#135 博士号取得までの4年間を振り返ってみたら、頑張った自分にちょっとだけ自信を持てた

博士課程を振り返るシリーズ2/2

※内容は公開時期以前の4月時点のもので、7月に加筆・修正しています。

今回のテーマは体験記。
無事博士号を取得できたものの、あまり頭が切り替わらず、学生を終えるという実感もない3、4月を過ごしていたので、4年間を時系列で振り返ってみることにしました。

振り返ってみて得られたことは、タイトルの通りです。ただし、自信というのは専門知識やスキルに関してというよりも、「自分は目的意識を持てさえすれば、突き詰めてやり抜くことができる」という自信です。
かなり個人的な記録になりますが、一事例として興味のある方は読み進めてみてください。


博士課程を振り返るシリーズを投稿する理由と目的は二つあります。

  1. 博士課程4年間の体験を振り返り、文章に残すこと

  2. 博士号取得を目指す方々の参考となること
    進学前に何の情報もなく同期も少ない博士課程。なかなか自分以外の事情を知る機会はないと思うので、わたしのような事例も参考になるのではないか、という気持ちで書いてみることにしました。

はじめに、基本情報
2024年3月、博士号(工学)を取得しました。
大学院の専攻は土木・建築系の融合コースで、景観工学や都市計画・土木史を専門とする研究室に所属していました。

博論では、農村風景について、都市と農村の関係、なかでも「環境負荷の小さい青果物を扱う流通システム」に焦点を当てて研究していました。
調査対象が関西圏にあったため、4年のうち2年間は大学のある東京と頻繁に行き来しながらの生活をしていました。

1年目 2020-2021

3月 博論の原点となる出会い

修士論文と博士進学面接を終えた春休み、友人を訪ねて京都に向かいました。
京都へ行こうと思った理由は、
①修論の認証研究で見かけた「クルベジ」というローカル認証付きの野菜が、亀岡市で販売されているという情報を得たから。
②「管理される野菜」という本に載っていた京都の伝統野菜マップと、「京都オーガニック八百屋マップ」に興味を持ったから。

旅行最終日、オーガニック八百屋マップ掲載店で、ホテルから一番近かった東寺近くの「坂ノ途中 Soil」に立ち寄りました。
それまでもオーガニック系の小売店は何度か見に行ったことがあったけれど、「ここは何か違う」と商品や店員さんの話から感じ、東京に帰ってすぐに定期宅配を注文しました。これが、研究テーマの決め手となる事例との、一番初めの出会いとなりました。

東寺近くの八百屋「坂ノ途中soil」

▼その時の旅の記録
#79 発見クルベジ!~亀岡発、地球を冷やす野菜~
#81 今日、何食べる? 食材から料理を決めよう

4月 博士課程入学と同時にリモート生活に

入学早々、コロナの影響でで授業もゼミもすべてオンラインになりました。家にいる生活になり、定期宅配で届く、はじめて出会う野菜を美味しく料理することにハマりました。

▼1回目に届いた野菜で作った料理
#83 風景をつくるごはん、2020春

この時期、学振DCにチャレンジしましたが、業績ゼロでテーマも定まっていなかったため不採択。幸いにも返済不要の大学の博士課程奨学金はいただけました。国立大の学費がだいたいカバーできる金額です。

2020年の夏頃から、2021年末くらいまで、動画編集を独学で勉強していました。きっかけは図書館の広報活動で動画を作ることになったこと。プライベートでも友人とのオーガニックスーパー巡りの様子を動画にしたりしていました。

1月 インターンを始める

2021年10月頃、ベルギー時代からの友人が転職活動で上京。青山で、沖縄料理を食べながら応募書類を見せてもらい、衝撃を受けました。オリジナルのテンプレートに、魅力的なCV, motivation letter。それに感化され、「自分も何か行動しなければ!」と、いてもたってもいれらなくなって、坂ノ途中インターンにえいやっと応募しました。
当時、博論テーマはまだ定まっておらず、「持続可能な農業が当たり前の社会になればいいな、そのためには流通がキーになるだろうな」くらいの曖昧さでした。

2年目 2021-2022

5月~ 流通・販売の現場を間近に見る

インターンは基本オンラインで活動していましたが、この頃から仕事の幅を広げてもらいました。取引先のスーパーでの販売や、卸先候補レストラン探しなど、営業の仕事でした。

