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まっすぐではない感覚

今朝はこどもが学校へ行ってから洗濯物だけは干して、すぐに家を出て、電車に乗って出かける。「朝のページ」のノートもカバンに入れて、持ってゆき場所を変えて書いてみる。

「朝のページ」を書き終えたら、『るるるるん』vol.3をようやく読み始める。今回は冒頭から順番に読もう。そこでかとうひろみ「はちまんびきのけもの」を一気に読んでしまう。やはり匂いの小説ではないか、と思った。匂いを際立たせるために視覚を弱めて、鼻でかくということを考えると何やら魅力的ではないか。作者はいま、そこへ至る道の途中にいるようだ(『るるるるん』vol.3はアフリカキカクのウェブショップでも発売中、詳しいご紹介は週明けにしたいと思っています)。

それから、ワタリウム美術館で日曜まで開催中の「ポリネーター」を再び観にゆく。会期中に何度でも観られるパスポート・チケットを買っていたからだ。何でも、再見で感じられることはけっこうあるような気がしていて、今回は目でつかまえる触覚のようなことに、自分の感覚がぐーっと近づいて行った。「生殖」にかんすることを多くの人が思うのだろうと思うのだけど、肝心なのはクローズアップされた見た目ではなく触覚なんだ。

嗅覚も、触覚も、まっすぐではないと感じる。視覚と聴覚は、それに比べるとまっすぐだ。まっすぐではないことに、まっすぐなもので向かう面白さということを少し考える。

それから渋谷までは歩いてゆきラーメンを食べて、文具と中古レコードを見にゆく。880円のLPと220円の消耗品を買う。こどもが学校から戻る前に帰宅しておかなければならない。

今週は毎日のように夜、仕事から戻ってそれからパソコンに向かい仕事をして夜遅くなり、さらにそこから飲んでどんどん夜を消化して寝不足続きだった。自分の中に居座っている焦る気持ちをわかってあげつつも、原稿は朝にすっきり起きて書く方がいいよね、と思う。今夜は早めに寝よう。

(つづく)


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