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神威-Kamui-第二章

第二章 前触れ


「オトナ(長人)に目通しさせる前に、確かめたい事がある。」

翌朝。どうして余所者をコタンに入れたのか、
こいつは何処からやって来たのだ……。
常義たちの姿を見咎め、一人の若者がレンカに詰問した。

「…何も入れた訳じゃないよ、勝手に入ってきたんだ。
それより、サライ。 あんた、何をしようってのさ、
長人に断りもせずに。」

サライと呼ばれた若者が、冷笑を浮かべつつ答える。

「こいつ等が、コタンに仇成さぬ者かを確かめる。」

サライは常義を一瞥した後、
無言で集落の端にある森を指さし、歩き始めた。

「……手下と、ご立派な刀は置いてきたのか。」

後ろにいる常義を振り返りもせず、サライが質(ただ)す。
 
「手下でもご立派でもないが。礼に欠けるかと思ってな。」 

苦笑いを浮かべながら、常義は臆せずに言葉を返した。

「おい、あそこにいるのが何だか分かるか?」

サライの言葉に、目を遙か前方に向ける。
樹々の間で、何か朱色のものが動いた。
……動物らしい。
それ以上は、常義には判別できなかった。  

「お前たちは、鹿の角を薬にするのだろう?
 採れるか、角を。殺さずにだ。」

常義の足下にマキリを放り投げ、
突き放すようにサライが言う。
故もなく命を獲ったりはしない、俺たちは、と。 

風下から鹿に近づく。間合いを計りながら、
鹿にこちらの匂いが伝わらぬように回り込む。
樹々の間を縫い、
足音が高くならぬように体勢を低く保ちながら、
常義は近くの木に近づき、よじ登った。
鹿がこちらに駆けてくる。
木から飛び降り、鹿の体を斜めに掠める。
マキリが鹿の角を一欠け、削ぎ落とした。 

「……そこに蓬がある。絞り汁でも付けておけ。」

サライに言われてはじめて、
常義は自分の右腕が裂かれ、血塗れている事に気付いた。
額から汗が一滴、流れ落ちた。

サライとレンカは、高台にある一件の家屋へと向かった。
二人が家の住人に声を掛け、
常義と小十郎に入るように合図をする。
長人と呼ばれる初老の男が、
土間に据えられた囲炉裏端に座っていた。

「安部常義と申す。 これは、幼い頃より
俺と共にある 佐竹小十郎と申す者。
あなた方が、和人の地と呼ばれている、
 陸奥の秋田という地から参った。」
 
常義の言葉を、レンカが彼らの言葉に訳す。
その通詞を頼りに、常義は
自分たちが北の地に来た理由を語り始めた。

後の時代に「戦国時代」と呼ばれる十五世紀半ば。
日本の争乱の中で、東北の地も又、揺れていた。
常義たちの生地、東北でも
覇権を争う戦いは絶える事なく続いた。
中でも、津軽の安東氏と南部氏の争いは
熾烈を極め、その戦いに破れた安東氏は、
津軽から秋田へと拠点を移し、
やがて蝦夷島に館を構えることとなる。

「俺の生家は、安東家の家老だった。
 家を継ぐでもない三男の俺は、
 津軽から秋田へ、そしてこの地へ来た。
 流れと共に……いや、それに逆らった、
 と言うべきかな。」

「それで、お前は結局何をしに来たのだ? 此処へ。」

長人の言葉を先取るように、サライが質す。

「見極めたかった。
 俺を、そして俺を生んだ地を。
 何をしてきたのか、
 そして何処へ行こうとしているのか。
 あなた方には無礼な申し様かも知れぬが。」

それだけか。俺たちを踏みつける事で、
お前は自分を安堵しようとしているのではないのか?
サライの目が、無言のままで常義に問い続ける。

「和人の館が出来てから、この集落の近くにも
 お前たちの仲間が現れるようになった。
 自分たちの憂さを晴らすようにな。
 時には、女たちが辱めに遭う事もある」

そして。お前はこれを知っているか……?
サライは一塊の石を突き出した。
白金、後の世にプラチナと呼ばれる鉱物の原石である。

「俺とレンカには父がいない。正しくは、
 この地の者ではない、と言うべきだな。
 俺たちはお前等の言葉が分かる。
 父はお前等の地の出だ。
 ……レンカの 母も、俺の母も、
 俺たちの生まれに恥じる処は無い、と言う。
 そんな事は、俺の知った事ではない」