スーパーで販売員をしていた時は、お客さんの野菜に対する反応、値段に対する反応をこの目で見て驚きました。
定期宅配のお客さんと通りがかりのスーパに来るお客さんでは、伝えられる情報量が全然違う。そもそも、情報発信できても、相互のコミュニケーションはほぼできないから、価値が伝わりにくいんだ、と。
当時の私は社会科見学のつもりで楽しんでいましたが、のちにこの経験が、博論の考察に影響しました。

8月頃 学会投稿論文の構想を練りはじめる

この頃、となりの研究室の、有志のオンライン勉強会に参加していました。
修士課程の時からお世話になっていた先生と留学生とで、EUの農業政策を中心に英語の資料を分担して読む会でした。

Alternative Food Networksという博論の中心的テーマになる言葉を知ったのも、この頃でした。自分が考えていたことが、すでに欧米で20年以上研究されていることに衝撃を受け、英語論文を本格的に読むようになりました。勉強会で論文紹介とディスカッションをする機会もいただき、だんだんとテーマも定まってきました。

10月頃 もどかしさと変化の兆し

論文1本目書けそう!と研究は進めていましたが、修士から所属する研究室のテーマとはだんだん離れていき、指導教員とのオンラインでのコミュニケーションも思うようにいかず、環境を変えた方が良いのではと思い始めました。
「研究室を今さら変えるなんてできるんだろうか……」と「このままでは前に進めない」という思いが交互に訪れ、しばらく悶々としていたと思います。

インターンは、東京拠点でフルリモートだったものの、出張中の代表と東京で初リアル対面。研究と仕事とのつながりや、やってみたい調査など、考えていることをA41枚程度でまとめて話しました。今見るととても粗い内容。でも想いは変わってなくて懐かしくなります。

1月 研究室移籍

いくつかのハラハラを乗り越えて、研究室を移りました。
有志の勉強会をやっていた先生の研究室です。

修士時代の研究室では、今でも付き合いのある同志と出会えたし、研究室活動を通じてたくさんのことを経験させてもらいました。しかし、「前に進めない苦しい状況をなんとかするには、環境を変える以外の選択肢はない」というのが、私が出した答えでした。

2−3月 はじめての大規模アンケート調査

年が明けてすぐ、インターン先で新しいチームが立ち上がることになりました。まずは事業がどれくらい社会に貢献しているのかの現在地を、調査・発信しよう、という目的のもと作られたチームでした。
10月に代表に話した調査、もしかしたらできるかもしれない!と思い、「わたしやります!」とすぐさま手を挙げました。アンケートの設計から集計・分析まで自力でやった経験はなかったのですが……。

アンケート調査は今見ると改善点はたくさんあるけれど、はじめの一歩としてはやってよかった仕事でした(ちょっと背伸びが必要なことに挑戦させてくれる文化のある会社で本当によかった)。

3月 1本目の査読付き論文を投稿

前年8月くらいから構想を練り始めていた論文が完成し、投稿しました。
あまりにも文章が書けなくて、先生と何往復もしましたが、「一段落ずつ良くなっているよ」という言葉を励みに〆切ギリギリまで推敲しました。
今考えても最初の論文が一番大変だったように思います。

3年目 2022-2023

4月 休学、全てのアルバイトを辞めて京都へ

論文を投稿して数週間後、京都へ出発しました。
新しいチームで調査やレポート作成が本格化することになり、これは行くしかない!と決めました

長期滞在のすこし前、東京出張中だった代表を「大学に来て私の先生と会ってくれませんか?」と誘い、先生を紹介しました。先生にも、「わたし、京都に行くのでゼミをリモートで参加させてください!」と伝えました。
4月後半に京都へ移動、5月初旬には3月に設計した生産者アンケート調査の実施。どきどきで目まぐるしい日々がはじまりました。

京都には、キッチン付きホテルの長期滞在プラン(TUNE STAY KYOTO)で8月ごろまで滞在することになります。ここで面白い人たちに出会うのだけど、長くなるので割愛(どこかで書きたい)。

7月頃 査読修正1回目に苦戦

3月に投稿した論文が、30以上の指摘項目とともに返ってきました。
こんなの修正不可能じゃないかという絶望感あり、でもやるしかない状況。この論文通せなかったら先はないと思い、必死でした。

