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【本】「食べていける」という言葉の意味〜おいしい資本主義


図書館でなんの気なしにタイトルに惹かれて読んだ、
「おいしい資本主義」という本がすごくおもしろかった

かなり前に、内田樹さん・名越康文さんの、辺境ラジオという番組で、今の若い人たちが、就職しないで、そんなので食べていけるのか、と言われたりするけど、農業やって食べていけない、って一体何なんだ、という趣旨の話をしていて(うろ覚えですので間違っていたらすみません)
確かに、「食べていける」って何だろう、と気付かされたことがありました。

終身雇用も信じられなくなってきた時代に、
自分で仕事を作ること、何かを人に教えられること、
の技術を身につけていかないと、会社という組織に帰属しているだけでは、「食べていけなくなる」時代がくるということは簡単に予想できます。
そういう意味では、まともな会社に就職しないで食べていけるのか、という価値観は、たった数年の、高度経済成長時代にしか通用しないものだったのかもしれません。

貨幣自体の価値も多様化し、時間を価値に換算できるサービスも現れてきた今、食い扶持に困らない生き方とは、一体何なんでしょうか。

この本では、新聞記者でを長年やってきた作者の近藤康太郎さんが、’ライターを続けるために’食べていく方法を考えた結果、米を育てる、という農業に片足を突っ込むというチャレンジをしました。
一見すごく短絡的に見えるかもしれませんが、
本を読み進むうちに、実は本質的なことなのかもしれない、と思う場面がいくつか出てきます。

農地を借り、教えてくれる人を探す、
地域住民とのコミュニケーションをとり、うまくやっていく、
そして自分が自分で食べるものを育てる技術を身につける。

もしかして、そのすべてが、
「食べていく」ということなのでは。


本来の生きる価値、人間としての資質って、
実は生活の中にこそあって、生きる技術として身につけることで、今度はそれが、お金や時間に変化してく。
そういうあたりまえの価値観が、今、改めて認められている時代になってきたのではないでしょうか。

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