THE YELLOW MONKEYという花
花は咲き続ける 巡る季節を彼らとともに
「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」 (川端康成「化粧の天使達」『掌の小説』所収)
日本の美意識と死生観を繊細な言葉で紡いだ文豪が残したこの言葉を「美しい呪い」と言った人がいた。私はずっとこの呪いをかけられていた。
一度も会ったことのない美しい男達によって。
THE YELLOW MONKEYという、花のようなバンドによって。
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シニカルなバンド名とともに日本のロックを背負って立つ彼らは、2001年1月8日の東京ドーム公演後に活動を休止し、その後も休止状態のまま2004年に解散した。
私がTHE YELLOW MONKEYを好きになったのは、活動休止となる少し前、今では彼らの代表曲の一つともなった「バラ色の日々」がリリースされた頃だった。
その頃私はまだ小学生で、結局ライブには行けず、彼らの姿を直接見ることはなかった。
それでもTHE YELLOW MONKEYの音楽を聴き続けていた。ずっとずっと大好きだった。
THE YELLOW MONKEYのいない15年間、桜の花が咲けば毎年「花吹雪」が頭の中に流れた。
https://youtu.be/CsQjFtDajvM?list=OLAK5uy_n0FNJIL6fqrjNljy4jz1glDYhWEhRrpRI
桜だけではない。バラ、ひまわり、コスモス、フリージア、カトレア、けしの花……。様々な花が彼らと結びついた。THE YELLOW MONKEYの歌詞には花の名が数多く登場する。名前のないただの「花」や花のイメージも多い。
それに、彼ら自体も花のようだ。
華やかなルックスと、芳香を撒き散らすようなサウンド。 大地を思わせる力強い重低音に、花びらのようなメロディーが舞う。
過去の格好良すぎるライブ映像を見ると、自分はこれを一生体験することはできないのかと寂しくなりもした。けれども、むしろもう完結している、美しいまま結晶になったようなTHE YELLOW MONKEYだからこそ、自分はこんなに好きなのかも、なんて思ったりもしていた。現在進行形で追っていると、何がおこるかわからず、心乱されてしまうこともあるから。
しかし、2016年1月8日、申年の年初、突如再集結が発表された。
自分でも驚くくらい興奮した。そんなにテンションが上がっているあなたは見たことがないと言われる有様だった。そして5月11日、12日、私は代々木で初めて彼らの姿を見た。夢みたいだった。奇跡と思った。THE YELLOW MONKEYがそこにいた。
それからは、実在する彼らとともに、季節が巡っていった。
2019年3月28日、私は武道館にいた。19年ぶりとなる9th アルバム『9999』の「世界最速先行試聴会」が9999名を招待して開催されたのだ。千鳥ヶ淵の桜が今まさに満開にならんとしている、できすぎたシチュエーションだった。
そもそも武道館で視聴会ってどういうことよ?メンバーは必ず現れはするよね?でも期待して外れても嫌だからな……と逡巡し、そこそこの気合で臨んだ。座席は先着順で4列目を確保した。(今思えばもっと早くも並べたのに……!)
蓋を開けてみれば、新しいアルバムを全曲通して生演奏する、という驚くべき内容だった。
アルバムの一曲目「この恋のかけら」の冒頭、暗闇に響いた多情なギターの旋律。この音は自分の中でこれまでにない特別なものになっている。ドラムとベースが加わるとともに開けていった視界、そこに予想外にいたメンバーの姿。あの時の異様な高まりは通常のライブとはまた違っていた。アルバムを初めて聞くのが生演奏、という経験はおそらく人生最初で最後だろうと思うが、今でも『9999』、そしてそのはじまりの「この恋のかけら」を聴くと、あの日刻まれた興奮が心をふるわせる。
「春になるとこの辺りは落葉樹咲くから
これより先は人だかりができる」
(「この恋のかけら」)
こんな言葉で桜を表現できる吉井和哉は、やはりただものではない。「花」なんてともすれば非常に陳腐になりかねないものだが、彼の天才的な詩がそうはさせない。
「冬になるとこの辺りは雪深くなるから
これより先は行き止まりになる」
(「この恋のかけら」)
曲の中で季節が巡る。
「泣いても 笑っても 残された
時間は 長くはないぜ」
(「この恋のかけら」)
季節の花とともに移ろう四季は、流れる時、人生の象徴だ。THE YELLOW MONKEYの歌詞には、日本の古典文学にも通ずるような四季の情趣が漂っている。
