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もし明日noteが終了しても。

あくまで仮定の話、フィクションです(そのようなアナウンスはありません)。終了しても、私は同じように書きつづけるだろう。そう思います。

2025.5。たった半年のnoterです、私は。何だか2、3年は続けている風でおりますが💦Blogに限界を感じ、SNSのみでは安定感に欠けるので、探し求めて辿り着いたnote。一度、2017年に入会して「フォロー制度」に馴染めず退会。今振り返ると勿体ないことをしましたが、今このアカウントを開設しているからこそ、みなさまとご縁を頂戴することが叶うのですから、全ては必然なのだと、自分の越し方を顧みています。

note記事で時折お見かけするテーマ「明日、noteが終わったら」。考えてみた方は少なくないのでは?と。
私は(偉そう💦ですが)、最初の記事を綴った瞬間から思っています。

これが最後の記事になったとしても、後悔しない内容を綴ろう。例えnoteがずっと続いても、私は明日、書けなくなるかもしれないのだから。

上記は年齢ゆえの小さな覚悟。年齢は関係ないかもしれません。環境その他避けきれぬ事情でネット接続自体が出来なくなる日はやってくる。目が衰え、指が動かなくなる日も来るでしょう。音声入力という方法もありますが、声が出なくなることも、やがてはやってくる。

脅かす💦ようで申し訳ございません。私はそうした年代に入りつつあります。眼鏡の補正、それも二種類以上(遠距離と中距離)がなければPCモニターを見ることが出来なくなりました。老眼ですね(苦笑)元々が強度近視なので。

手も指も、今の所はつつがなく。ですが、昔よりはタイピングが遅くなりました。ペンで書く速度も遅くなりつつある。
頭の中には、書き始めた頃よりずっと多くの事柄があるのに。そう思うと、もどかしさがあります。何故もっと早く、10代から書かなかったのか。けれど、何度人生を繰り返したとて、私は同じ選択=創作をせず社会人となる 道を選ぶでしょう。種々を経た今だから書くことが叶う。全ては必然なのだと思うのです。

書いてください、とのお言葉を頂戴することが増えました。感謝に堪えません。老母には「あんた、少しは書かない日を作りなさいよ」と呆れられております(苦笑)
無理です、母上。それは私に呼吸するなと告げているも同じ。私自身、この手を小休止したい。でも、止まらないのですよね💦

私には書くことを教えてくれた存在があります。今も活躍中の人もいますが、鬼籍に入った方もいるのです。私の言葉が何某かになっているのなら、きっとそれはその恩人たちの心。私はその伝達者、配達人に過ぎません。

真実があり、それが私の手を使うことを選ぶ限りは。
私は同じように書きつづけるでしょう。例えnoteが終わったとしても、別の方策を探し出して。
私の物書き、その定め的な記事を書きました。参考までに👇


note、私こと春永睦月の第1回記事は、こちら👇

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