サライは、石を握りしめたままで語り続ける。

「俺は、船でお前たちの地に行った事がある。
そこで船乗りに聞いたのだ。そこで採れる金という石が、
お前たちの国を富ませる、とな。
 大陸、明の国に行けば、その石が莫大な富に変わると。
 この石は白金、 金よりさらに珍しいものと聞いた」

今はまだ、お前たちはこれが此処にある事を知らない。
だが、この石が自分等の贅沢の種に変わると知ればどうだ?
昔、お前たちの地で、蝦夷、と呼ばれた者等にした様に。
これを採る為に、お前たちはこの地を踏みにじるだろう。
 
憤怒の色に燃えるサライの瞳に、常義は返す言葉を失っていた。

「サライは、あんた達の地で暮らした事があるんだよ」

夜風に身の火照りを冷ます常義の傍らに、
レンカが近寄って来た。 

「あんた達が言う“跡取り ”というものになれと、
 船で男たちが迎えに来たんだ。あいつが十の歳だった。
 でも、あいつは一人で帰ってきた、何年かして。
 理由は聞いてないし、聞こうとも思わない。
 ……サライの和人への憎しみは、特別なのかもしれない。
 でも、この辺りが騒がしくなってきたのは、
 あいつの思い込みだけじゃない」 

「俺は、証を立てねばならぬな」

怪訝な顔をするレンカに、常義は続けて言った。

「レンカ、お前のマキリを貸してくれ」

レンカからマキリを受け取ると、
常義は自分の髷に左手を伸ばした。
髻(もとどり) に刃を当て、
その根元から髷を切り落し、
残りの髪をマキリで削いてゆく。

「まるで “ナマクラ坊主 ”の様だな。
 ……ああ、意味が分からぬ事を言った、済まない」

レンカの口元がふと緩んだ。
少し和らいだ口調で言葉を返す。

「……分かるよ。仏さま、とやらを
拝む人の事だろう? ここいらの和人の中にも、
そんな人がいるらしいね。
 それにさ、サライが言っただろう?
あたしも、あんた達の……」

そんな事は言わなくていい。
そう告げようとした言葉を、常義は飲み込んだ。
レンカの瞳が少し潤んでいる様に見えた。

「あんた、これで『済まない』って言うの、二度目だよ。
 全く変な和人だね。和人があたし等に謝るなんて
 見たこと無いし、エカシの昔話でも聞いた事がないよ」

「俺は飽きのだ、侍に。人の風上に立つことに。
 だからといって、俺が俺以外のものに
 なれるとは思わないが。故郷でも、此処でも」

月は、昨夜の半月より少し丸みを増したように見えた。
レンカが呟いた。レラ(風)が変わる、と。

「荒れるのか?」

「ああ。海と……そして、陸も」

常義は、何かの気配を感じて振り向いた。
サライが立っている。

「……得体の知れぬ奴が、余計に分からぬ様になったな。
 来い、長人が呼んでいる」

カムイノミが執り行われる。お前も聞いておけ。
俺たちのはじまりと、そして闘いの全てを。

家の中に戻ると、長人の傍らに座る長老が語り始めた。
南の地から北に渡り、他の民と争い、
共存しながらこの地を纏めた英雄の話。
そして、民が生まれる前から存在する、
今は動物たちの姿をした神々の話を。

やがては「カムイユカラ」と呼ばれることとなる、
民の記憶の唄。
声は土間から地に響き、夜陰の風に流れてゆく。
森の樹々が枝を揺らした。

常義は、長人が差し出す
「トノト」と呼ばれる濁り酒を呑み干した。
樹々の揺れが更に激しくなる。
嵐は、すぐそこまで来ていた。





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