止めることのできない時の流れ、咲けば必ず散ってしまう花々。限りあるものだからこそ鮮明な花の美しさ。
彼らの曲にはいつも焦燥感があった。
1995年にリリースされた『FOUR SEASONS』、四季と題されたアルバムの一曲目の「Four Seasons」の中で吉井はこう歌う。
「アンコールはない 死ねばそれで終わり」
「勇気が足りない 力が足りない 時間が足りない
お金が足りない 空気が足りない 命が足りない」
(「Four Seasons」)
『FOUR SEASONS』二曲目の「太陽が燃えている」では、まさに花と四季が結びついたフレーズがある。
「桜舞い散る春も ひまわり耐える夏も
コスモスが恋する秋も フリージアの眠る冬も」
(「太陽が燃えている」)
THE YELLOW MONKEYの曲には、デジタルではない、有機的な生命の強さが満ちている。
四季の移ろいは人生、死へと向かう時の流れを暗示するが、死によって生は鮮明なものとなる。
多くのエロティックな曲は、まさに生殖器としての花のように、強烈な性の、生の香りを撒き散らす。
彼らはいつも、命というあまりに根源的なものを歌っている。
2017年には再集結後のTHE YELLOW MONKEYの姿を追ったドキュメンタリー映画『オトトキ』が公開された。
そういえばここでも、バンドの歴史がバラの花の絵で表現されていた。
「オトトキ」という不思議なタイトルについて、意味は明言されなかったが、個人的には「音・時」「音と季」かなと思っている。
映画の中で「父」という存在が重要な要素となっているので「お父記」でもあるかもしれない。2016年のツアー中、ギターの菊地英昭、ドラムの菊地英二兄弟の父が亡くなっていたのだ。その直後のライブで演奏された「球根」は鬼気迫るものだった。
「土の中で待て命の球根よ
魂にさあ根を増やして
咲け…花」
(「球根」)
https://youtu.be/wJmcs-ax30Q?list=OLAK5uy_nsegUWbD08lXvpnjeInlMAkrnv3XOsHQw
2019年4月にはニューアルバム『9999』が発売され、夏はツアーで彼らを追った。 数年前には想像もできなかった夏だった。8月のライブ、蝉時雨の武道館の熱気はすさまじく、春の視聴会から格段に完成度の高まったパフォーマンスを見せてくれた。
2019年はバンド結成30周年を迎える記念すべき年だった。初のドームツアーが発表され、THE YELLOW MONKEYの「誕生日」である12月28日にはナゴヤドームのライブでお祝いすることができた。
ライブのために遠征するのは人生初だった。ライブの最中にあんなに泣いてしまったのも初めてだった。
『オトトキ』の主題歌、優しさに溢れた曲「Horizon」が終わり、次の「Father」に移り、吉井が「お父さーん」と叫んだ瞬間に涙腺が決壊してしまった。
私はTHE YELLOW MONKEYより1年早く30歳になっていた。おそらく大半の女がそうであるように、30歳になることに怯えていた。
花の命は短いと、ずっとそうすりこまれてきた。年をとるのが怖かった。
しかし、ステージ上の彼らの姿はその恐怖を吹き飛ばしてくれた。彼らは艶やかに咲き誇っていた 。
かつてのヒリヒリとした焦燥感、ギラギラとしたエロスは薄まったかもしれないが、歳を重ねたことで深まった死への予感が、爛熟した色気をより濃いものにしている。
2020年1月8日、バンドの第二の誕生日となったこの日に、彼らの新たなアーティスト写真が公開された。演出を手掛けたのはフラワーアーティストの東信。「退廃した植物園」をテーマとしたというそのビジュアルについて「芽吹くもの、朽ちるもの、そしてその中でまさに「花」のように輝きを放ち続けるメンバーの姿をより美しく際立たせました。」と語っていた。まさに私の中の THE YELLOW MONKEY像を視覚化してくれたものだった。
皆いつかは枯れて土にかえるけれど、またその土から芽が出て花が咲く。彼らが咲かせる花をみると、永遠のようなものまで信じてしまう。
「散らない花はないけれども 花は咲き続けるだろう」
(「LOVE LOVE SHOW」)
https://youtu.be/3t3fYJyA_2k?list=OLAK5uy_n0FNJIL6fqrjNljy4jz1glDYhWEhRrpRI
まだしばらくは、THE YELLOW MONKEYという花を追いながら季節を重ねることになりそうだ。
そう思っていたが、2020年4月4日、5日の東京ドーム公演をもってしばし活動が休止されることとなった。もちろんとても寂しいけれども、今回はさらなる活動のための準備期間ということがわかっている。悲壮感はない。
