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祈りより強いもの

さあ、今週は何を書こう? と思うけれど、『アフリカ』の入稿直前で忙しいのと、今回はどうしても(『アフリカ』の)編集後記が書けなくて、うんうん言っており、今日、先ほどようやく書けたところで、何だかぐったりしている。こんなことはあまりないのだが… それであまり何を書こうと考える気にならないので、そのことから書き始めた。

ぼくは感情の起伏の激しい人で、浮いたり沈んだり、忙しい。最近は若い頃に比べて穏やかになったかもしれないが、じつはあまり変わっていないかもしれない。いや少し変わった気もする。何事も諦めるのが早くなったせい(?)だろうか。だって、なるようにしか、ならないし、と。

一方で頑固に闘い続けているような部分もあるのだが、そこは絶対に譲れないところであって、譲ったらやる意味がないから、その時は隠居でもするかあと思っている。隠居ができるのかって? 自分はご隠居でえ、と言えばご隠居じゃないですか?

できれば何もつくらず、何もせず、何も書かず、何も動かずというのを理想のように思い描いたりもする。──しかし実際にやっていることは真逆と言っていい。

必死で書いて、書きまくって、何も書かないような状態を目指しているというか… 矛盾しているような、していないような、妙な感じだ。

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10月のさいごの日曜日、珈琲焙煎舎の「2階の部屋」で行われたOraNoaさんのライブを観た(聴いた)。OraNoaさんのライブを観るのは久しぶりだったし、珈琲焙煎舎で音楽コンサートが行われるのは、たぶん初めてだった。

以前、OraNoaさんの歌を聴く時は、冬か、春だった。だから秋に聴くのも初めてだったのだが、そうなると秋を意識した選曲になっており(たぶん)、全てOraNoaさんのつくった歌なのだが、これまで自分の居合わせた"秋"をいろいろと思い出しつつ、聴いた。聴いていたら、OraNoaさんがギターを弾きながら歌う後ろの窓の中(にある公園)で、キャッチボールが始まった。キャッチボールを背景にライブを観るのは、たぶんそれも初めて? と思って興味深く見ていたら、幼いこどもがよちよちと歩いて窓の中に入ってきて、こちらを向いて(たぶんお母さんでもいるんだろう)ニコッとした。それを見てぼくはじわ〜っときてしまった。

そのあとも、縄跳びを始める人がいたり、ビュンビュン走ってゆく人たちがいたり、何とも賑やかで、ああ、これは"アート"だな、とぼくは思った。「2階の部屋」を企画・運営している村井さんはそこまで考えていなかったと思うけれど。いや、「窓」だからね、考えていたかもしれない。考えてはいなくても、いまのアーティストなら、窓を見て、何も感じないということはないだろう。

そのコンサートの後半、OraNoaさんがある歌を始める前に、「祈りより強いものって何だろうか」と話し始めた場面があり、それをこの間、たまに反芻していた。

いろんな思いや、考えや、その中にある葛藤や、希望や、絶望や、そういうものに揉みくちゃになった人には言えることばなんだろう。それを聞いたときに、ぼくは少し、ハッとした。

祈りより強いものは、祈りではないか。──とぼくの頭にはよぎったのだが、自分でもよくわからない。

その日はその後、八王子まで足を伸ばしたのだが、今日はもう疲れているので、その話はまた。

(つづく)

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