短歌物語 | #青ブラ文学部【優しさは届かない】
参加します。本文は区切り線より下から。
言えなかった言葉がある。
言って欲しかった言葉がある。
時間は取り戻せず、人の心は変えられぬ。
ゆえに私はひとり詠う。昔、古(いにしえ)の人たちが大勢の前で交わしていた三十一文字を、ただひとりで。
“今日は何が食べたい?”
あの人は料理が上手いから、休みの日には私にそう尋ね、美味しい昼食を作ってくれる。それを一緒に食べるのが、休日の楽しみになって幾年経ったのか。楽しみではある。楽しみではあるけれど、それ以上にはならない。
「今日はあなたの作ったチャーハンがいいなぁ」
「よっし。じゃあ、腕を振るうとしますか」
幸せなやりとりだ。何の不足もありはしない。
不足はないけれど。
「今日もいい1日だったよな。俺、頑張っちゃったし」
「そうね、いつも助かってる。あなたの作るランチが楽しみで、休日が待ち遠しくなってるの、私」
そっか、そりゃよかった。
そう言ってあなたは笑う。
笑うことしか、してはくれない。
一緒に泣いて欲しいのよ、時には。
いつも幸せなだけじゃないの、辛いことだってある。
頑張らなくていいのよ、あなたも私も。
言葉を頂戴。
本音が欲しいの、繕った笑顔じゃなくて。
今度の歌会に提出する1首は、これにしよう。
そう思って短冊に筆ペンで三十一文字を綴っていると、彼が後ろから近づいてきた。
「お。今度の歌はそれにするのかい?俺は不調法だから短歌の善し悪しは分からないけど」
「そんなの関係ないわ。ねえ、あなたはこの歌を読んで、どう思ったの?」
「そうだなぁ。『届かない優しさ』っていうのは、通り一遍ってことか?」
「ええ、ご明察」
「なら、俺も覚えがある、そういうすれ違いは。何だか哀しいな。人は1人じゃないけれど、独りなんだ。そんなことを感じるよ」
分かっているじゃないの。
でも分かっていないのよ、あなたは。
薄皮にしか届かない優しさを、誰が持っているのかを。
「ねえ、返歌を頂戴。この歌に」
「おいおい、無茶言うなよ。俺は鑑賞専門だって言ってるだろう。お前みたいに大学生時代から結社に所属している歌詠みと一緒にするなって」
「いいから。歌に優劣なんてないの。あなたの歌を聞かせて?」
そうか、じゃあやってみるか。何事も経験だ。
そう言って、彼は私の机から短冊を一枚取り上げた。
真面目な彼のことだ、きっと三十一文字を紡いでくれるだろう。
それを私は読むことができるだろうか。彼が詠い終えるまで、そばにいることができるだろうか。
私の懊悩を置き去りにして、秋の初め、午後の日差しは優しく部屋を照らしていた。
拙稿題名:優しさは届かない
字数:1040字(原稿用紙4枚半相当)
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