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ことばは、大切か?

昨年末、「なぜ書くから/なにを書くか」という文章をここ(note)で書いてから、その話は(個人的に)ずっと続いていて、『アフリカ』次号にその一部が載ることになっているのだが…

先月の文章教室でも、ぼくは「書くことが怖いと思うことがある」という話をした。いま、あらためて、「怖い」という気持ちを、少し離れて眺めるようなことをしている。

以前から、ぼくは、ことばなんかどうでもいいんだ、と思っていた。なので、たまに「下窪さんのようなことばを大切にする人が…」と説教をしにかかってくる人を見るたびに醒めた目で「いつ、ことばを大切にしてるなんて言いました?」なんて考えていた(言いませんけどね、そういう人を相手に何か大切な話ができるようには思えない)。ことばなんかどうでもいい。たいしたもんじゃない。何にもならない。──逆から言えば、そのくらい思ったことのない人に「ことば」なんてアヤフヤなものが大切にできるのだろうか? と思ってもいる。

こんなことを書くのは、「なぜ書くから/なにを書くか」を書き、読むことが、さまざまな人の死にあらためて向き合う契機になったからだ。

死を前に、どんなことばがあるだろう。たとえば、我が子の死に直面した人にとって、そこにはどんなことばがあるだろう。

きっと、そこには、さまざまなことばがあるのである。

ぼくは親になって、我が子が元気でいることが、何よりも大切なことになった(ぼくも、と言うべきか、いや、そうでない人もいるし、親になった人もそれぞれ事情は違う)。なので、そんなことは考えたくないのだが、しかしそれを考えることのできるのが、書くということである。

書くことには、いや、ことばには、と言ってみようか、現実を宙ぶらりんにする役割があるような気がする。

そんなことを感じながら、『アフリカ』次号の編集作業に向かっている。

(つづく)


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