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驕りに気づくまで

食で何を表現したいいのか、迷ってまよってまよっています。だれかと迷いたい。

最近のいもこのトピックといえば、引っ越したこと。東京は東から西へ。
吉祥寺のまちの人になりました。くく!

シェアハウスでの暮らしは穏やかで。
若干25歳前後の若いの4人で、ときどきニット帽をもらったり、いいちこをお茶割りしています。

この場所に来ることになったのを考えると、やんなっちゃう。私がやらかしたからだもの。

奢り、押し付け、否定。

素直な気持ちで、食と、好きな空間とりくめる場所で働けるチャンスがあったけれど、逃げちゃった。

はじめたてのころ、言葉にするには何か当てになる言葉が見当たらない、そんななにかの感情が動いた。今だったら、怯んだ、躊躇った。そんな感じだったと思う。それをその瞬間のままに、グヘェと吐き出してしまった。なんてこったOMG。

当然の流れで、おまえはどっかいけ!となった。人生初の破門です。

(周りから見たらこんなにおおごとではないし、過大に捉えてるのかもしれないけど、わたしにはそれくらいのインパクトがあった、という意味で。)

これがゲームの世界ならなんとよいことか!と思った。一旦ゲーム機を閉じてまた開けばいいのだから。

それとか、ドラマみたいにさ。
【このあと、私の身に起こることの奇跡を、このときはつゆほど知らなかった】
なーんてなればいいのに。と。
(こっちは可能性あるね)

まーーーーーーーーーーーーーあ落ち込みますわな。アンタ何やってんだ!と。乗り越えれば見えた世界があったろうが、そこはいまとなっては砂屑のかたまり。

あのころのわたしは、迷う行為そのものにエネルギーを、すべて注ぎ込んで使い果たしてた。

だれかが少し条件を譲ってくれたり、ももちゃんだから。と許してくれたこと。
与えられた環境は恵まれ過ぎるほどあったけれど、対するわたしは感謝の欠片ビスケットひとかけちょい。

この今のかけがえのなさへの想像力。わたしがパニックになった時に、くずれおちるもの。

『わたしが』うまくやれればそれで良い、なんつー驕り高ぶり3000ポイント。

数日の泣きじゃくりに飽きてきて、いまこの窓の空を見ながら、いつかの間借り食堂で掲示した筆書きをみながら、おもうこと。

食への向き合い方に、悩んでたんやなあ。
アンタ、よーやっちょるから。

これから4月決まってる仕事は、食に具体的にかかわるものでもなくて。

でもコミュニケーションデザインで、私の個性とあなたの想像力をたのしみたい、そんなことに付随する仕事にしたいと思ってる。

それがどんな形であれ。企画でも、職人でも。

私が離れることになった現場は、ストレートに食事の内容物をつくる仕事だった。

そこにコミュニケーションを想像しながら、はたまた混ぜ込みながら、つくることも工夫次第で、たくさんできたろう。

でもね、逃げというひとつの選択をした。

そこに覚悟があったらいい。
ただ期限をつけない迷い方をして、行き先は雲隠れしちゃったのだね。だれかに強制終了されるまで。

泣きたい時ほど焦らず。パニックになる時ほど、足をとめて。

失敗の過程で、わたしの癖が少しずつわかる。それはいまは、まだ未熟で他人への迷惑を伴うものであるけど。

それでも愛されてて、場所をはなれるときにはみんなに

いつでも帰っておいで。と言われた。泣き虫泣いちゃう。

いちばん大好きでだいすきな、おねえさんにはたくさん相談してたけど、お馴染みの関西弁であっけからんといわれた。

怒られたんはもらいもんや。
そんなん、素直に受け取って3秒で忘れえ!!!

すがすがしく、受け止めて泳いでいけばいい。


冬の井の頭公園にて。

文筆・もも

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