メンバーは再集結後をTHE YELLOW MONKEYの第2シーズン、と言っていた。かつて第1シーズンの後期にリリースした曲「SO YOUNG」では「青春」を歌っていた。
最近のインタビューで、今の自分たちは青春の次の季節「朱夏」だと語っている。また一つの季節が終わる。その締めくくりの東京ドームは、花吹雪の季節だ。
けれども、その開催が危ぶまれてきた。流行病が世界中で猛威を振るっている。
いつも劇的なTHE YELLOW MONKEY。ここまでドラマチックに仕立ててくれなくてもいいよ、神様!と思うが、吉井和哉はそんな星のもとに生れてきた、稀有すぎる存在なんだと妙に納得してしまう自分もいる。
ライブの開催の可否については3月30日に発表される。(こんなところまで30で揃えてくるのがにくい)
ファンはかたずをのんで公式からのアナウンスを待っている。
こんな状況でまだそんなことを気にしているの?と言う人もあった。
けれども、私にとって、私たちにとって、そんなこととすぐに片づけられることではないのだ。
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」(岡本かの子)
今この短歌が私の心を代弁してくれる。
メンバーはこのツアーに「命をかける」と言っていた。東京ドーム公演をどうするのか、難しい調整と決断に迫られていることだろう。
非常時には花は追いやられる。かつて戦時下では花の名所の桜の木が軍用に伐採され、園芸種の花は育てることを禁止されたという。
現在、補償もなされぬまま「自粛」の要請が行われ、ライブ、コンサートの中止が相次いでいる。芸術やエンターテイメントはたしかに生死に直結するものではないかもしれない。しかし、それらを糧に生きている人々は確実にいる。アーティストや業界の人々にとっては、それらがまさに生活の糧でもある。
正直、開催は難しいだろう。ドーム規模の公演の延期するというのも、並大抵のことではないだろう。彼らのことだから、サプライズを用意してくれているのではないかと、期待していないといえば嘘になる。しかし、たとえこのまま姿を見ることなく休止期間に入ってしまったとしてもいいよ、と思っている。
百年に一度の非常事態だけれども、逆に言えば百年に一度くらいで起こること。自然の摂理なのかもしれない。
花付きが悪い年だってある。病気にかかることだってある。まぁたまにはこういうこともあるさ。
私の父が庭で育てていたバラは、父が病気になり手入れをしなくなった時死んだようになった。しかし再び手をかけると復活し、今では庭中で一番華やかな花を咲かせている。
『9999』の視聴会では吉井が「Horizon」の歌詞を間違え、演奏を止めるという一幕があった。本当はMC無しで通しで演奏するつもりだったようだが、この間違いのおかげで話を聞くことができた。とりようによっては「失敗」だったのかもしれないけれど、多くの人はむしろ好意的に受け止めたのではないだろうか。
吉井は「一度解散して良かった」なんて言うこともあった。本当に楽しそうな今の4人の姿を見ると、そんな気もしてきてしまう。
今回の公演がたとえ中止になったとしても、むしろそれで良かった、と思える未来が待っているかもしれない。
花がはっきりと姿を見せない時も、地中の球根は根を伸ばして、美しい花を咲かせる準備をしていると知っている。
前は生で見たこともないのに、また会えるって約束もないのに、ずっと聴き続けていたんだからね。バラ色の日々を信じて、待っているのもきっと嫌いじゃないんだ。もう一生解散しないと、そう言ってくれている。美しい希望の季節はまた巡ってくる。折々に想いを重ねることのできる花束のような曲たちは、すでに私たちに贈られていて、いつでもいつまでも聴くことができる。
枯れ木にも、季節が巡ってくれば花が咲く。人の世が乱れても、桜は変わらず美しく咲いている。薄紅色の花が風の中を舞い散る時、私は何を思っているだろう。
今年の花吹雪は、例年以上に印象的なものになりそうだ。
美しい花の呪いは、一生解けそうにない
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某サイトに投稿した文章でしたが、掲載されないようなので供養のためこちらに載せてみました。
公演中止発表前に勢いで書いたものなので、色々と書き直したいところもありますが、気力もなく、その時の自分の気持ちの記録という意味でもそのままです。
実際には3月27日に公演延期(場合によっては中止)が発表されました。
いちファンのオタクの無駄に長い駄文ですが、読んでいただけたらとても嬉しいです。
文章は読まなくても、動画再生だけでもぜひ…!
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