音を紡ぐ人がいた【シロクマ文芸部:お題「雨を聴く」】参加記事
雨を聴く。それを文字通りそのまま実行したひとりの男がいた。
『坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK: async』に、その行いが刻まれている。命の刻限を切られた坂本は、メロディでもコード進行でも、シンセサイザー音でもなく、自然そのものに回帰したのだ。インタビュー記事内で坂本が語る頂きとは、いわば理想郷であったのだろうか。
「理想かぁ……理想って何なのだろう」
アルバムを聴きながら、意図せず言葉が零れ落ちた。自分の唇が紡いだ「音」に、自分で驚く。窓の外は梅雨真っ盛り。雨音が世界の音を消していた。
「“文法を知らずにどこまで語れるか”か……。研究という大義名分で言い逃れしている自分を突き付けられるみたいで、痛いなぁ」
雨を聴く私の耳は、雅也の声を聴いて現実へとその集音性を戻していく。
「音楽家と人文学の立ち位置って違うんじゃないかな。門外漢の戯言だけどね。お疲れさま。論文、目処がついたの?」
リビングのソファーに座り、坂本龍一の『async』、そのブックレットを眺めていた私の肩に、雅也が手を置いた。その手に自分の手のひらを重ね、彼の顔を見上げながら言葉を掛ける。重ねた手は、いつもよりも少し冷たかった。
「音楽と人文学。人文学は単に文学を研究する学問じゃない。音楽もメロディの美麗さを追えば良いというものではないだろう?」
雅也の言葉に、私は坂本龍一の生涯を思い重ねてみる。ピアノに愛され、ピアノを愛した人。作る音楽は人生で起こる森羅万象を束ねたもの、そのものであったように感じられる。そう告げると、雅也は言葉を続けた。
「先人への敬意はなくしたくない。その礎あって、今俺たち研究者は仕事ができる。そして、それに甘んじず、論理を敷き、文法を修め、それを越えて肉声を取り戻す。それが俺の人文学だ」
雅也の言葉の後は、二人暫し無言のまま、『async』に包まれていた。
直美。お前、キョウジュが好きだったのか?
好きになったと表現する方が適切ね。残念だけれど、彼が旅立った後に、その偉大さが分かったのよ。
そうならないように、無くす前に気付くことができるように。私たちは今夜、一緒に雨を聴く。
拙稿題名:雨を紡ぐ人がいた。
総字数:1194字(原稿用紙4枚相当)
よろしくお願い申し上げます。
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