また京都滞在も、いったん区切りを迎えようとしていました。当時も感じていましたが、仕事力、人間的な成長、あらゆる意味で良い滞在で、研究者としての自分のスタンスや立場も、この滞在を通じて明確になったように思います。この時熱心に読んでいたのが次に2冊でした。

  1. 実践アクションリサーチ

  2. 社会科学の考え方―認識論、リサーチ・デザイン、手法

    ▼2022年7月の記事にあった一言

私がなりたかった研究者・研究スタイルはまさにこれだ!と思えた本〔実践アクションリサーチ〕。
この本を読んで、対象と一線を画す研究に対して感じていた違和感の正体がわかった。

#130 フィールドワークより、〔〕は補足
京都滞在中に大原の生産者さんのところへ収穫のお手伝いに行きました

8-10月 東京へ帰る/1回目の学内発表

8月末、半年の休学期間が終わり東京へ戻りました。
10月に1回目の学内発表(テーマ発表に近い)を控え、頭を仕事(インターンというか研究というか)から博論に切り替えました。

4ヶ月ちょっとの滞在で膨大なデータが集まり、対象に対する理解も深まったけれど、一体どうやってまとめたらいいんだろう?という不安が日に日に増していきました。ただ発表は迫っているので、なんとか資料を作って乗り切りました。

11月 二つの報告書

「学内発表終わったー!」とひと息つく暇もなく、5月のアンケート調査の報告書を仕上げました。同時に会社の現在地をまとめた報告書(インパクトレポート)の執筆も分担し、とにかく書く訓練をしたなという印象です。

報告書の作成を通じて、チームで何かを作ることのパワーとスピード感に驚き、達成感を共にできる喜びを感じました。
研究はほぼ一人でやっていて、正直ちょっとづつしか進まないし、面白い発見も他人と共有しにくかったのでなおさらです。

ビジネス経験豊富な新メンバーも加わり、一緒に議論したり農作業の手伝いをしに行ったり、忙しいなりに色々な人と話し、現場を見ることも続けていました。
三重の生産者さんのところで話を聞きがてら、牛糞堆肥をひたすら手作業で撒いたり、畑を走り回る鶏たちと戯れたりしたのも良い思い出です。

三重県の生産者さんを訪問。畑の中を自由に動き回る鶏を捕まえるわたし。

12月 フィールドに浸った2022年を振り返る

slackの日報+つぶやきchに、こんなことを書いていました。

インパクトレポートのふりかえり会をして、今年はかなり背伸びしていろんなことをやってきた年だったと思った。
常に背伸びしたり、ジャンプしたらちょっとかするくらいの高さの難易度に挑戦している感覚があって、今もまさにそうなのだけど、 今の自分は1年前の自分が思い描いていた1年後の自分とはまた違う。 垂直ジャンプじゃなくて、良い意味で想像とはちょっと違う方向に飛んでいる感じがする。(大学以外にこういう成長機会の場を持てたのはめっちゃ運良い!)

2022/12/6 22:44の投稿(1/2)

学部の時に研究と実践の乖離が気になって「研究と実践の間を行き来できる・つなげる存在でありたい」と思うようになったけれど、 ここでなら研究と実践をつなげられそうと思っている。

前にいた研究室では、博論は一人で書き上げるものだって教わったけれど、それはある意味正しくて、ある意味間違っていると今なら言える。
確かに、文章を書いたり発表資料をまとめたりするのは自力でやるしかない。 でも、(インパクトレポートを書く過程で結果的に博論も進むことがわかって)研究の過程ではいろんな人の力を借りていいし、 実践に根ざした研究はフィールドやそこにいる人々と自分との相互作用があってこそだと思った。

これからの半年は、これまで集めてきたことを分析し、私なりの解釈を加えて人に伝わるようにしていくことがメイン。
社内の人々が当たり前のように触れているデータだったり、知っている事実からどんなことが言えるのか。 これを導き出すのが自分のバリューを出せるところだろう。
とはいえ、一人ではうまく表現できないところがたくさんあるはずなのでみなさんに助けてもらう場面が出てきそう、とも思っています。
今年もあと一月を切ったのかぁ、早すぎる!ラストスパート、ではないけどがんばろ〜

2022/12/6 22:44の投稿(2/2)

