっぱり、「お墓参り」ですよね。

地域によってはキュウリやナスに足を生やして飾ったりするそうな・・・?
(アニメとかで見たことがある)


実は私、恥ずかしながら、33年間生きてきて、お墓参りに行った経験が片手で数えるほどしかありません。(覚えてないだけ・・・?)


少なくとも、ここ十年は行っていないと思います。

というか、最後に行ったのがいつか、思い出せません。下手したら小学生の時が最後かも・・・?(それも1,2回きり)


お盆の話題になると、「お墓参り行くの?」なんて会話がよくあると思うんですが、そのたびに返答に困っていました。

実は、ついさっきも友達とのLINEのやりとりで、まさにその質問をされました。


私は、母方と義父の祖父母はいずれも健在、実の父方は祖父のみ健在です。

ただ、曾祖父母やそれより前の自分の先祖のお墓がどこにあるかどうかなどは知りません。昔行ったことのあるお墓参りも、誰のお墓に行ったのかもわかっていませんでした。

私が死んだら、どこのお墓に入るのか・・・?(それは多分、結婚しているのだから夫側の先祖のお墓、なのでしょうけど・・・でもその辺もよくわからない。)


お盆にお墓参りに行く、というのが、世間の当たり前の風習であることはなんとなく知っているけど、自分はそれをするのが当たり前ではない環境で育ちました。


両親の離婚後、母子家庭となり、その後は親戚付き合いはどんどん減っていきました。お墓参りだけでなく、お葬式も人生で2回しか出席したことがありません。

そういうことを言うと大抵驚かれたり、ちょっと引かれたりします。そして、自分が世間知らずなんだと気づかされます。

どんなに優等生みたいに、常識人ぶっていても、世間の当たり前を知らない。経験したことがない。


こういうとき、私はたいてい、何でもない事のように「お墓参り?行かないよー」とサラッと答えるようにしています。

頭のおかしい人、ちょっとズレてる人、常識知らずな人、育ちの悪い人。

たぶんそのどれかだと思われるであろうことは承知で、その通りに振舞います。


本当は、そんな風に思われることが少しつらいです。

そういうのときの他人の「えっ・・・この人・・・」という表情を見ると、胸がチクッとします。

だからわざと、別に気にしてない、ちょっとおかしな人でいようとするんです。


ただ、これから先は私も、お墓参りに行くことがあるのかな?とぼんやり考えています。

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