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2020/9/9感情の記録-東京への憧れと現実とそれでも感じる東京らしさ-

子どものころ、会社から帰ってくる父が、スイーツやおやつを持って帰ってくる日がたまにあった。会社帰りに、当時は自分は食べもしない商品の並ぶお店に、立ち寄っていたんだろう。
仕事でベットタウンである街から都内へ出ていたので、子どもの私たちきょうだいは、その「東京」への憧れもあって、素敵なものが溢れる街だと思っていた。

私たちも、都心へ出ることはあったが、電車で母とふたりで出かける少し特別なお出かけのようなもので、そのときは、行ったことのないレストランへ行ったり、留守番をしているきょうだいへお土産を買って帰ったり、そういう特別な場所が東京だった。

実際の目的は大きな病院だったり、学校見学だったりと、真面目な目的ばかりで、お出かけというよりも、用事がたまたま都内だった、というだけなんだけど。

中学生、高校生になってアイドルのライブへ行った時は、ひとりで電車に乗るのが怖くて、人がたくさんだ…!と驚きながら東京ドームへ向かった記憶がある。
母がいない中で歩く東京は、自由というよりも混沌としていて、でも、夜は街がキラキラしていて、こんなところを歩く自分がなんだか大人になったような気もした。
楽器のメンテナンスをしてくれるお店の周りをひとりで散歩してみたりもしたこともある。人がたくさんで道も狭いはずなのに、たった5分歩くだけでも遠くまで来てしまったみたいで、駅まで帰れるだろうか、なんて思いながらも、せっかく遠くまで来たんだから冒険してみないとなんて思って、ファストフード店にひとりで行くだけでも、近所の同じお店とは違う雰囲気を楽しんだりもした。

それでも人が多いところでは人酔いをして偏頭痛をすぐに起こす私は、東京の中でも、より都会にある大学は受験さえしなかった。「こんなところに毎日通うなんて、信じられない。絶対に疲れてしまう。」と、通っていた高校の周りの環境との違いに驚きすぎて、恐れおののいた記憶がある。
それでも、大学生の姉が都内での生活を楽しんでいる様子を見ていると、子どものころの東京への憧れが芽生えてきて、選ぶなら東京の大学へいきたいなーなんて思っていた。

結果、都内でも、若者の街やファッションの街ではなく、オフィスが多くあるような街に並ぶ大学へ通うことになった。
周辺にも大学は多くなく、学生の街というよりも、少し歩けば住宅街や昔ながらの商店街もあるような環境。それでも「東京」であることにワクワクしていた。
4年間で通学にもだいぶ慣れたけど、東京へ出ている、という感覚は、ずっと残っていたような気もする。

実際は、満員電車は常に辛いこと、それでも働きに出る大人がたくさんいること、東京に住んでいる人がいること、その人たちの生活がそこにあること、おしゃれなお店にはそうそう行かないこと、みんなそれぞれを生きていること。
そんな当たり前の、それぞれの日常が東京にもあって、それは特別なんかではなかった。

でも、大学を卒業してからも都内へ出かけると、「東京だ!」という東京らしい空気に自然と足元は軽くなり、おしゃれな美味しいお店へ行きたくなり、なにかお土産を買って帰りたくなる。

近いけど、遠くて、でもそれなりに自然に出歩くことができるようになった。それでも、東京らしさは、私にとって特別で、いつまでもきっと、ずっと、憧れなんだろうなって、この歳になってもそう感じている。


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