この頃はまだ、半年ずらしの9月卒業するつもりでいて、必死&常に研究のことを考えていたようです。
この予定は新年早々に厳しいことが判明するのですが……。

1月 次の論文投稿を見据えて

1/18日、12月初旬から取り掛かっていた査読修正(2022年3月に投稿した論文)が終わり、次の論文の調査に取り掛かっていました。

研究ログによると、この時やっていたのは、2本目の査読論文で使う事例研究の評価軸(分析の切り口)の検討と、3本目の査読論文の文献調査でした。MAXQDAという質的研究のためのソフトを見よう見まねで使いながら、作業を進めていたようです。
振り返るとかなり負荷の高い二つのタスクを同時に進めつつ、仕事もそれなりにやっていたのすごい……。

▼当時参考にしていた使い方ブログ
MAXQDAの使い方 | 質的データ分析研究会

2月 徳島県神山町へ

友人を訪ねて徳島に行きました。完全なるプライベート旅行のつもりだったけれど、友人の紹介で提携している生産者さんに会えることに。
さらに、かま屋でお昼ごはんだけ一緒に食べるはずが大いに盛り上がり、圃場を見せてもらい、夜も友人宅で延長線。わたしがどういう想いで研究テーマを決めたのか、流通・販売現場を見て今何を考えているのか、などを話しました。
「現場の人と話が通じて、しかも共感してもらえて、議論までできる!」と感動。社会と乖離した研究にはしたくない、と思って取り組んでいたので、本当に嬉しかったし、背中を押してもらいました。

研究の方はというと、論文の構成を練りつつ、2回目の生産者アンケート調査の設計を始めていました。

神山町のかま屋のランチ

3月 1ヶ月京都滞在/1本目の論文がアクセプトされる

生産者アンケート調査の実施期間は会社にいようと思い、春休みの1ヶ月を京都で過ごすことにしました。
調査は2回目ということで、社内の理解・協力もスムーズに得られました。

また、せっかく京都にいるのだからと思い立ち、京大で近いテーマで研究をしている先生にも会いに行きました。他にも2本目の査読論文に向けて、関西の会社の事例調査・インタビューもしていました。

そのほか、
・2月に神山で知り合った大学生が短期インターンで会社に来てくれて再会
・奈良のベテラン生産者さんとハシゴ酒をして話し込む
・京都で友人の結婚式に参加
・誕生日の数日後に不安の種だった査読論文の採用が決まる
などなど短期間で色んなことが起こりました。

▼査読論文の採用が決まる二日前に書いた記事
#131 一年後のわたしへ、2023年3月のわたしより

4年目 2023-2024

4月 今年は2本投稿するぞ!と腹をくくる/ジムに通い始める

いよいよ最終年。1年で2本、新たに論文を投稿して、博論も書かなければ卒業できない!という目の前に迫った超具体的かつハードな課題を抱えて新年度がスタートしました。
まずは6月の口頭発表に参加するために、4月に草稿を投稿しなければなりません。4/21の〆切に間に合わせるため、急いで3月の調査結果をまとめ、草稿を提出しました。

この時、3月にたくさんインタビューしたものの、文字起こしが間に合わなないことが見えていました。
そこで、Open AIが提供するWhisperとChatGPTで音声を書き起こすワザを、友人に教えてもらい、身につけました(APIを使って、40分の音声だと30円くらいでできました)。
Phythonに触ったこともなかったけれど、文字起こしのプログラムだけは書けるようになったのは、やりたいことが明確だったからなのだと思います。

プライベートでは、ジムに通い始めました。
身体を鍛えたら頭と心のキャパが広がると思ってのことです。

5月 新たな調査が始動

この頃、消費者アンケート調査(博論の1章分に相当する調査)が進められそうになりました。消費者調査は生産者調査とは別のチームの協力が必要だったので、中々進められていませんでしたが、タイミングよくできることに。
他の論文を進めつつ、設問を検討し始めました。

またこの時、消費者調査で参考にした論文も発見。「やっぱり地球のどこかで似たようなこと考えている人はいるんだ!」とわくわくしたのを覚えています。

▼発見した論文(定期野菜セット利用者のライフスタイルや価値観の変化がテーマ)
Torjusen, H., Lieblein, G., & Vitters⊘, G. (2008). Learning, communicating and eating in local food-systems: the case of organic box schemes in Denmark and Norway. Local Environment, 13(3), 219–234. https://doi.org/10.1080/13549830701669252

6月 長野の産地訪問へ/はじめての学会に一人で乗り込む/生産者勉強会etc.

