「愛想づかし」の後に
2011年3月の下旬のある日、"計画停電"が行われるかどうか、という日に思い切って電車に乗り府中から葉山まで出かけ、海辺の美術館でエル・アナツイの展示を観た。その後、その日は"計画停電"が行われないことになったと美術館の人に聞いて、ではもう少し滞在しようと決めて図書室へ降りて行った。エル・アナツイとアフリカ美術に関連する書物がたくさん準備されていたが、その中に、川田順造さんが1970年代に書いた『曠野にて』の文庫本があるのを見つけた。本を手に取り、おもむろに開いたら、上記の文章が目に飛び込んできた。グイッと引っ張りこまれたような気がした。40年前から変わっていないのだ、と思ったのだ。
ぼくが書き、雑誌をやったり、本をつくったりしていることの、根っこにあるのも、その「愛想づかし」なんだろうと思う。
「距離感が大事なんだ」と言った人もいる。似たようなことではないか。
不信感の霧に覆われた中で、それでもなお、何を書くか、どう読むか、というところをウロウロしている。
これはぼく自身が若い頃からずっと抱えている、大きな問題意識と見ていい。
同じ文章の、少し前の箇所からもう少し引こう。
(つづく)
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