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詰め込んだっていいんじゃない?

私の場合、文章を書くときっていうのは
大体ゴールが見えないから書いていることが多いです。

頭の中だけで考えていると、
どれだけ頭が散らかっていても目には見えないから、
言葉にして頭の中を棚卸して整理している感じで。

でも、頭が散らかっている時というのは、
大概部屋が散らかるもので、
あながち目に見えないわけでは…ないです(笑)

だから、文章を書いて整理することもあれば、
片付けをすることで頭の中が一緒に片付いている、
ということはよくあります。

とはいえ、私の頭はどちらかというといつも散らかりがち。
だから、瞑想とか、ヨガとか、「無」になる時間が欠かせません。

多分そうやってバランスを取っているんだと思います。

子どもの頃から私はついついなんでも詰め込んでしまう方です。

昔、友人を自分の部屋に入れたとき、

「詰め込みすぎ」

と笑われてしまったことがありました。

その子は特に悪気があったわけではないと思うけれど、

私にはそういう感覚がなかったから結構傷付いたことがあります…。

それが、私の「詰め込み癖」への自覚と、劣等感の始まりでした。

そんな私も歳を重ねて、余白を学び(笑)
少しずつは意識的に物理的な余白を作ることはできるようになってきたけれど、

油断するとすぐにリバウンドするところを
みると、

本来の自分はやっぱり詰め込むことが
好きなんだと思います。

実は、今年の1月は過去一番に近いほど結構日常に余白があって、

「おっ、これはいい感じだ!」と余白を嗜んで日々を過ごしていたんです。

…が、その余白にだんだん物足りなさを感じてしまい、

一個詰め込んだが最後、あれよあれよと新しい話が舞い込んできて、

結局今は元の木阿弥。笑

変わったのは、詰め込まれているものの中身が入れ替わっただけで、

どうしても総量が減らないのです(笑)

私の場合は「詰め込んで生きることがよくないことだ」という思い込みを
いっそ手放してしまった方がいいのかもしれないなと思い始めています。

「心地よい詰め込み感」が私にもあって、
それはぎゅうぎゅうであふれるほど、ってわけではないのです。

でも、「詰め込みすぎ」って笑われた経験が蘇ると、私は自分の感覚が信じられなくなって、裸の王様みたいになっていないかとヒヤヒヤしてしまう。

でも、詰め込もうが、スカスカにしようが、
結局は私の生き方であり、私の人生なのだから、

大切なのは「詰め込まないこと」ではなく、
「詰め込みがちな自分を認める」ことなのかもしれないと、書きながら思いました。

「詰め込まない」という自分に課して、
「またできなかったよ、とほほ」と自分にダメ出しする人生はなんだか苦しい。

とはいえ、今はちょっと自分でも心地よいから2ミリほど溢れているので(笑)

新年度が始まる前に、
減らせなくてもちょっと整理はしようかな!とは思っています。

あぁ、今日ももうこんな時間!
また詰め込みすぎた(笑)

みなさんもいい夜を*

山口春奈



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