爽やかな気候の長野へ行ってきました。
戦後開拓で入った人々の2代目の果樹園、美しい野菜を栽培することで評判の農園、大好きなトマトを作っているご夫婦等を訪問。自分の研究と現実世界がつながっていることを改めて実感した訪問でした。

川の近くにあるトマトハウス

長野訪問の一週間後、誰も知り合いのいない学会に一人で参加しました。
全く縁のなかった分野での発表で反応も薄めだったなー、と思ったら、休憩時間に声をかけてきてくれた方がいました。
万人受けしなくても、自分とは違う視点を持つ他の誰かの意見をもらえるという点において、学会に参加して良かったと思いました。

他にも以下のことにも取り組んでいたようです(Notionの記録を振り返ってみた)。
・生産者向けの勉強会第2回「消費者について」の話題提供の準備
・消費者アンケートの最終化
Slackにはその日暮らしな生活が続いていて、長期視点を持てていないとぼやいていました。

7月 口頭発表内容を2本目の査読論文として投稿

6月の学会発表の内容を論文にして投稿しました。
休む間もなく3本目の査読論文(8月草稿、10月口頭発表)の構想を練りつつ、3月の生産者アンケート調査の報告書もそろそろ完成させねばと、同時並行で進めていました。
アンケートの定量データだけでは狙っていたストーリーが書けず、社内の色んなところに散らばっているメモ書きや、参考文献を探し、自宅のリビングで独り言を呟きながら執筆していました。
Slackの投稿を見たところ、4月に腹をくくった「2本投稿するぞ!」が重くのしかかっていたようです……。

東京にいるとなんやかんや家にこもりがち。最近友人と会ったら「最近人と会ってなさそうな顔してる、疲れてる?」と言われるしまつ……。
さて、先週〜昨日にかけて、今年の生産者アンケートのまとめを進めてきました!このデータを使って10月に学会発表しようと思っています。しかし、データは面白いのだけど論文のストーリーが書けない(しっくりくる切り口が思い浮かばない)。
要旨を8/20に出さなければならないのでちょっと焦り気味です。

2023/7/19 18:25のslack投稿

つぶやき
論文の〆切ばかりに気を取られて、寝ても覚めても考えてる、みたいなのが数週間続いて「精神衛生上良くない!」と思い、梅干し干したりジムに行ったり別のことに集中する時間を挟んでいたのだけど……ボーッとしてたのか、ちゃんと掲示板読んだ上でジムのバイク用の駐車スペースに自転車止めてて、帰ってきたら無くなってる(警備員が移動させていたようで見つかった)という事態に……。文字は見えてるのに理解してないなんて、注意力か認知能力の低下なのか
明日頑張ったら今週末はちゃんと休む!

2023/7/27 22:01のslack投稿

論文や調査報告書を書く傍ら、博論の目次も書き始めました。
というよりも「思いついた」という言い方の方が正しいかもしれません。Notionの記録を見返すと、完成バージョンとは全く違うものでしたが、「ああ、こうやって何度も練り直したんだなぁ」と思い出しました。

8月 口頭発表の草稿を提出、学生最後のゼミ旅行

10月の口頭発表(3本目の査読論文)の草稿を提出しました。
同時並行で7月に書いていた調査報告書の続きをやりつつ、インターン先の研究室でこれまでの知見をまとめたレポートの構想を練りはじめました。

この時は博論、学会発表で頭がいっぱいだったけれど、相変わらず京都に行ったり、大学の研究室のゼミ旅行で徳島に行ったり動き回っていました。
8月31日に徳島から京都へ戻る高速バスで、なんとなくだるいな、と思っていたら、翌日発熱。急遽東京へ帰宅して、自宅の検査キットで調べたら、なんとコロナでした……。
約一週間が何もできずに過ぎたことの精神的ダメージが大きくて、「博論終わるまではとにかく体調は死守する!」と誓ったのでした。

