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一転した生活から二年

こんばんは。

最後の「対人関係療法」を終えて、色々と思うことはありますが、今回は過去と今の生活を記録として残したいと思います。

二年前、母の白血病と脳梗塞などが重なった日から、私の生活は一転してしまいました。

・買い出し、料理、家事がほとんど初めて(洗濯機の使い方もわからず)
・母への心配と不安で精神的な特大ダメージ
・お金の為にサバイバル生活
・いつ病院から連絡が入るかわからないので電話の音に怯える
・猫の世話
・毎日の病院と仕事の往復

この時も「死のう」と思いました。
冷暖房は絶対付けないし、シャワーも極力短時間。自販機やコンビニは問題外。

まだ、父には色々を言えず一人で抱え込み、お客さんに乞食のようなことをしては傷つく言葉を吐かれたり というのを繰り返す毎日を送っていました。
唯一頼れるお客さん(以下Nさん)は、とても苦手な人だったけれど、ほぼ毎日会っていました。

癌告知の日も四回の脳手術の日も仕事と面会でヘロヘロの日も、過食嘔吐は絶対にしていましたので過食費用にとても苦しみました。
仕事の日も、休みの日もほぼ毎日Nさんに会い、何時間も相手の顔色を伺いながら話を聞き、その報酬として食料を確保して。
Nさんは、感情的な人なので、飲食店等でも警察沙汰になるほどの騒動を起こすことも珍しくなく、一緒に居る時間は、「安心」とは程遠いものでした。

そんな生活を今年の5月まで続けていましたが、食料の安心を得ることは出来ても、心の安心を無視し続けていたので、Nさんといる事への苦痛が爆発してしまい離れることにしました。

Nさんからは、今思えば目には見えない暴力を受け続けていたように思います。とにかく脅威の存在でした。

対人関係療法の本を読み始めたことがきっかけで、Nさんと離れること勇気(食料確保の安全を捨てる勇気)を持てました。
もちろんNさんからの支援は感謝はしていますが、今はまだ、

「私を苦しめた人」

としての認識の方が強いです。
そんな気持ちもいつか手放すことが出来る日が来るのを待ちます。

生活はサバイバル生活に戻りましたが、自炊も覚えたし、心の調子も良くなりましたので、結果オーライな日常です(´ω`)ノ

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