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海にまつわる思い出二景。

「海が見たい、今すぐ」。
カップルの片割れがそう言った。
「またはじまった、思いつきの無謀な行動」。
もう片割れがあきれ顔で答えた。
その間にはさまり、私はただ苦笑いを浮かべるのみだった。年月を数えるのも面倒になるほどに過ぎ去った記憶の欠片は、彼らの声音こわねをも海馬から消し去って、ただうねる夜中の海、その打ち寄せる波音だけを響かせている。

社会人となり就いた最初の職。同期はなかなかにもてる女性だったが、彼女が自分から好きになったのは、くだんの男性のみであったと思う。彼は職場の独身寮、彼女は実家住まいだった。自然、ひとり暮らしで小さなアパートを借りている私の部屋が、ふたりの中継地となっていた。
そして、ある年の暑い夏、夜になっても風は湿気をはらんで肌を覆っている。夜になっても涼しくならないなんて冗談じゃない。そんな会話から「海に行きたい」に話題が転がっていったと記憶している。

日付も変わろうとする頃に「海に行きたい、今すぐ」などと言うものだから、彼女もわたしもあきれ顔を互いに見合わし、それでも結局は彼の車に同乗した。そして到着したのは都心から少し離れた港だった。

「……見えないね」
「あたりまえでしょう。今午前一時近いんだから」
「ここ、外れだから夜間照明ないもんな」

コールタールのような夜の海、という詩情ある表現などあてはまらない。どこが海で、どこが夜空だか分かりゃしない。唯一分かるのは真夜中に海へ繰り出した私たちは大馬鹿者だ、ということだけ。
そんな、正に若気の至りとも呼べる海の思い出がある。


「先生のとこに行きなさるんかい?なら、これ持っていけや」。
実際はもっときつい方言で、聞き取れぬところも多かったが、私を呼び止めた初老の男性が朗らかな人柄だったことははっきりと分かった。
これは、別の時、別の海の思い出。

学生時代からの旧友が、ご主人(医師)の赴任に伴って渡米、3年程は日本に帰ってこないから、今の赴任先は田舎で何もないけれど良かったら会いに来てくれないか、とのことで、2泊3日を友人夫妻のお宅で過ごすことになった。
先程、男性が私にくれたのは、浜で釣れたばかりのイワシ。友人も浜暮らしが板に付いたようで、手際よくイワシを手開きにし、竜田揚げ風に仕上げて夕食の膳に出してくれた。その時に付け合わせにと宿舎の庭で育てたシシトウを素揚げして添えてくれたのだが、これがまたかなり辛かった。

「種をとらなかったでしょ?」
「ああ……忘れてた。種が辛いものね、シシトウって」
「いやいや、これはこれで悪くない」
三者三様の台詞を口にしながら、皆の目尻にはかすかに涙が滲んでいた。無論のこと感動の涙でも何でもなく、青唐辛子の辛さゆえである。

先程の夜の海といい、(海には直接関わりがないが)シシトウの辛さといい、私の記憶の海は、どこか滑稽な思い出ばかり。私らしいのではなかろうか、とも思う。
最後に、少しだけ詩情を感じる思い出を綴ってみたい。
友人宅で迎えた初日の夜が明け、眠っていた意識がゆっくりと醒めていった私の耳元でサー、サーという音がする。雨が降っているのだろうか、それにしては外は明るいようだけれど。
一瞬、そんな見当違いが思い浮かび、直ぐにそれを否定した。ここは浜辺のすぐ近く。これは波の音だ、と。
友人にこの話をすると「ああ、ここの砂浜は砂粒が小さくてね、浜辺も綺麗だから、波に洗われる砂の音が聞こえるんだよ」と教えてくれた。   

                                                                                                                                                                                                                                       

等々。海にまつわる思い出としては浪漫ゼロでお目汚しをいたしました。この記事をお読みくださった方の海、その景色が綺麗であり続けますように。

#わたしと海


拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。