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生き急いできた私が感じてきた恐れと焦り、その奥にあるもの。

私はいつも「生き急いじゃだめだよ」と小学生の頃から言われてきた。

そう言われるようになったのは、父が亡くなったことが大きく影響している。

この言葉をかけられた当時小学6年生、12歳だった私は、6年前に若くして亡くなった父のように早死にする恐怖に怯えていて、とにかく早く父の年齢を超えたかった。

追い討ちをかけるように私を焦らせたのは、恥ずかしながら手の生命線が異様に短かったことだ。

小学生の低学年くらいの時に親戚に手相の見方を教わりに、生命線がものすごく短いことに気づいてしまった。

数年前に父をなくしたばかりの私にとっては、それはそれは恐怖でしかなかった。

私は生きたかった。

だから毎日爪であとをつけて、生命線を伸ばそうと工夫を試みたけれど、全くもって効果はなかった。(当たり前だ...)

でも、そんな恐怖を誰かに話そうものなら、それが本当になってきまう気がして誰にも言えず、私は笑顔でその言葉を聞き流しながら、「私は急いでなんかいないし。」と余裕の表情を作って澄ましていることくらいしかできなかった。

多分、というか絶対バレる人にはバレていたと思う。

あの言葉を言われてから20年以上が経つ。

あの時急いでいた私は、今はどうなったのだろう。

めでたく、父の年齢を越え数年が経ち、なんだかある時を境に生命線もぐんと伸び、そこそこ人並みになった。(やったー!)

それでも、いまだに何か急いでいる気がするのだ。
というよりも、「焦る」の方が当てはまっているかもしれない。

似ているようで違う、二つの言葉。辞書で開いてみた。

最近買ったばかりの新しい岩波国語辞典。とりあえずなんでもいつも使う言葉を辞書で引くと、色々な発見がある。純粋に、楽しい。

話は戻って、

「焦る」という言葉は

思いどおりにことが進まず、なんとかせねばといらだつ。じりじりする。 

続いて「急ぐ」という言葉は

早く仕上げよう、早く行き着こうとして速さを増す。

とあった。

「急ぐ」という言葉には動的だけど、「焦る」という言葉は気持ちにフォーカスされていて、足踏みしていて進んでいない感じがする。

そして、「いらだつ」という言葉がまたずん、と、くる。

私は確かに苛立っている・・・
「おかあさんおこってばっかり」って最近よく言われるから多分本当だ。

私もそうやって言われたら「ほんとそうだよねー」と思わず子どもたちにまるで他人事のように同意してしまう。

もはや我が家のネタの一つとなった、私の怒りんぼう。

でも、いつまでもこれでいいわけがない。

この現状を変えていくためのまず一歩は、まず自分のなかにあるこの「イライラ」の正体と真正面から向き合ってみることだ。

この「イライラ」は間違いなく「焦り」からきていることまではわかっている。

けれど、わたしはそれは以上深掘りしてみることが怖くてできず、書いたことがない。

それは書くことでお腹の中にあるものすごくどす黒いものを
認めてしまいそうだからなのかもしれない。
しかもここに書いてしまうということは公になってしまう。

それが私は恐い。

書いてみたら想像以上に自分が恐がっていることに今気付いた。

でも、私はこの自分の中にある「焦り」と、そこにお団子のようにくっついている「イライラ」と思い切って向き合ってみたいなと思っている。

ひとりで内緒にして抱えずに。

なので敢えてその過程をここに書き記しておこうと思う。

いつか、子どもたちが読んだ時に、「あ、そうだったんだ、お母さん」と思ってくれたらいいなとも思うし、もしかしたら今同じ思いを抱いている人もいるかも?しれない。

きれいなところだけを書かない、というのが私のこの秋のテーマなので、自分の理想から大きくはみ出た部分も、ちゃんと丁寧に言葉にしてみて、両手で包んであげたい。

それができたら、私はきっともう少し私のことを好きになってあげられる気がする。

というわけで、出来るだけ楽しくおかしく、でもちゃんと向き合ってみようと思います。


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