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【本】呪いではなく灯火をー呪いの言葉の解き方

SNSを(特にTwitter)を見ていると、悪いニュースか、批判的な言葉ばかりが溢れてしまって、辟易することが多い。

特に、自分の言葉で語らずに、「○○だって聞いた」「みんな○○と言っている」自己体験に基づかず、伝聞が伝聞を呼び、なんとなく社会の風潮がそうであるかのように見えてくる。

実際に抑圧されたり、生きづらさを感じている人の声を聞き、社会に変化を求めて声を上げることは本当に大事。だけど、誰かをねじ伏せて、マウントを取って、黙らせる、というような方法が分断が広げていく。
その最たるものが呪いの言葉だ。


上西さんは、去年流行語にもなった「ご飯論法」という言葉を生み出し、国会パブリックビューイングなどを行っている。
主に政治の議論の場面で繰り広げられる、論点ずらしのような否定的な言葉を取り上げ、「呪いの言葉」としているが、実際の生活にも多く存在している。

この間読んだ、美容は自尊心の筋トレでも出てきた、「母は忙しいからメイクは時短で」に違和感があること。これも母は忙しいという呪い。発してる側が、母はこうであるべき、自分のメイクに時間かける暇があったら子どもの面倒見ろ、と否定されているように感じる。
呪いの言葉は、発する人が相手を定義づけ、知らない間にそれが当たり前かのように侵食されていく。

呪いの言葉に気づかずに、必死に抵抗しようと思えば思うほど、実際の論点からはずれた議論に巻き込まれて疲弊していく。
呪いの言葉には、それが「呪いですよね?」という返しで構わないとこの本には対処法が書いてある。だけど難しいのは、その言葉が呪いであるかどうかに瞬時に気づくかどうか。
「わたしたちには言葉が必要だ」にあったように、言葉に上手に返すためには、訓練が必要だ。

ただ、呪いの言葉に対する対処だけではなく、この本では対局にある自分を勇気づけてくれる、認めてくれる言葉を「灯火の言葉」としている。
呪いの言葉は分断を生み、物事を解決の方に導かない。相手を打ち負かしたいだけ、黙らせたいだけで発せられる言葉に、対抗するのではなくなんと言ってあげたらいいのだろう。

それを考えていると、幡野さんの人生相談の、印象的な回を思い出した。

呪いの言葉を生み出す人自身も、呪いを抱えて生きている。自分自身への呪縛を解けずに、相手に同じように否定的な意見を押し付けることしかできなくなっている。
わかりあえなくてもいい。幡野さんのような、灯火の言葉で分断を生まずに対話し向き向き合えるようになればいいなと思う。


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