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ワークショップ・マガジンを始めよう!

倦怠から仕事をする人がいるように、私はなにも言うことがないから、物を書く。ものを考えない人はなにげなく夢想のうちに迷い込んでしまうのだが、私は書くことによって迷い込む。(フェルナンド・ペソア)

さて、「道草の家の文章教室」と「よむ会」を休止して、もうすぐ1年、これから新たに「ワークショップ」を始めます。
書くひとのワークショップ。どこにいても参加できる、ウェブ上のワークショップ。

1年前のことは、次にご紹介する2つの文章で記録してあります。

最後の方で、「このタイミングで自分の面倒をしっかり見てあげようということに決めて、次までには少し間が空くかもしれない」と書いています。半年くらい空くかな、と思ったのですが結局、1年空くことになってしまいました。

自分のやっていることに、どうしても拭いきれない違和感があるなら、一度歩みを止めてみるのがいい。そうやって考えることができるから。

それで、考えてみたのですが、どうしても、1年前までやっていた「文章教室」を再びやろうという気になれない。自分自身が、何というか、ワクワクしない。またやるのか、という気がする。あれはもう、役割を終えたのではないかという気もしてきた。
なので、以前の活動を再開するのは止めて、新しいワークショップをひらくことにしました。

そこで先月、手を挙げてくださった人たちと(例のZoomで)画面越しに会って、"作戦会議"の時間を持ちました。
話すのは、楽しい。いろいろ話しました。「そうやってたまに話せることが、精神的支えになっている」という声もありました。
書くこともまた、支えになっていると私は感じていて、きっとそういうふうに感じている人は少なくないだろうと思ってもいます。

以前の「文章教室」ですけど、何かいますぐにでも書いて伝えたい何かが明確あって、書いているという人は少なかったようです。そういう人はいますぐに書いて、書き終えるまで行けばいいだけなので、たぶん「文章教室」に迷い込んで(?)は来ないんでしょう。
他人事のように言ってますけど私自身がそうで(よく話していることですが)、何か書きたいことがあって書いているというより、書くこと、書き続けることによってその時々で、何事かが書くべきことになり、ずっと付き合っているんです。

それにたぶん書きたいことというのは話せるんですけど、そうやって書き続けていることはうまく話すこと(説明すること)ができない。でも書くことはできる。

そうやって書き続けてゆくなかで、大切なのは"先生"のような存在ではなく"仲間"ではないか、という気が私はずっとしていて──。新たにワークショップを始めるにあたって、私はまず"サークル活動"というイメージを前に置いて、話してみました。
すると、「SNSのように流れてゆかない場」とか、「手紙か、交換日記のようなやりとりができる場」とか、そういうイメージの展開もあり、うん、いいかも。
でも、それをウェブ上で、どうやってやろう?

ところで私は、ウェブマガジン「水牛」(の「水牛のように」)の「『アフリカ』を続けて」で先日、こんなふうに書きました。

私には、『アフリカ』もワークショップであると言い切ってしまいたい気持ちがある。

アフリカ』を続けて(17)/「水牛のように」2022年11月号より

アフリカ』という不定期刊行の雑誌がどうして、続いていると感じられるのかといえば、雑誌が出ていない時でも、その営み自体は続いているから。いつでも『アフリカ』という場は、ひらかれている。読むことも大切な営みであり、忘れていることはないからです。いつも、そばにいる。

では、『アフリカ』があれば、それでいいではないか? という声も自分の頭の中には飛びます。
しかし『アフリカ』の"セッション"にはその時々の、各々の仕事(書くこと、作品、etc.)を洗練させ、100ページに満たない雑誌の中にギュッと詰め込んでいるようなところがあり、書き慣れていない人には「手厳しいな」と感じるやりとりもあるかもしれない。
また私自身には、洗練云々とは逆の、生(き)のものをポンポンと置いてゆくような執筆活動も日々あり、それがないと『アフリカ』の営みもないとハッキリ言えます。

以前の「文章教室」もどちらかといえば、その時々に出てくるものをその都度、書いてゆくというものでした。場が、作品を完成させるという方に向かっていなかったので、それを外に発表する機会も(ほぼ)なかった。
(ほぼ)というのは、一部が『アフリカ』に載っているからですが、それも「文章教室」で読まれた文章がそのまま載ったわけではない。

でも、ちょっと待てよ、と今回考えた。

ウェブ・マガジンになら、そういう生のもの(書きっぱなしの荒削りのもの)を出していってもいいかも?

ワークショップ(workshop)──そこにはいろんな人が出たり入ったりして、いつも何かしらワーク(work)が行われている。
そこには作品も置かれていれば、未完成の作品もあり、何かの素材になるようなものや、メモや、何になるのかわからないガラクタが置かれていたりもするだろう。
そういう場に身を置いていると、自分の書いている作品が、必ずしも自分ひとりだけでつくっているわけでもないことに、気づかされもする。

ウェブ・マガジンを新たに始めて、そこでワークショップをやるというのは、どうか? と思いつきました。
各々のペースで書いて、送ってもらって、ある程度集まったら私が目次をつくって並べて、リリースする。それを、みんなで読む。毎回書いている人もいて、たまに書く人もいるというので雑誌はよい。そして語り合う時間も、たまに持とう、と。
語り合いの場に、なかなか顔を出せない人でも、ウェブ・マガジンに書いて、読むだけなら、自分の空いた時間でやればいいので、書きたい気持ちのある人ならハードルは高くないだろう。
困ったことがあれば、編集人(私)に相談してもいいし、他の誰かに相談できるようなコミュニティを育ててもゆきたい。

SNSというのは殆どが、自分の書いたり描いたりつくったりしたものを、自分で発表する。
そうではなくて、ここにはいろんな人がいて、いろんな文章があり、そのなかで自分の書くものも出してゆく、ということになります。ウェブ上の雑誌ですね。

そんな話をしていたら、それって、私たちで「水牛」をやろうっていうことですね? と話す方あり、びっくりした。そうかあ! そういえば、そうかもしれませんね。

そのウェブ・マガジン、とりあえずはここ(note)でやってみようかな。充分できそうです。マガジンをアップするだけならお金もかからず、そのかわり収益も見込めませんけど(ここは無料公開したい)、場合によってはサポートを求めることもできます。毎月か、あるいは隔月か、ちょっとやってみてから考えます。

まずは出たとこ勝負で、始めるだけ始めてみよう。

名づけて、『道草の家のWSマガジン』というので、どうかなあ。WS=ワークショップで。気が変わらなければ、それでゆきます。

一方で、これから何か書いてみたいという人向けに、何というか、書くための〈種〉と〈土〉を育てる(というような趣旨の)ワークショップは、以前の「文章教室」に近い感じでやろうかな。それは、たまに、ですけど。

以上は、企画書のようなものですね。やってみながら調整してゆこう。

考えていることは他にもあるんですけど、今日はワークショップがサークル活動になり、ウェブ・マガジンに行き着いたところまで書いて、続きはまた近々。

(つづく)


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