ゼミ旅行滞在した佐那河内村にある「山神果樹薬草園(松山油脂)」を見学

9月 新メンバーが加わる

8-9月は、会社のチームに新しいメンバーが2人増えて、夏前から構想を練っていたレポート作成が本格的に始動。12月の発表を目指して原稿を分担しはじめました。9月も相変わらず京都に行っていたので、あまり記憶がないうちに1ヶ月が過ぎていました(当時の記録より)。

記録を見ると、
・生産者アンケート調査報告書の発表(やっと!)
・人参の種まきの手伝いをしに奈良の生産者さんのところへ
・事業のインパクトをまとめた資料の作成
なんかもやっていたようです。
生活はとっ散らかっていたかもしれないけれど、〆切と目的意識がはっきりしていると、生産性が高くなるのかもしれません。

人参の種まきのお手伝い

10月 仕事を引き継いで3ヶ月のお休みをもらう/口頭発表と論文修正と論文投稿と学内中間発表

10/5(木)-8(日)の京都滞在を最後に、インターンのお休みをもらうことにしました(レポートの大まかな構成決めて、新メンバーにパスしたのもこの頃)。
1月までに、投稿論文1本と、博論を完成させなければならないということで、東京籠り生活の始まりです。余裕がなかったことは、当時の記録からも見て取れますね……。

@October 17, 2023 7:20 PM 〆切前の執筆期間って,どうしてもカレンダーに記録残す余裕ないし,Notionの記録もおろそかになる.けど,こういう時こそ過去の思考に頼りたくなるので,普段は思考や調査手順,気づいたことなどを丁寧に記録しておくことが大事だと思った.

Notion 「#日々_研究 PhD_2023-2024」より

ご紹介が遅くなりましたが、Notionは、2020年頃から愛用しているメモアプリです。「#日々_研究 PhD」というシンプルに日付と思考や作業内容を書き溜めていくページを博士課程の間ずっと続けていました。シンプルな記録は個人的にめちゃオススメします。

口頭発表
弾丸広島まで行き、またまた初めての学会に参加してきました。
今回はテーマという意味ではドンピシャな学会だったので、3月に会いに行った京大の先生や一方的に知っている研究者がちらほら。
土木や造園学会のスタイルに慣れ親しんできたため、お作法の違いに少し戸惑い、内容がまとまらないことから大量に作ったスライドをスキップしつつ、なんとか話しきりました。
そして想像以上に質問が出てびっくり。私の研究そのものというよりも、扱った事例に対する注目度の高さを実感しました。発表後も数名が話しかけてきてくれ、ちゃんと論文として世に出さなければという思いが強く感じた瞬間でした(採用決定・近日公開)。

学会は土日開催。本当は日曜日までいる予定だったけれど、学内発表の準備が間に合いそうもなく、飛行機を取り直して東京に帰りました。
数万円を捨てるのを厭わないくらい、焦っていたようです。
実際、数日後の学内発表は十分準備したとは言えないものになってしまいました。審査員の先生たち、ごめんなさい……。

査読修正
9月に帰ってくるはずだった7月投稿の修正が返ってこず、問い合わせてみたらところ、かなりの修正とともに返事が返ってきました。
学会も学内発表も重なって、雑に返してしまったのは後悔しています。査読者の方には申し訳なかったけど、これは完全にキャパオーバーで反省。

またこの時仕事はお休みしていましたが、度々slackに状況を投稿していて、チームメイトに励まされていました。大学以外に居場所があったことがこの時の精神安定剤になっていたのだとしみじみ思います。

小手先なことですが、感想。健康第一!
完成させるということだけで素晴らしいこと。できて3年後とか5年後とかにはちゃんと完成できていれば、やりきれていないことがあっても良い血肉になる。

学内中間発表が終わったことを報告した時にもらったメッセージ
とにかく書く日々。一時期タイムラプスを撮っていました。

11月 口頭発表内容を3本目の査読論文として投稿

だんだん精神的に追い詰められて行ったこの頃。朝が起きれなくなって、日光不足かもと思いビタミンDを飲み始めました。
この時は何かを発想するというという頭の使い方ではなく、とにかく執筆に切り替えて、博論本文を完成させることに力を注いでいました。

12月 論文の仮提出

10月と並んで一番精神的にきつかった時期です。
苦しいけど、「時がくれば終わるから、それまでとにかく手を止めない」と思いながら、ひたすら机に向き合う日々を過ごしていました。

