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20年前の私の9.11

あの日は、私が初めて「戦争」の空気をわずかながらにも自分の肌で感じた日でした。

カナダに留学して2週間も経たないときで、テレビのない家庭にホームステイしていた私は、NYの出来事を学校についた途端知らされました。

ちょうど時差もあって、事故が起きたのはバンクーバーでは登校時刻のころ。

ハイジャックされた他の飛行機がバンクーバー空港に着陸するかもしれない、という話が入り、空港からものの10分ほどのところにあった学校に通っていたので、とにかく怖くなったのを覚えています。

吹き抜けの学校のロビーから見える空には何度も戦闘機が通っていたし、空港は閉鎖されて、日本から付き添いで来てくれていた先生たちは帰れなくなりました。

まだ英語もあまりわからないし、ニュースも聞き取れない。でも、すごいことが起きてしまった。それは分かりました。

もう日本に帰れないのかもしれない、そんな恐怖もありました。

カナダだし、おまけにインターナショナルスクールだったこともあって、学校には色んな宗教背景の留学生がいて、みんな違いに戸惑うことはありながらも、上手くやっていました。

なのに、同じ人間同士が、信じるものが違うだけでここまで憎しみを抱くことができるなんて。

私が宗教や人々の信仰心に関心を持ち始めたきっかけはここからだと思います。

あの多感な時期にあの経験があったことは私の人生を大きく変えました。

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平和とはなんだろう?
寛容とは?
受け入れるとは?
平等とは?
尊重し合うって?
寄り添うって?
助けるって?
分かり合うって?
正義って?
善とは?
悪とは?

良かれと思って使っている言葉にも、そこに傲慢さや偽善や、色んなものが潜んでいたりして、時に自分でもヒヤッとしてしまうことがあります。

特に、私は自分で心から良かれと思ってやることには注意が必要だなと思っています。そういうときは自分の無意識の傲慢さが滲み出てしまっていることが多い。子育てとか、特にそうです。(本当に気をつけよう、、)

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たくさんの正義がぶつかり合っている今は、静かな戦争のようだと感じることがあります。

それでもどんなに違う相手でも認めることを諦めず、共に感じられると簡単に思わず、逆に感じられないことを素直に受け入れた上で、それでも感じようと努力をし続け、分かり合うことを願い続けたその先に何か光があって欲しい。

そう願わずにはいられません。

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