気品は泥臭く行動した人のみ纏うことができる|May
これは社会人歴2ヶ月の私が感じたことを今月の学びと共に記録したnoteです。
上京して行動力が加速した
「思い立ったらすぐ行動」が座右の銘な私は、つい2ヶ月前まで北海道にいた時もフッ軽な方だった。
コロナが流行ってからオンラインでの交流が活発になり、SNSで面白そうと思った人には画面越しに話す場を設けてもらったし、好奇心旺盛なこともありオンラインイベントを見つけては積極的に参加してきた。
そんな私が東京に来て一番にしたかったことは会いたい人に直接会いに行く。
5月、ずっとお話してみたいと思っていたライターの方や社外同期たち、友達や後輩に薦めるくらい面白いと思っていた本の著者の方などに会うことができた。
やっぱりリアルで会う方が楽しい。そして、そんな機会が探せばごろごろある東京は都会だなと道産子の私は思う。
1対1×∞の関わり
休日は基本外に出て色々な人と会ってきたが、今月から仕事でも初対面の方とたくさん話すようになった。今月出会った人、ざっと350人。
1ヶ月でこれだけ「はじめまして」の出会いがあったのは人生で初なんじゃないかと思う。
「はじめまして」を言う勇気は持ち合わせているものの、大人数に向けての発信ではなく1対1を何度も行うと気づかないうちに疲れが溜まっていたらしい。「はじめまして」を言った後に続く会話のことを思うと、少しだけ躊躇してしまう自分がいた。
けれど、私が声を掛けることで相手に何か良い影響を与えられることがあるかもしれないし、その機会を失ってしまうのは非常にもったいない。
それに1対∞と思って接するのと、1対1×∞と思って接するのでは相手に与える私の印象はもしかしたら違ってくるのではと考えを改めた。
なくていい出会いなんて一つもない。どんな人との「はじめまして」も常に感謝の気持ちをもって楽しみたい。
「気品」と「か弱い」の違い
過去私がいた環境の常識と、今私がいた環境の常識は正反対。
良しとされていたことが悪だし、悪いとされていたことが良しとされる。これまで「落ち着きがある」と言われてきた私は、「元気がない」とも映ってしまう。
最初は戸惑って別の自分にならなきゃと思ったけれど、「ハルナはそのままで」「か弱いに強さが兼ね備われば気品が生まれるから」との周りの人たちからの声に納得した。
あるものを変えるのではなく、磨いていくために今の私がしなければいけないことは泥臭く行動すること。
二段飛ばしは得意じゃないけれど、一段ずつ確実に登ることは得意な私。
ありがたいことに失敗を恐れず挑戦することを許可してくれる環境にいるから、どんどん行動あるのみ。
「かっこよくなりたいハングリーな道産子ハルナ」はかっこよくなるために、かっこ悪くある自分でいることを許可しようと思う。
6月の私が今より一段高いところで、ちょっとだけ気品を身に纏えているよう。
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