博士論文第1稿を審査員に提出したのは確か12月28日。
1月4日の最終発表が終わった時に、審査員の先生から「もう送られてこないのかと思った笑」と言われてしまいました。本当にギリギリですみません……。

1月 公聴会(最終発表会)

1月4日、発表前日でギリギリの状態のところ、ここでもチームメイトに助けられました。

いよいよ明日発表ですね。とにかく会場に行って、所定の時間滞在して、帰ってきてください~。

もらったメッセージ

4年目は何もかもがギリギリで、発表当日の明け方まで練習をしていました。公聴会が終わったら、いただいたコメントへの修正方針を主査・副査の先生方と相談し、2月前半までに論文を仕上げます。
そしてもう一度、審査員だけの場で発表する最終審査を経て合否が決まります。修正に取り掛からなければ、と思いつつ、公聴会が終わって少し気が抜けてしまった時期でもあり、ペースダウンしてしまいました(とはいえ頭ではずっと論文の結論を考えていた)。

2月 最終審査と最後のあがき、そして提出

2月7日、最終審査を終えました。修正内容は以下のようなものでした。

  • 論文内で使われるオリジナル用語の定義を明確なものにする

  • アクションリサーチを行ったことが活きるようにする

    • 研究者が観察対象に果たした役割・影響の吟味

    • 客観的に記述しようとして参与を通してこそ知り得たことを殺さないようにする

  • 結論となるキメの図はこれで良いのか再考する

最終審査の場で合格をもらったら、公開用の論文を大学に提出します。
提出は2月末までだったので、それまでに謝辞を書いたり、細かな図の修正、論文の内容に響かない「今後の展望」の修正等をしていました。
加えて、学位をもらうための事務処理も2月に行いました(実は論文タイトルを最終審査を経て変えたので、題目変更届出も提出しました)。

そのほか11月に投稿した論文の1回目の修正にも取り掛かっており、「2月は時間が空くだろう」という予想は全く当たらずでした。

修正の追い込みで荒れてゆくデスク

3月 「誰よりも詳しくなったから、合格にしたんだよ」

3月初頭に査読論文の修正を提出してから卒業式までは、ちょっと長めの旅行や、のんびり目に仕事をして過ごしました。
卒業式の日、指導教員と話していて印象的だった言葉があります。

博士号の取得には二つ条件があると思っている。
一つ目は、論文が書けること。つまり、論理的に、論文の体裁で文章を組み立てられること。二つ目は、そのテーマについて誰よりも詳しくなったかどうか。
最低このどちらかはクリアしてもらわないと合格させられない。あなたは、一つ目はちょっと不安が残るけど、誰よりも詳しくなったから合格にしたんだよ。

先生のことば(あくまでも著者の記憶をたどって書いています)

本当に先生は私のこと、お見通しだなぁ、と思わされた言葉です。同時に、いつも私のことを気にかけ、サポートしてもらっていたのだなあと感じました。

これから博士号取得をめざす人へ

過ぎてしまえばあっという間だった4年間ですが、振り返ると濃密な時を過ごしたんだ、と気がつきました。
とくに後半2年は、常に研究のことを考え、些細なことも取りこぼすまいとアンテナを張って生活していたように思います。それでも燃え尽きづに走り続けられたのは、わくわく楽しい日々だったからなんだと思います。

私の研究は、今この瞬間の社会で起こっていることを捉えようとしたもの。だから、研究でわかってきたことや、自分の予想したことを、現実世界で目の当たりにできたときの喜びはひとしおでした。
人びととの関わりの中で研究を進め、自分の成長を感じられたことも、頑張る力になりました。

本格的に就職して、力不足を感じる日々だし、博論で鍛えた力は、なんて幅が狭いんだろうと思うこともあります。
それでも、「大丈夫。あわてず、着実に、主体的に進んでいけば、やりとげられる」と、この先も前に進んでいく自信を得られたことは、博士課程4年間で得た財産です。

博士論文の背後には、それぞれストーリーがある。そんなふうに私は思っています。これから博士課程を目指す皆さん、今研究に励んでいる皆さん、良かったら、周りの先輩に論文の内容ではなく、論文ができるまでのストーリーを聞いてみてください。
きっと面白い話が聞けるはずです。そして、自分もストーリーを完成させたいという気持ちと力が出てくるはずです。


長くなりましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
気になることがありましたら、気軽にコメントしてください。

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